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第13話:計算された出発

 早朝のエリーゼ邸中庭。冷たく澄んだ空気が漂う中、俺たちのいる馬車の荷台だけは、むせ返るような甘い香りと、異様な緊張感に満ちていた。


「か、カイトさんっ……! 助けてぇ……っ!」


 リナが情けない声を上げる。

 俺たちが積み込もうとしている『皇帝薔薇カイザー・ローゼ』が、まるで生き物のように暴れているのだ。


 棘のない太い蔦が、リナの足首を掴み、執拗に這い上がっていく。


「こら、じっとしてろよ。リナが困ってるだろ」


 俺は口では注意しつつも、手を貸そうとはしなかった。

 なぜなら、目の前の光景が非常に眼福だからだ。


「んっ、あ……! そこ、だめぇ……!」


 リナが蔦を解こうともがくたびに、着古したスカートが大きく捲れ上がる。


 貧乏な俺たちに、下着を買う余裕などない。リナは今日もノーパンだ。

 蔦が太ももの内側を這うたびに、チラチラと際どいラインが見え隠れする。俺はその光景を、荷物を固定するふりをしながら凝視していた。


(いいぞ、もっとやれ……この薔薇、意外と気が利くな)


 俺の鼻の下は、だらしなく伸びきっていた。仕事の疲れも借金のストレスも、この「役得」で少しは飛びそうだ。



 †



(……最低)


 少し離れた場所で指揮を執っていたエリーゼは、氷のような冷徹な瞳でその一部始終を見ていた。


 彼女の目には、荷運び人としてのカイトの働きぶりではなく、その卑しい人間性が映っていた。


(魔植物に襲われている仲間を助けもせず、あんな幼い子を、あんないやらしい目で見ているなんて……。あれじゃただのロリコンよ。所詮は底辺のゴミね。少しは使えるかと思ったけれど、品性は金では買えないということかしら)


 エリーゼの中で、カイトへの好感度が音を立てて下がっていく。


 彼女は汚いものを見るように視線を逸らすと、手元のリストに何かを書き込みながら、小さくため息をついた。



 †



 一方、当のリナは、羞恥と別の感情で頭がくらくらしていた。


(あぅ……カイトさん、見てる。すっごい見てる……!)


 太ももに絡みつく蔦の感触も不快だが、それ以上に、カイトのねっとりとした視線が肌に突き刺さるようだった。


 リナにとって、カイトは同じ借金地獄でもがくパーティメンバーであり、自分を救ってくれた大切な人だ。


 お金がなくて下着が買えず、服の隙間から異性にいやらしい目で見られることは恥ずかしい。けれど、カイトに見られていると思うと、身体の奥が熱くなる。


(もし、全部見えちゃったら……カイトさん、どう思うかな。喜んでくれるかな……?)


 普通なら嫌悪感を抱く場面かもしれない。だが、リナの思考は既に「カイトに必要とされること」に依存しきっている。


 たとえそれが、いやらしい視線であっても、彼女にとっては「自分への関心」であり、ご褒美に等しかった。

 好感度が下がるどころか、リナは期待に胸を高鳴らせていた。



 †



 すっかり日が落ち、夜の帳が下りる頃、ようやく積み込み作業が完了した。


 俺の心臓は、先ほどから嫌なリズムで脈打っている。


 過労のせいではない。タイムリミットが迫っているからだ。


(まずい……時間がかかりすぎた)


