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4. 異世界の最初の夜

挿絵(By みてみん)


川のせせらぎが静かに響く。まるで世界そのものの呼吸のように、柔らかく、穏やかに。


俺は浅瀬の縁に立ち、手には木の槍――いや、槍“のようなもの”を握っていた。

拾った長い枝の先を削って尖らせただけだが、この異世界で迎える一日目にしては、悪くない即席の武器だ。


「もう一度だ」

そう小さく呟き、透き通る水面へと視線を研ぎ澄ます。


銀色の魚が一瞬、足元をかすめるように泳ぎ抜けた。

息を止め――「はっ!」


槍を突き出す。

小さく水しぶきが上がり、引き上げた先には手のひらほどの魚が、枝の先でびちびちと跳ねていた。


「よし」

安堵の息を吐く。「あと一匹で今夜は十分だな」


何度かの試みのあと、三匹の魚が平たい岩の上に並んだ。

月明かりを受けて、濡れた鱗が鈍く光る。


川辺を渡る夜風が頬を撫でた。

俺は乾いた枝や落ち葉を集め、小さな円を作るように積み上げる。


ジーンズのポケットに手を突っ込むと、指先が冷たい金属に触れた。胸の奥が少し軽くなる。

「残ってたか……」


小さく呟く。――ライターだ。

一度クリック。火花が散る。二度目で――ふっと、橙色の炎が立ち上がり、乾いた葉を舐め、枝へと燃え広がっていく。


俺は魚を刺した細枝を地面に立て、火を囲むように並べた。

脂が落ち、じゅうっと音を立てる。

その音が、妙に心を落ち着かせる。


「こうしてると……キャンプしてるみたいだな」

自嘲気味に笑いながら、俺は炎の揺らめきを見つめた。


視線の先――川の水面に、二つの月が映っている。

ひとつは淡い青。もうひとつは白銀。

手を伸ばせば届きそうなほど近く、静かに並んで夜空に浮かんでいた。


「昼には二つの太陽、夜には二つの月か……。一体、どんな世界なんだここは」


火の揺らめきが瞳に映る。魚はまだ焼き上がっていないが、香ばしい匂いが夜気に溶けて広がる。

脂が弾ける音が、やけに生命感を帯びていた。


俺は少し背をもたせかけ、空を見上げる。

二つの月は、まるでこの地を見守るように、ゆっくりと並んで動いていた。


思考が回り出す。

戦場で染みついた習慣――状況を整理し、次の一手を考える。

それはどんな世界にいようと変わらない。


「まずは……」

指を一本立てる。「寝る場所を確保しないとな」


周囲を見渡す。あるのは高い木々と茂み、川、そして草原。

「明日の朝は早く起きて、小屋でも建てるか。小さいもので十分だ」

自分に言い聞かせるように頷く。


「次に、この辺りの様子を調べる。三日以上生き延びるには、人がいるかどうかを知らなきゃならない」


パチ、と火がはぜた。まるで俺の言葉に応えるように。


「もし人がいるなら、その言葉、文化、考え方――全部学ばないと。敵か味方か、それを見極めるには必要だ」


口元が自然と緩む。

石をひとつ拾い、軽く投げる。

小さな「ぽちゃん」という音が水に吸い込まれた。


「でも……人がいないなら、それはそれで厄介だな」


沈黙。

ふと、ニコの顔が脳裏をよぎった。スペイン出身の傭兵仲間で、筋金入りの異世界オタクだった男。


「……ニコがここにいたら、絶対喜ぶだろうな」

思わずくすりと笑う。


“異世界ってのは、人生をやり直すのに最高の場所だ”――彼はいつもそう言っていた。

「くそっ。あいつがここにいたら、きっと真っ先にギルドとかクエストを探してるんだろうな」


声を立てて笑った。

この世界に来てから、心から笑ったのは初めてかもしれない。


「ニコ……お前は幸運なやつだよ。どうか、俺みたいな場所に落ちてないといいが」


炎は小さくなり、橙の残光だけが揺らいでいた。

俺は木槍をゆっくりと回し、魚が均等に焼けるように角度を調整した。


焚き火のはぜる音が静まると、聞こえるのは自分の思考の声だけだった。

