第11話:泥だらけの相棒と、銀貨の晩餐
翌日、私は再び商工ギルドの受付に立っていた。
なんでも、リナが来るまで待てというのだ。
待てと言うのも、昨日、門前払いを食らったあの窓口であり、不信感も沸く。だが今日は、受付嬢の対応が昨日とは打って変わっていた。
日が完全に昇り、今日はリナは来ないのかと思う時間に、彼女は呑気にやってきた。
「――以上が、本日よりあなた方に適用される『パーティ制度』の説明です。カイト様、リナ様」
事務的な口調で告げられた内容は、簡潔に言えば「債務者同士、運命共同体となれ」という制度だった。
お互いの借金返済義務を一部連帯保証し合うことで、ギルド側の貸し倒れリスクを分散させる。その代償として、単独では許可されなかった高ランク帯の依頼へのアクセス権が付与される。
「ランクについて補足します。当ギルド、および提携する冒険者ギルドの依頼はSからEまでの6段階で格付けされています」
受付嬢が指を折って説明する。
通常、戦闘能力の低い商工ギルドの登録者や、私のような一般人は、安全が保障された『Eランク』――街中の清掃や荷運びなど――しか受注が許されない。
「ですが、パーティ申請を行った場合、危険手当が含まれる『Dランク相当』の案件が受注可能になります」
Dランク。それは、街の外へ出る採取任務や、下水道の害獣駆除など、明確な「死の危険」が伴う領域だ。
本来なら、専門の訓練を受けた冒険者でなければ許可されない。
「通常、この窓口ではご紹介できない案件ですが……本日は紹介の許可が下りております」
受付嬢が意味ありげに視線を上に向けた。
『上』。間違いなく、あの片眼鏡の男――私の担当である、あの債権者だ。
昨日の今日でこの手回しだ。私たちがパーティを組むように仕向け、稼げる環境を強制的に整えたのだろう。
「金がないなら稼げ。そのための舞台は用意してやった」という、無言の圧力を感じる。
「こちらになります」
提示された羊皮紙には、『地下水道区画の汚泥除去、および巨大鼠の巣の駆除』とあった。
発行元には『冒険者ギルド』の印章が押されている。プライドの高い冒険者が嫌がる汚れ仕事が、私たちに回ってきたのだ。
だが、目を疑ったのはその報酬額だ。
報酬は、私とリナそれぞれに『金貨3枚(約300,000円)』。
二人合わせれば金貨6枚(約600,000円)相当になる。
思わず息を呑んだ。
今の私の借金(約5,200万円)が生み出す1日の利息は、約52万円。
つまり、私一人の稼ぎ(30万円)では利息すら払えないが、リナの分も合わせれば、利息を払ってお釣りが来る金額だ。
……恐ろしい計算式が脳裏をよぎる。
もし私が、リナを脅してその報酬を巻き上げれば、私は「死」から遠ざかることができる。
これが、パーティ制度の真意か。私たちに協力を強いると同時に、互いを「金づる」として見させる悪魔のシステム。
「……金額が、高すぎませんか?」
リナがやや警戒しながら尋ねると、受付嬢は「食いついた」とばかりに話を続ける。
「Dランクとはいえ、危険手当が含まれますから。それに、今のあなたは『二人』です」
「……?」
(『二人』って、私はまだカイトさんと結婚はしてないのに)
受付嬢は淡々と答えた。
これが「餌」か。貴族の機嫌を伺う博打を打たずとも、パーティさえ組めば、この金額に手が届く。
私はチラリと隣のリナを見た。
銀色の髪に、ふわふわと動く狐耳。スラムの汚れにまみれてはいるが、その愛らしさは隠せない。
彼女を搾取の対象として見るか、それとも――。
正直なところ、むさ苦しい男と組まされるより百倍マシだ。
赤の他人同士とはいえ、未成熟な異性が側にいて、私を信頼した目で見てくれる。男として、その事実に悪い気はしない。
むしろ、殺伐とした借金生活における唯一の潤いと言ってもいいかもしれない。
「……やるぞ、リナ」
「はい、カイトさん! すごいです、こんな大金……!」
リナは純粋に驚き、私の後ろで期待に目を輝かせていた。
その無防備な信頼を裏切る気には、なれなかった。少なくとも、今は。
†
現場は、鼻が曲がりそうなほどの悪臭に満ちていた。
膝まである泥のような汚水をかき分け、水路を塞ぐ瓦礫やゴミを撤去する。だが、今回のメインはそれではない。
「ッ、カイトさん! 右です!」
リナの鋭い警告に、私は反射的に身を屈めた。
頭上を、濡れた雑巾のような何かが飛び越えていく。巨大なドブネズミだ。中型犬ほどの大きさがある怪物が、群れを成して襲いかかってくる。
