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第18話:情報漏洩(セキュリティ・リスク)

 馬車の車輪が石畳を噛む音が、久しぶりに聞く喧騒と共に響いてきた。


 私たちは1日をかけて、元いた拠点である街『メルテ』へと戻ってきた。


 道中、森で一泊の野営を挟んだが、行きとは違い野盗の襲撃もなく、驚くほど平穏な旅路だった。リナが不寝番をしてくれたおかげで、私は泥のように眠っていただけだが。


 街の入り口で馬車が止まると、エリーゼが振り返る。


「カイト、そして獣人の……リナといったかしら? 運搬ご苦労だったわ」


 彼女は革袋を取り出し、リナへと投げ渡した。中から硬貨が擦れ合う、重厚な音がする。


「こちらが報酬の残金よ」

「ありがとうございます、エリーゼ様!」


 リナが深々と頭を下げるのを見届け、エリーゼは私に視線を流した。


「カイト、貴方への支払いはありませんよ。出発前の手付金と、王都での依頼完了時に渡した残金で、契約通りの金額は全て渡しているのですから」

「はい、承知しています。……無事に送り届けられて何よりです」


 私は努めて冷静に答えた。

 懐が温まらないのは痛いが、あの金がなければ私は今頃、展開が悪ければ干からびた死体になっていただろう。契約は履行された。


 貴族街へ戻るエリーゼの馬車を見送り、私たちはその足で商工ギルドのメルテ支部へと向かった。

 リナが得た報酬の返済手続きと、私の帰還報告を行うためだ。



 †



 商工ギルドでは総合受付ではなく、私たちは直接二階へと上がった。絨毯が敷かれたこのフロアには、高額納税者や特別な案件を扱う応接室がある。


 指定された部屋の扉をノックすると、落ち着いた声が返ってきた。


「どうぞ」


 入室すると、革張りのソファにギルド幹部のクラウスが座っていた。彼は装着している片眼鏡モノクルの位置を指で直しながら、値踏みするような視線を私たちに向ける。


「お帰りなさい、カイト様、リナ様。……五体満足で何よりですね」

「……依頼は完了したぞ」


 私が答えると、クラウスは顎でテーブルを示した。

 リナが無言で歩み寄り、先ほど受け取ったばかりの革袋を置く。


「返済です」

「確認しましょう」


 クラウスは手際よく金貨を確認すると、空中に展開したウィンドウを操作した。


 彼が操作を終えてリナに視線を向けると、リナはウィンドウを確認し、小さく頷いた。どうやら、返済処理は滞りなく終わったようだ。


 問題は、私だ。


「さて、カイト様。貴方の『特例措置』――リブル村滞在中の利息停止についてですが」


 クラウスの声が、事務的な響きを帯びる。


「把握済みでしょうが念のため。あちらを出発した時点で、措置は終了しています。つまり、ここへ戻るまでの1日、24時間分の利息は当然発生しており、貴方のプールから差し引かれていますよ」


 彼が卓上の魔道具に指を走らせると、嵌め込まれた水晶板に光る文字が浮かび上がった。


 そこには、現実という名の数字が突きつけられていた。



【現在の借金状況】

 借金総額:54,921,437円

 (※魂の限界まで残り:0円)

 将来利息プール:103,240円

 次回、生命力徴収開始予測:約4時間30分後

 現在の利息:毎秒 約6.36円



 背筋が凍った。

 リブル村を出発した時点では、プールには65万円ほどの余裕があったはずだ。


 だが、帰路の移動時間――その24時間分の利息(約55万円)が、容赦なくプールから消失していた。

 残りは約10万円。時間にして、わずか4時間半。


 今日中に、それも今すぐに次の金を稼がなければ、またあの「心臓を鷲掴みにされる痛み」が始まる。


「……余裕なんて、どこにもないんだな」

「自覚がおありで何よりです。貴方には休んでいる暇などない。馬車馬などいうチンケな言葉では語れない、まさに奴隷としての働きをしないといけない、ということですよ」


 クラウスは組んだ手の甲を顎に乗せ、声を潜めた。


「それとですね。リブル村の地下倉庫で拾ったと言っていた羊皮紙……覚えていますか?」

「ああ。泥水に浸かっていたから読めなかったが」

「ええ。特殊な魔導乾燥処理を施し、判読可能になりました」


 クラウスの片眼鏡の奥が、鋭く光る。


「内容は伏せますが……これ一枚で、この商工ギルドが崩壊しかねない機密事項が記されていました」


 ごくり、と喉が鳴った。

 ただのゴミだと思っていたものが、とんでもない『爆弾』だったらしい。


「本来ならば、未然に流出を防いだ功労者として相応の報奨を与えるべき案件です。ですが――」


 彼は淡々と言い放つ。


「貴方の立場上、公に英雄扱いはできません。多額の負債を抱えた奴隷が組織の危機を救ったなど、対外的には示しがつかないのですよ」


 それはそうだろう。私は社会の、いや転生しているのだから世界の最底辺か。一方の彼は組織の幹部だ。


 だが、見返りがゼロというわけではないらしい。クラウスは一枚の書類を提示した。


「これまでの活動実績、および今回の貢献を加味し、貴方に『Cランク相当』の依頼受注を許可しましょう」

「Cランク……か」


 私の声が上ずった。

 Dランクよりもさらに上。ということは報酬額は跳ね上がり、金貨数枚(数十万円)が当たり前になるのだろうか。今のこの切羽詰まった状況を打開するには、喉から手が出るほど欲しい権利だ。


