第22話:蜜の味と、借金の鎖
冒険者崩れたちに襲撃された一件は、王家の騎士たちの介入によって幕を閉じた。
連行されていった彼らがその後どうなったのか、私たちには知る由もない。ただ、二度と私たちの前に現れないことだけを祈るばかりだ。
そして今、私たちは商工ギルド・メルテ支部のカウンターにいた。
豪奢な装飾が施された2階の応接室。そこに呼び出された私たちを待っていたのは、ギルド幹部のクラウスだ。
「ようこそ。先日のトラブル、災難でしたね」
クラウスは穏やかな笑みを浮かべているが、私はその奥にある冷徹さを忘れてはいなかった。この男は私を借金漬けにした張本人であり、同時にこのシステムから抜け出すための鍵を握る管理者でもある。
私は警戒心を隠さず、要件を切り出した。
「挨拶はいい。次の仕事を頼む。……利息を払うためには、とにかく稼ぎのいい仕事が必要なんだ」
「ええ、存じておりますとも。カイト様のような有望な……いえ、熱心な返済者には、とっておきの案件をご用意しております」
クラウスがテーブルに一枚の羊皮紙を提示する。
そこには『魔の森・東部エリアでの月光草採取』と記されていた。
そして、その横に記された報酬額を見た瞬間、私は目を疑った。
報酬:一人につき金貨10枚(1,000,000円)
たかが草むしりで、ひゃくまんえん?
しかし、私が驚くより先に、隣のリナが顔を青ざめさせて立ち上がった。
「ま、待ってください! 魔の森ですか!?」
リナの狐耳が恐怖に伏せられ、尻尾が丸まっている。
「あそこはDランク相当……いえ、場所によってはCランクの魔物が出る危険地帯です! 今の私たちの装備や実力で入っていい場所じゃありません。自殺行為です!」
「おいおい、そんなにヤバい場所なのか?」
リナの剣幕に、私は思わず聞き返す。
異世界に来てからこの世界のろくな知識を得ていない私には「魔の森」という名前の響き以外、その危険度の相場が分からない。DランクだのCランクだと言われても、いまいちピンとこないのだ。
「ヤバいなんてもんじゃありません! 魔の森は凶暴な魔獣の縄張りなんです。私たちみたいなEランク扱いの借金奴隷が足を踏み入れていい場所じゃ……」
必死に訴えるリナを、クラウスが片手を挙げて制した。
「落ち着いてください、リナ様。通常ならばその通りです。我々もみすみす優秀な返済者を死なせるような真似はしません」
クラウスは理知的なビジネスマンの顔で、淡々と説明を始めた。
「実は、ギルド独自の調査で、現在そのエリアの魔物が一時的に移動していることが判明しました。繁殖期を終えた魔物が、より深い森へと移動する『空白の期間』なのです。つまり今の魔の森東部は、ほぼ無人の野を行くが如し。危険度はEランク相当と言っても過言ではありません」
もっともらしい説明をするクラウスの瞳が、一瞬だけ怪しく光ったように見えた。
(……とでも言えば、素直に信じるでしょう。実際は、エリーゼ様が「カイトに安全に金を稼がせるために」と用意した特別予算を、私が通常の依頼に見せかけて処理しているに過ぎない。魔物がいない時期を選んだのも、確実に遂行させるための調整。この『安全地帯』というリソースをどう活用し、どう恩を売るか。それこそが管理者たる私の腕の見せ所というわけです)
そんな内心などおくびにも出さず、クラウスは畳みかける。
「それに、この月光草は、錬金術の触媒として今まさに需要が爆発しているのです。この機を逃せば、報酬は十分の一以下になるでしょう。……これだけの額があれば、しばらくは利息の恐怖から解放されるのではありませんか?」
リナが言葉に詰まっているのが手に取るようにわかる。
彼女は私の借金の正確な金額も、秒単位で増える利息の仕組みも理解していない。だが、カイト君が常に「金がなければ死ぬ」という漠然とした、しかし絶対的な恐怖に追われていることだけは肌で感じ取っているのだろう。
彼女は私の顔色を窺い、迷うように口を閉ざした。
「魔物がいないなら、私たちでもやれるんじゃないか? それに、この男がわざわざ『金の卵』を割るような真似はしないだろう」
「ご名答。私は損をするのが大嫌いなのです」
「……わかりました。カイトさんがそう言うなら」