これが、Dランクの現実か。
「く、そ……ッ!」
私は錆びついた鉄パイプを滅茶苦茶に振り回した。
体力も武術もない。あるのは、死にたくないという執着だけ。
ドブネズミが着地し、私に飛びかかろうとした瞬間、横合いから銀色の影が疾走した。
「やぁっ!」
リナだ。彼女は泥に足を取られることもなく、獣人特有のバネで踏み込むと、手に持った刃物を閃かせた。
かなり前から使っているのだろう。刃こぼれしたショートソードだ。だが、小柄な彼女にはその長さが丁度いいのか、踊るようにネズミの懐へ潜り込むと、正確に急所を切り裂いた。
ネズミが痙攣して動かなくなる。
「はぁ、はぁ……助かった、リナ」
「いえ、カイトさんが注意を引いてくれたおかげです」
リナは荒い息を吐きながらも、気丈に微笑んだ。その頬には泥が跳ねている。
確かに、これは一人では無理だ。私が囮になり、リナが仕留める。
高額報酬には理由がある。常に死と隣り合わせの領域なのだ。
(……足手まといは私の方か)
自身の無力さを噛み締めながら、私は震える手で次の瓦礫に手を伸ばした。
だが、稼げる。この恐怖と疲労に耐えれば、金が手に入る。
私たちは泥まみれになりながら、互いに声をかけ合い、どうにか作業を完遂させた。
†
夕暮れ時、ギルドのカウンターで報酬を受け取る。
ずしりとした重み。
金貨3枚が私の掌に、そして同額がリナの掌に乗せられた。
「お疲れ様でした。カイト様、リナ様。これより2階『特別応接室』へご移動をお願いします」
受付嬢が恭しく言った。
「えっ……カイトさんも、2階へ行くんですか?」
隣でリナが驚いたように私を見上げた。
無理もない。このギルドの2階は、明らかに1階の一般窓口とは空気が違う。重厚な内装に、静まり返った廊下。
私のような薄汚れた男が、こんな場所に通い慣れていることが意外なのだろう。
「……ああ。私の返済場所は、あそこなんだ」
隠しても仕方がない。私は苦い顔で肯定し、階段へと足を向けた。
リナがおずおずと私の後ろをついてくる。
2階へ上がり、重厚な扉の前に立つ。
そこには、制服を着た別の職員が待機していた。
「失礼致します、クラウス様」
クラウス?
聞き覚えのない名だ。だが、この部屋で待っている人物といえば、一人しかいない。
あの片眼鏡の男か。初めて名前を知った。
意を決して扉をくぐる。
瞬間、冷ややかな空気が肌を刺した。
「――おや。戻られましたか」
窓際に立ち、優雅に書類をめくっていたのは、やはりあの男。
商工ギルドの幹部にして、私の借金の担当者。そして、私たちをこのパーティ制度という檻に押し込んだ張本人、クラウスと呼ばれた男だ。
「報告は受けていますよ。初任務でのDランク案件達成、素晴らしい成果です。私の見立て通り、あなた方は相性がいい」
クラウスは理知的な笑みを浮かべ、手でソファを勧めた。だが、その瞳の奥には温度がない。
私は逃げ出したくなる衝動を抑え、部屋の中央に鎮座する黒い石板――返済用魔道具の前に立つ。
手の中にあるのは30万円。大金だ。
だが、今の私の借金状況では、これを選べる余地はない。
今日の利息(約52万円)に対し、手持ちは30万円。足りない。
全額を利息支払いに充てるしかない。
「……利息の支払いを頼む」
私は男の視線を感じながら、自分の金貨だけを石板に置いた。
硬貨が光の粒子となって吸い込まれる。
直後、空中に冷酷な数字が羅列された。
【本日の清算処理】
発生利息:524,706円
返済投入額:300,000円
(※全額利息充当)
不足金:224,706円
【処理実行】
利息充当:一部完了(未達)
生命力回収(回復):対象外(リミット未達のため)
【処理続行】
借金総額(前日):52,470,651円
借金総額(更新):52,695,357円
現在の利息(更新):毎秒 約6.10円
「……は、はは」
乾いた笑いが漏れた。
金貨3枚を稼いでも、1日の利息の6割程度にしかならない。
当然、元金など1円も減らない。
昨日より借金総額は約22万円増えている。
命がけでドブをさらって、ネズミと殺し合いをして、それでも借金は増え続ける。
ふと、クラウスが満足げに頷くのが見えた。
(……ああ、美しい)
彼には声に出さずとも伝わってくる。
私の絶望する顔と、増え続ける数字。それこそが彼にとっての「成果」なのだ。