「ただし、単独での受注は認めません。必ずリナ様とパーティを組んだ状態であることが条件です」


 私は横にいるリナを見た。


「リナ、どう思う? Cランクなら、もっと効率よく返済ができるかもしれない」


 しかし、リナは即座に首を横に振った。その瞳に迷いはない。


「だめです。カイトさんには、まだ早すぎます」

「……やっぱり、そうか」


 自覚はしていたつもりだが、リナにこうも斬り捨てられると涙も出てこない。


「はい。今回の移動中もそうでしたが、カイトさんは基礎体力が足りていません。Cランクの討伐対象になれば、一撃を受け止めることすらできないでしょう。私がカバーするにも限度があります」


 彼女の言葉に、反論の余地はなかった。


 これまで生き残ってこられたのは、リナが私の不手際を全てカバーし、私の前に立ってくれていたからだ。彼女がいなければ、私はとっくに野垂れ死んでいる。


 金は欲しい。だが、借金を返すために命を捨てていては元も子もない。


「……わかった。リナがそう言うなら、まだ早いんだな」

「はい。今はまだ」


 私はリナに頷いてから、クラウスに向き直った。


「そういうわけだ。Cランクへの挑戦は保留にする」

「賢明なご判断ですね」


 クラウスは表情を変えずに頷いた。試されていたのかもしれない。


「今の私たちが受けられる中で、一番実入りのいい仕事を……それも、今すぐ終わって現金になる仕事がほしい。利息を払うだけで精一杯なのは、もう御免だからな」

「ふむ。ならば、これはどうでしょう」


 クラウスが提示したのは、Dランク相当の採取依頼だった。


「場所は街からほど近い裏山の洞窟付近。片道1、2時間で済む距離ですよ」


 私は土地勘がないため、隣のリナに視線を向けた。


「リナ、そんなに近いのか?」

「はい。北門を出てすぐの場所ですから、歩いてもそんなに時間はかかりません」


 リナがそう言うなら間違いないだろう。

 クラウスが続ける。


「希少な苔の採取です。危険度はそこそこですが、お二人なら問題ないでしょう。何より、近場で済む割に報酬が高い」


 提示された報酬額は、金貨8枚(800,000円)。


「報酬は規定通り、パーティメンバーそれぞれに同額が支払われます。一人につき金貨8枚ですね」


 つまり、私が受け取れるのは金貨8枚(800,000円)。


 往復と作業で数時間かかったとして、消費される利息は数万円程度。差し引き70万円以上が手元に残る計算になる。これなら、明日の朝どころか、明後日の昼まで生き延びられる。


「行こう。リナもいいかな?」

「はい。カイトさんの判断に従います」


 リナが信頼のこもった目で私を見上げる。

 依頼書にサインをし、私たちは部屋を後にした。


 止まっていた時計の針は、再び動き出した。


 休んでいる暇はない。次へ、次へと進まなければ、膨れ上がる数字に押し潰されてしまうのだから。



 †



 二人が部屋を出て行った後、クラウスはふぅと息を吐き、ソファの背もたれに深く体を預けた。


 脳裏に浮かぶのは、今朝早くに入った魔道具による通信だ。


 ――リブル村のギルド支部長からの緊急定時連絡。

 内容は、カイトが発見した羊皮紙の解読結果についてだった。


(……まさか、あんな重要アイテム(キー・アイテム)を「拾った」で済ませるとはね)


 クラウスは指先でテーブルを軽く叩く。

 そこには、過去数年間にわたる『帳簿外の資金移動』が詳細に記されていた。


 表向きはギルドの運営費や債権回収として処理されているが、その実態は、私が個人的に懐へ入れている裏金プールの記録だ。

 彼を担当したリブル村の職員が私のポーンで本当によかった。


(あれが外部、ましてや本部の敵対派閥の連中に漏れていれば、私のアカウントごとBAN……文字通りの社会的抹殺デリートだった)


 商工ギルドが崩壊する云々ではない。私が終わるのだ。


 それを未然に防ぎ、かつこちらの管理下に置いたという意味では、カイトの行動は評価に値する。彼自身は、自分が助けた相手が、自分を搾取している張本人だとは夢にも思っていないだろうが。


情報漏洩インフォメーション・リークのリスク管理としては、奴を手元に置いておくのが最善手ベスト・ムーブか)


 カイトは、単に金を稼ぐだけの資源産出のポーンではないらしい。


 私の致命傷になり得るバグを見つけてくる、厄介なラックを持っている。


 だからこそ、Cランクという「届きそうで届かない飴」を提示し、監視下で飼い殺しにする必要があるのだ。


(せいぜいあがいてくださいよ。私の盤面ボードを崩さない程度にね)


 クラウスは薄暗い部屋の中で、誰に見せるわけでもなく、口の端を歪めた。

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