第14話:王都への道程と夜闇の襲撃
石畳を叩く馬の蹄の音が、夜の静寂に響いていた。
私たちが乗り込んだのは、幌のついた荷馬車だ。
王都へ向かう車列は計3台。
先頭を行くのは、エリーゼとその執事、専属メイドたちが乗る立派な屋根付きの箱馬車。塗装も豪奢で、サスペンションも効いているのだろう、優雅に進んでいく。
2台目は、今回の護衛として雇われた冒険者たちの馬車。
そして最後尾の3台目が、私たち「荷物」の場所だ。
「……狭いな」
「はい。でも、カイトさんと一緒ですから」
私の隣で、リナが嬉しそうに身を寄せてくる。
荷台には、厳重に梱包された『皇帝薔薇』の鉢植えが鎮座しており、その隙間に私とリナ、そして屋敷から連れてこられた数人の下働き奴隷たちが押し込められていた。
振動が尻に直接響く。クッションなどない木の板だ。
だが、今の私の心は比較的穏やかだった。
(借金の猶予は、約2日と半日分……)
王都までは順調にいけば片道2日。
到着して荷下ろしを済ませれば、私たちが得られる報酬は一人あたり『金貨14枚(140万円)』。
向こうに着く頃には、前払いしたプールの残高はほぼゼロのタイミングになるはずだ。仕事を終えすぐに商工ギルド本部のカウンターへ駆け込めば間に合う。
「カイトさん、寒くないですか?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
リナが心配そうに私の顔を覗き込む。
夜風が冷たい。彼女の服装はいつものボロ着だ。下着をつけていないことは、先ほどの作業中の出来事や、彼女の経済状況から嫌というほど知っている。
(……私は、本当にどうかしている)
命がかかった借金生活の最中だというのに、隣に座るこの幼い少女の体温を感じて、情けないことに動揺している。
リナは私の腕にギュッと抱きついている。あばらが浮くほど痩せているわけではないが、ふくよかさとは無縁の、薄く華奢な体つきだ。
本来なら子供をあやすような感覚しか抱かないはずの感触。
だが、今の私には、その微かな柔らかさが腕に触れるだけで、罪悪感と背徳感が混ざり合った泥のような興奮が湧き上がってくる。
数時間の移動の後、車列は街道沿いの広場で一度停止した。
今日はここで野営を張るらしい。
冒険者たちが見張りを立て、私たち奴隷は水と干し肉だけの粗末な食事を摂って、泥のように眠った。
†
翌朝。
簡単な朝食を済ませると、すぐに移動が再開された。
日中は日差しがあり、荷台の中は蒸し暑くなった。
皇帝薔薇の機嫌を損ねないよう、私は定期的に魔力を感知しながら、葉の状態をチェックする。
「お前たち、変わりはないか?」
昼休憩の際、先頭の馬車からエリーゼが降りてきた。
純白のドレスは旅路の砂埃一つついていない。日傘を差したメイドを従え、彼女は冷ややかな目で私たちを見下ろした。
慌てて奴隷たちのまとめ役である年配の男が前に出て、恭しく頭を下げる。
「はっ、問題ありません。薔薇の状態も安定しています」
「そう。……お前たちのことなど聞いていないわ。薔薇に萎れや変色がないかを聞いているの」
エリーゼは鼻を鳴らし、私たちを一瞥もしない。
その視線がちらりと私のほうを掠めたが、すぐに興味なさそうに外された。以前屋敷で見せたような私への反応もなく、あからさまな侮蔑が含まれていた気がした。
(……やはり、貴族にとって奴隷など道具以下か)
私は心の中で溜息をつく。
昨日の今日で急に態度が冷たくなった気がするが、おそらく虫の居所が悪いのだろう。
まさか、昨日の作業中に私がリナのスカートの中を凝視していたことになど、気づかれているはずがない。そもそも、あれは一瞬の事故だったし……。
「そこの獣人もよ。私の薔薇に変な病気を移さないようにしなさい」
「は、はいっ! 申し訳ありません、エリーゼ様!」
リナがビクリと肩を震わせて頭を下げる。
エリーゼは踵を返し、優雅な足取りで自らの馬車へと戻っていった。
「……怖かったですね、カイトさん」
「ああ。だが、仕事さえしていれば文句は言われないはずだ」
私たちは再び荷馬車に揺られ、王都を目指した。
リナに聞いていた情報では、今日の夜には王都へ到着するはずだ。
†
しかし、その日の夜。
王都の灯りが見えるどころか、車列は街道から少し外れた森の近くで止まった。
(……おい、ここで2度目の野営だと?)