「住む場所、水、食料、そして情報……」

その四つを、まるで祈りのように心の中で唱える。


「この四つさえあれば、生き延びられる」


焼けた魚の香ばしい匂いが、ようやく夜気に満ちていった。

皮はきつね色に変わり、所々が剥がれ始めている。


俺は枝をゆっくり回し、もう片面が焼けるのを確かめた。

「……そろそろいいな」


小さく呟き、一本を手に取る。

一瞬だけ見つめた。まるで戦場帰りの男が、何年ぶりかに高級レストランの料理を前にしたかのように。


深く息を吸い込み、そして口にした。

「――いただきます」


母が昔、食事の前に必ず教えてくれた言葉。


最初の一口。熱い。だが、柔らかく、塩気のない自然の味が舌に広がった。

少し焼けどしそうになりながらも、久しく忘れていた“生きている味”を感じる。


俺はゆっくり噛みしめた。その素朴な味が、この異世界では不思議なほど贅沢に思えた。


焼けた魚を次々と平らげていく。

皿も箸もスプーンもない。ただ手と枝と、体を包む焚き火の温もりだけ。


「……ぷはっ」

思わず小さく笑ってしまうほど、自然にげっぷが漏れた。


「悪いな、父さん、母さん。行儀悪いけど……まぁ、こればっかりは許してくれるよな」


焚き火の炎が小さくなり、代わりに二つの月の光が夜を照らす。

「……この空、綺麗だな」


日本じゃ、特に都会ではこんな空を見られるのは登山のときくらいだ。

けど、ここでは――空が“生きてる”。


星一つ一つが強く輝き、心の奥まで突き抜けるようだった。


俺は先ほど集めておいた乾いた葉を整え、川辺の大きな木の根元に広げる。

思ったより柔らかく、今夜の寝床には十分だ。


「明日から始めよう……小屋を作って、それから少し東へ行ってみるか」


どこかで、虫の声が響く。

聞き慣れないリズムなのに、不思議と心が落ち着く。


風が髪を撫で、まぶたが重くなっていく。

世界がゆっくりと遠のいていく中、残るのは焚き火の橙の光と、二つの月だけ。


「……おやすみ、異世界」

囁くように呟いた声は、すぐに夜の静寂へと溶けていった。


残ったのは、川のささやきと、風が木々を撫でる音だけだった。


***


どれくらい眠っただろう。

数時間か、それともほんの少しだけか――わからない。

だが、何かが俺を起こした。


夢でも風でもない。……音だ。

――ガサッ……ガサガサ……。


まぶたをゆっくり開ける。

焚き火はほとんど消えかけ、わずかな残り火が橙の光を揺らしていた。


その光が木々の影を揺らめかせ、不規則に動かしている。


全身が一瞬で緊張する。

……風じゃない。動いてる。

何か“生き物”が、近くの茂みをかき分けている。


息を殺す。

傭兵としての本能が即座に働き、眠気は一瞬で吹き飛んだ。

体はすでに戦闘態勢に入っている。


右手を伸ばし、音を立てずに脇の鞄へ――そこにある刀を掴む。

冷たい金属の感触が、手のひらに馴染む。


――ガサッ、ガサ……パキッ。

枝が折れる音。


重い。荒い。

これは……小動物の動きじゃない。足音だ。


俺は音を立てぬよう身を低くし、葉の寝床から抜け出す。

焚き火のそばの大木の陰に身を潜め、光の中を窺った。


わずかな残り火が、茂みの奥を照らし出す。

何かが――動いている。


腰の高さほどの影。

そして……その肌は――緑色、だと?



読んでくださって、本当にありがとうございます。

正直に言うと、日本語は僕の母国語ではありません。

だから、もし文法や表現におかしなところがあったら、ごめんなさい。


それでも、心を込めて書いています。

この物語が少しでもあなたの心に残るなら、それだけで嬉しいです。


どうか、これからも見守ってください。

そして、感想やアドバイスをいただけたら本当に励みになります。

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