 今朝、屋敷に来た時点での借金総額は約5,464万円。限界まで残り約27万円の猶予しかなくなるはずだ。

 そこから半日(約12時間)が経過している。


 1日あたりの利息が約53万円強。その半分、約26万円の利息が、作業中にも容赦なく加算され続けている。


 つまり、今の残存猶予は1万円を切っているであろう。

 時間にして残り数十分。


 もし今、ここでつまずいて時間を浪費すれば、借金総額が『魂の限界値』を突破する。


 そうなれば即座に『徴収』が始まり、俺の体は鉛のように重くなり、絶え間ない倦怠感と鈍痛に苛まれることになる。仕事どころではない。


「急ぐぞリナ! ギルドへ走れ!」

「は、はいっ!」


 俺たちは馬車を待たせ、商工ギルドへと全力疾走した。



 †



 ギルドの2階、夜間対応も兼ねた応接室に滑り込む。

 息を切らす俺の前には、涼しい顔をしたクラウスが待っていた。


「おや、随分と慌ただしい出発ですね、カイト様」

「ハァ、ハァ……! 無駄話はいい! 今すぐ返済だ!」


 俺は懐から、今朝エリーゼから受け取った前払い報酬の入った革袋を取り出し、テーブルに叩きつけた。

 中身は金貨14枚(140万円)。


「ここから銀貨5枚(5,000円)だけ戻してくれ! 残りは全額、利息の支払いに充てる! 余剰金はすべてプールだ、元金返済には回すな!」


 元金を減らしても、すぐに利息で埋まってしまう。

 今は「将来利息プール」枠に現金をぶち込み、自動引き落とし期間を確保することで、確実な「安全な時間」を買う。


 クラウスは俺の必死な形相を見て、珍しく嫌味も言わず迅速に動いた。

 手元の金庫から銀貨5枚を取り出し、革袋と交換する。


「承知いたしました。残り139万5,000円、ただちに処理します」


 彼が水晶玉に手をかざした瞬間、俺の胸の奥でチリチリと燻っていた焦燥感が、フッと軽くなった。

 間に合ったのだ。



【本日の清算処理】

 借金元本:54,642,837円(※変動なし)

 当日発生利息(約12時間分):267,413円

 返済投入額:1,395,000円

【処理実行】

 利息充当:完了

 生命力回収:回避

【余剰金配分】

 将来利息プール:1,127,587円

【計算結果】

 借金元本(維持):54,642,837円

 プール残高による猶予期間:約2.1日

 魂の限界までの猶予:約0.5日分

 次回、生命力徴収開始予測:合計 約2日と15時間後



「……はあ、はあ……危なかった……」


 俺はその場に膝をついた。

 表示された数値を見て、脂汗が滲む。支払う直前、俺の借金に26万円以上の利息がのしかかり、限界まで残り1万円強に迫っていた。


 あと20分遅れていたら、『徴収』が始まり、王都への旅路はずっと身体の芯が削られるような苦痛との戦いになっていただろう。


「金貨14枚近くをプールして、買えた安全は『2.6日分』……。王都に着いて半日もすれば、プール金が尽きて、また猶予を食いつぶし始める計算か」


 王都への到着は順調にいって2日後。

 つまり、向こうに着いた時点で、安全マージンは残り数時間となっている。


 到着した瞬間に荷下ろしを終え、エリーゼから報酬をもらわなければアウトだ。


「向こうに着いたら、悠長に観光している暇はありませんね」


 クラウスは楽しそうに微笑んだ。


「確認だが、王都の商工ギルドでも返済は可能なんだよな?」


「もちろんです。王都にある『商工ギルド本部』のカウンターで返済いただければ、問題ありません」

「ならいい。向こうに着いたら大至急荷下ろしを終わらせて、エリーゼから残りの金を受け取る。そして、その足でギルド本部へ駆け込むさ」


 完全な自転車操業だ。だが、やるしかない。


「いってらっしゃいませ。……本部の方にも、貴方のことは伝えておきましょう」


 その言葉に含みを感じたが、今は追求している時間はない。

 俺は短く礼を言い、部屋を後にした。



 †



 支払いを終え、俺たちは馬車に戻った。


 荷台にはあの『皇帝薔薇』が鎮座し、その周囲を護衛の冒険者たちや、他の荷運び用の奴隷たちが囲んでいる。


 エリーゼもまた、御者台の隣にある上等な席に座り、懐中時計を見ていた。


「遅いわよ。……まあいいわ、出すわよ」


 彼女の号令で、御者が鞭を振るう。

 馬車がガタリと動き出し、夜の街道へと進み始めた。


 俺とリナは、荷台の隅、薔薇のすぐそばに腰を下ろした。


「いよいよですね、カイトさん! 王都、楽しみです!」


 リナは無邪気にはしゃいでいる。その笑顔の裏で、俺のポケットには銀貨5枚(5,000円)しかなく、あと2日半でまた『徴収』の恐怖が始まることも知らずに。

 遠ざかる街並みの灯りを見つめながら、俺は強く拳を握りしめた。


 絶対に、生きて戻る。そしていつか、このふざけた借金を完済してやる。

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