焚き火の準備が始まる中、私は気が気ではなかった。
猶予は十分にとったつもりだが、到着が明日の朝にずれ込めば、それだけ「死」が近づく。
リナの話では片道2日。今日中に着く計算だったが、大人数の移動や貴族の優雅な休憩頻度が、私の想定よりも時間を食っていたらしい。
そんな私の焦りなどお構いなしに、夜は更けていく。
冒険者たちは交代で見張りを立てていたが、どこか空気が弛緩していた。王都に近い街道は比較的安全だとされているからだ。
だが、その油断が仇となった。
「敵襲ッ!」
「数は10、いや15だ!」
見張りの叫び声と共に、闇の中から矢が飛んできた。
ドスッ、と馬車の側面に矢が突き刺さる。
野盗だ。
「ヒッ……!」
「落ち着け! 円陣を組め! エリーゼ様の馬車を守れ!」
私は情けない悲鳴を上げて荷台の下に潜り込んだ。
戦う力なんてない。魔力もない、武器もない、あるのは借金だけだ。
冒険者たちが抜刀し、襲撃者たちと斬り結ぶ音が響く。金属音、怒号、そして悲鳴。
震える私の視界の端で、銀色の影が飛び出した。
「カイトさんには、指一本触れさせないっ!」
リナだ。
彼女は錆びついたショートソードを逆手に持ち、獣人特有の俊敏さで地面を蹴った。
野盗の一人が、荷台の下にいる私に気づいて剣を振り上げた瞬間だった。
「シッ!」
リナの身体が低く沈み込み、野盗の懐へ飛び込む。
今日もリナは速い。
錆びた刃が野盗の太ももの肉を深く切り裂いた。
「ぐああっ!?」
野盗が崩れ落ちる。
リナは返り血を浴びながら、次の敵へと視線を向けた。その動きに合わせて、短い服の裾が大きく翻る。
焚き火の明かりに照らされ、彼女の無防備な部分が夜闇に白く浮かび上がった。
「あ……」
命のやり取りをしている最中だというのに、私の目は釘付けになった。
躍動するたびに露わになる、健康的な太もものライン。そしてその奥の、深い闇に包まれた一瞬の肌色。
恐怖で縮み上がっていたはずの心臓が、別の意味で早鐘を打ち始める。
(見え……いや、ダメだ。だが、目が離せない……)
リナが回転しながら敵の攻撃を避ける。遠心力で裾が舞い上がり、そこにあるべき布地が存在しない事実を、私の網膜へ容赦なく叩き込んでくる。
私は荷台の下から、その光景を目に焼き付けるように凝視していた。
混乱と恐怖の極限状態で、私の脳は現実逃避するように彼女の肢体を追いかけていた。誰も私になど注目していないはずだ。この暗闇と混乱の中なら、私の視線など誰にも気づかれない。
――その時、ふと視線を感じて顔を上げると、護衛対象の馬車の窓からエリーゼが戦況を眺めていた。
彼女はこちらを見ているようだったが、すぐに表情を険しくして視線を逸らした。
(……今、目が合ったか? いや、戦っているリナを見ていたのだろう)
彼女の軽蔑しきったような表情が気になったが、それはおそらく、泥臭く戦う獣人や、荷台の下で震えている無様な私に向けられたものだろう。まさか、私が見てはいけないものを見ていたことに気づかれたわけではないはずだ。
リナは敵を牽制しつつ、チラリと私の方を見た。
私の視線に気づいたのか、リナの口元が微かに緩んだ。
(カイトさんが、見てる……! 私の戦う姿を、私を見てくれている!)
彼女の動きにさらにキレが増した。
結局、戦闘は冒険者たちの圧勝だった。彼らは手練れだ。野盗たちは半数以上が負傷し、撤退していった。
「追うな! 深追いは危険だ!」
冒険者のリーダーが声を張り上げる。
実際は、捕縛して王都まで連行する手間と、衛兵への引き渡しの手続きを嫌っただけなのだが、私たちはそんなことは知る由もない。
†
戦闘後、簡単な戦利品の分配が行われていた。
野盗が落としていった武器や、小銭の入った革袋だ。
「おい、そこの狐の嬢ちゃん。いい動きだったな」
冒険者のリーダーが、リナに銀貨2枚(2,000円)を放り投げた。
本来の取り分からすれば端金もいいところだが、奴隷の身分で分け前がもらえるだけ異例中の異例なのだろう。
「ありがとうございます!」
「……リナ、怪我はないか?」
私がのこのこと這い出すと、エリーゼが冷たい声で言い放った。
「獣人は役に立ったようね。……それに比べて、カイトは本当にただの『重り』のようだけれど」
「……面目次第もございません」
私は頭を下げるしかなかった。やはり、戦わずに隠れていたことが不興を買ったようだ。
だが、リナが私の袖を掴み、耳元で嬉しそうに囁く。
「カイトさん、銀貨2枚も貰えましたよ! これで利息が少し払えます!」
その健気さと、先ほどまで見せつけていた痴態のギャップに、私は生返事をしながら、まだ網膜に残る淡い肌色の残像を反芻していた。
†
翌朝。
予定よりも少し遅れ気味だったが、馬車は王都の巨大な城壁をその視界に捉えた。
朝日を浴びて輝く王都の威容。
だが、私の顔色は優れない。
頭の中で計算した借金の残高と経過時間が、無慈悲な現実を告げていたからだ。
「……急がないと、またあの激痛だ」
王都の門をくぐる手続きの列が、酷く長く見えた。
【現在の借金状況】
借金総額:54,889,010円
(※魂の限界まで残り:32,427円)
将来利息プール:0円(枯渇済み)
次回、生命力徴収開始予測:約1時間25分後
現在の利息:毎秒 約6.36円