リナはまだ不安そうだったが、最後は私の決断に従い、覚悟を決めたように頷いた。
私はこの世界の文字が書けないため、魔道具による生体認証で手続きを済ませた。
私たちはすぐさま街の外へと出発した。
†
メルテの街を出て東へ数キロ。鬱蒼とした木々が立ち並ぶ「魔の森」へと足を踏み入れた。
頭上を覆う枝葉が日光を遮り、森の中は昼間でも薄暗い。湿った土と腐葉土の匂いが鼻をつく。
私たちは指定された群生地に到着し、採取作業を開始した。
目的の月光草は、葉の裏が微かに発光しているのが特徴だ。
リナは錆びたショートソードの柄に手をかけ、鋭い視線で周囲を警戒し続けている。
ピンと立った狐耳が、風の音や葉擦れの音を拾うたびにピクリと動く。
「カイトさん、絶対に私から離れないでくださいね。いつ魔物が飛び出してくるか分かりませんから」
「ああ、分かってる」
私は慎重に腰を落とし、湿った地面に目を凝らす。
薄暗い森の中でも、月光草の淡い光は目印になった。軍手をつけた手で根元の土を優しく掘り返す。根を傷つけると価値が下がるため、作業は慎重に行わなくてはならない。
指先に触れる土は冷たく、どこか鉄錆のような独特の臭気が混じっている。
一本、また一本。
私は黙々と草を抜き、腰の麻袋へと詰めていく。
静寂が支配する森の中で、私の衣擦れの音と、リナの緊張した呼吸だけが聞こえる。
時折、遠くで得体の知れない鳥の鳴き声が響くが、リナが恐れていたような魔物の襲撃は一向になかった。
「……本当に出ませんね」
作業開始から1時間ほどが過ぎた頃、リナが拍子抜けしたように呟いた。
「だろ? あの男の情報は正しかったみたいだ」
「そうみたいですね。これなら、私も手伝います」
リナもようやく警戒を解き、採取に加わった。
二人で作業を進めると、効率は段違いだった。リナは獣人特有の目と鼻が利くのか、草陰に隠れた月光草を次々と見つけ出していく。
泥で爪の間が黒くなるのも構わず、私たちは没頭した。金貨10枚(1,000,000円)という大金。利息ですぐに消えるとしても、桁違いの稼ぎであることに変わりはない。
気づけば、木々の隙間から差し込む光が弱まり、森の闇が濃くなり始めていた。
「よし、袋も一杯になった。これくらいで十分だろう」
ずっしりと重くなった麻袋を持ち上げ、私は満足げに息を吐いた。
†
夜の帳が下りる頃、私たちはギルドに戻った。
ギルドを出てから戻るまで、およそ5時間。
受付カウンターに月光草の入った麻袋をドサリと置く。
「確認しました。状態も良好、依頼達成です」
査定を終えた職員が、トレイに載った金貨を差し出す。
黄金の輝き。一人につき金貨10枚。
私がそれに手を伸ばそうとすると、背後からクラウスが現れた。
「お疲れ様でした。さて、この報酬ですが……いかがなさいますか? 手元に残しますか? それとも……」
クラウスは試すような目で私を見る。
私は迷わず答えた。
「全額、返済に回してくれ。利息のプールだ」
「賢明な判断です。では、そのように処理しましょう」
金貨10枚(1,000,000円)が回収され、私の手元の魔道具が淡く光る。
【本日の清算処理】
現在プール残高:210,360円(※経過時間5時間分の利息114,480円を減算済)
返済投入額:1,000,000円
【処理実行】
利息充当:完了
生命力回収:なし
【余剰金配分】
借金総額:54,921,437円(※変動なし)
将来利息プール:1,210,360円(約53時間分)
約2日と少しの猶予。
借金の元金は1円も減っていない。100万円を入れてもこれだけか、という虚しさはあるが、心臓を握り潰される恐怖から数日間解放されるのは大きい。
続いて、リナも自身の報酬について尋ねられ、即答していた。
「私も、全額返済でお願いします」
リナの分の処理画面は私には見えないが、彼女もほっとした表情を浮かべている。
私が安堵の息を漏らすと、クラウスが「そういえば」と切り出した。
「お二人とも、住まいは別々でしたね。……リナ様、今の家賃はおいくらですか?」
「えっ? 奴隷用の共同宿舎ですけど……銀貨2枚払っています」
銀貨2枚(2,000円)。スラムの共同部屋なら、そんなものか。
「銀貨2枚。チリも積もればなんとやら。馬鹿になりませんね。その金があれば、もう少し早く借金が減ると思いませんか?」