『金貨』という強烈な成功体験を与えつつ、それでも『利息』という絶望で殴りつける。
完済というゴールをちらつかせながら、実際には永遠にたどり着けないランニングマシン。
この男は、私を生かさず殺さず、永遠にこの地獄を走らせるつもりなのだ。
「惜しいですね、カイト様。あと少しで一日の利息に届いたのですが」
クラウスは芝居がかった口調で嘆いてみせる。
「ですが、ご安心を。パーティとしての実績を積めば、さらに高難易度の依頼も回せます。そうすれば、いつかは利息を超えられる日が来る……かもしれませんよ?」
「……ああ、せいぜい精進するさ」
私は奥歯を噛み締めながら答えた。
嘘だ。お前は、私たちがその「いつか」に到達しないよう、また次の依頼を用意するつもりだ。
「……あの、カイトさん」
絶望に立ち尽くす私の横で、リナが遠慮がちに声を上げてきた。
彼女も別の石板で処理を終えたようだ。
見れば、彼女は報酬のほとんどを返済に回し、返された銀貨数枚だけを手元に残して握りしめている。
「全額返済しなくていいのか? 利息が増えるぞ」
私は力なく忠告した。この男の前でそんな「無駄遣い」を見せれば、どんな嫌味を言われるか分からない。
だが、リナは少し上目遣いに私を見ると、握りしめた硬貨を胸元に寄せた。慎ましい膨らみが眩しい。
「はい。でも……今日は、その」
彼女ははにかむように言った。
「今日は、カイトさんと一緒に頑張った、初めてのパーティ記念ですから」
その言葉に、クラウスが眉をピクリと動かした。
『愚かだ』。そう言いたげな目だ。効率を考えれば、その銀貨も返済に回すべきだと。
だが、今日のような死線を潜り抜け、絶望的な数字を見せつけられた後だ。
何か「生きた証」を感じなければ、私たちは明日以降、ギルドに来る気力さえ失ってしまうかもしれない。
「美味しいものを、買いに行きませんか? 私が奢りますから」
その言葉に、私は虚を突かれた。
借金奴隷が、借金奴隷に奢る。しかも、本来なら私が守らなければならない年下の少女に。
リナの報酬を奪えば、今日の利息は払えたかもしれない。そんなことを一瞬でも考えていた自分が恥ずかしくなる。
泥と汗にまみれた彼女の笑顔を見て、私は溜め息と共に肩の力を抜いた。
「……奢りなら、断る理由はないな」
リナはクラウスの方に向き直り、一礼した。
「失礼します!」
「ええ、期待していますよ」
クラウスの薄ら寒い声を背に、私たちは重苦しいギルドを後にする。
外に出ると、夕闇が街を包み始めていた。
私はいつものようにスラムの路地へ向かおうとしたが、前を行くリナがくるりと振り返った。
「カイトさん、こっちです!」
「え? そっちは……」
リナが指差したのは、街灯が灯り始めた大通り――一般市民が暮らす市街地エリアだ。
そうだ、スラムにはまともな飲食店など存在しない。温かい食事にありつこうと思えば、必然的にこちらへ来るしかない。
「あの、カイトさん……お店、私、行ってみたいところがあって」
「……そうか。でも、こっちは高いぞ?」
私が遠慮がちに言うと、リナは汚れた手の中にある、綺麗な銀貨を見せて微笑んだ。
「大丈夫です。今日は特別な日ですから!」
その笑顔に、私は言葉を飲み込んだ。
一般市民にとって、屋台での食事など最底辺の安い外食に過ぎない。椅子とテーブルがある店に入ることこそが「普通」の食事だ。
だが、私たち借金奴隷にとっては違う。
金のない時は、この通りに来てもゴミを漁るしかなかった。汚れた服で店先を通れば、水をかけられ追い払われるのがオチだ。
けれど今のリナの手には銀貨がある。
金さえあれば、スラムの住人でも「屋台の客」としてなら扱われる。それがこの街のルールだ。
「……わかった。案内してくれ」
「はいっ!」
リナの尻尾が嬉しそうに揺れ、彼女は軽い足取りで歩き出した。
奢られる立場の私が文句を言う筋合いはない。ここは彼女の顔を立て、素直に相伴に預かるのが礼儀だろう。
周囲の視線を少し気にしながらも、私たちは屋台街へとたどり着く。
そこには、肉が焼ける香ばしい匂いが漂っていた。
リナが銀貨を支払い、私たちは熱々の串焼き肉を受け取る。店主は嫌な顔ひとつせず、銀貨の輝きに笑顔を返した。
「……美味しい」
肉を頬張り、リナが破顔した。
今日だけは、泥水や残飯の味ではなく、温かい肉の味を知ることができる。
それは、終わりのない借金地獄の中で、債権者の掌の上とはいえ、私たちが自力で勝ち取ったささやかな晩餐だった。