クラウスは意味ありげな視線を私とリナに行き来させた。
「どうでしょう。カイト様の家で一緒に住めば家賃は浮きます。その浮いた分を返済に回せば効率的ですよ。カイト様の部屋なら、狭いとはいえ二人分くらいのスペースはあるでしょう?」
「えっ、同居!?」
私は思わずリナの方を見た。
リナは奴隷とはいえ、年頃の女の子だ。しかも、彼女は下着をつけていない……はずだ。
獣人特有のしなやかな肢体や、動き回るたびに揺れる胸、そして無防備なスカートの中。
一緒に暮らすとなれば、四六時中その姿を目にすることになる。男として、理性を保てる自信が全くない。
「……いや、それは流石にまずいだろう。私みたいな男と一緒じゃ、リナだって嫌だろうし」
「私は構いませんよ。カイトさんが良ければ、ですけど」
私の拒否を遮るように、リナがあっさりと口を開いた。
「え、いいのか? あんなボロ屋だぞ」
「家賃が浮くのは助かりますし……それに、同じパーティの仲間がすぐ傍にいてくれた方が、いざという時に私も守りやすいですから」
リナはけろりと言ってのける。
その頬がわずかに朱に染まっているのを、私は見逃さなかった。
(……カイトさんの視線がいやらしいのは気づいてます。それに、少しスケベな目で見られるくらいの方が、私に関心を持ってくれている証拠ですから……)
リナはそんな内心をおくびにも出さず、従順な奴隷の顔で微笑んだ。
「さあ、決まりですね。男がいつまでも煮え切らない態度は感心しませんよ」
クラウスが私の背中をトンと叩く。
(カイト君のその欲望、大いに結構。手の届く場所に餌があれば、貴方は決して逃げ出さず、借金返済という労働に精を出すでしょうからね)
その目は、私たちを完全に管理された駒として見下ろしていた。
「では、今日は初仕事の成功と同居のお祝いです。お手持ちの残金で、美味しいものでも食べてきてはいかがですか?」
これでもかと笑顔を見せるクラウスの言葉に、私はぎくりとした。
残金。エリーゼから手付けとして受け取り、返済の残りで手元にある銀貨5枚(5,000円)のことだ。
今日の報酬は全額返済に回した。つまり、私が隠し持っているなけなしの金を、この男は完全に把握しているのだ。
財布の紐まで管理されているようで薄ら寒さを感じたが、私はそれを顔に出さずに頷いた。
「……ああ、そうさせてもらうよ」
†
クラウスに追い出されるようにして、私たちは夜の街へと繰り出した。
スラム街の屋台で売られているのは、腐りかけの野菜を煮込んだ汚泥のようなスープばかりだ。今日は祝いだ。とてもそんなものを食べる気にはなれない。
私たちはスラムを抜け、一般市民が暮らす区画にある定食屋へと向かった。ここならば、まともな食材を使った料理が食える。
私のジョッキにはエール、幼いリナのカップには果実水が注がれる。それと肉厚なソーセージ、煮込み料理を注文した。
「乾杯!」
コツンと木製の容器を合わせる。
今日くらいは贅沢をしてもバチは当たらないだろう。
私たちは予算の上限ギリギリまで飲み食いし、空腹と疲労を満たした。久しぶりにまともな食事にありつき、リナも幸せそうに頬を緩めている。
食事を終え、私たちはスラム街にある私の家へと帰宅した。
家といっても、スラムの隅にあるあばら家だ。
薄汚れた壁で隙間風の入りまくる間取り。家具らしい家具もなく、部屋の隅に私が使っている粗末な寝具があるだけ。
†
「狭くて悪いな。ここが私の家だ」
「いえ、雨露がしのげるだけで十分です。……お邪魔します」
私たちは狭い部屋で、互いの体温を感じられるほどの距離に寝具を並べた。リナの分は有り合わせの布や藁で整えた簡易的なものだ。
灯りを消すと、すぐに深い暗闇が訪れる。
隣からはリナの静かな寝息と、甘い匂いが漂ってくる。手を伸ばせば触れられる距離に、何も履かない狐獣人の少女がいる。
微かに動く三角の耳と、無防備に投げ出された尻尾。
心臓が早鐘を打つ。ドキドキとして眠れないのは私だけか?
「……おやすみなさい、カイトさん」
「あ、ああ! ……おやすみ」
今日は何も起こらない、起こらない! ただ並んで寝るだけだ……。
私は高鳴る鼓動を必死に鎮めながら、泥のように重い瞼を閉じた――。




