転生令嬢ロアンナ・チェッド
「転生者ロアンナ・チェッド!これまでの君の数々の罪を、ここで明らかにさせて貰う!」
そう高々に宣言したのはこの国の王太子グレアム・セフィードだった。
グレアムの隣には彼の婚約者──リゼット・ブルーネ侯爵令嬢がその顔を僅かに強張らせながら寄り添っている。
今、この場は学園の創立記念パーティーの真っ最中だ。
学園の歴史を振り返り、生徒たち主導の展示を楽しみ、最後に設立を祝うパーティーに参加して生徒同士の更なる友好を深める。
そんな祝いの締めとも言える場で、それは突然起きた。
「あら、まあ」
小さく呟いた小柄な令嬢に周囲の視線が集中する。
ロアンナ・チェッド男爵令嬢。緩く巻かれたローズゴールドの髪に菫色の大きな瞳、全体的に柔らかく可憐な姿は庇護欲を唆る。
ロアンナのそばから生徒が一人また一人と離れていき、やがて海を割るようにして彼女の前に道が作られた。
道の先で待つグレアムの鋭い視線が容赦なくロアンナに突き刺さる。
か弱い男爵令嬢であればその視線に臆し、子鹿のように小さく震えることしかできないだろう。
だがロアンナは颯爽とグレアムの前へと歩み始めた。
堂々と、少しの不安もないような様子で。
正にこれから『断罪』されようとしているというのに。
転生者が覚醒した、そんな報告が王家に上がったのはロアンナが学園に入学してくるほんのひと月ほど前のこと。
国王の発表によれば高熱で三日間寝込んだチェッド男爵家の令嬢ロアンナが、突如転生者として覚醒した、と。
ロアンナ・チェッドは転生者であり、自身の環境と記憶からでは知り得ない知識を持っている。彼女は自らそう家族に打ち明けたという。
ここ、エスティニア大陸は『転生者が目覚める地』と言われていた。
転生者が現れる国や周期に一貫性はなく、性別も年齢も身分もばらばら。
事故や高熱など生死を彷徨うタイミングで覚醒することが多く、その後は決まって不可解な言動をしたり性格が様変わりしたりするらしい。
そんな過去の転生者たちの共通点は日本という異世界の国の住人であったこと、そしてその住人特有のものであるらしい『力』を持っていることだった。
どういった力なのかは人によって違う。
ある者はこの世界にはなかった道具や技術の知識を持ち、ある者は未来視にも似た言動をし、ある者は魅了の術でも施したのかと思ってしまうほど鮮やかに人心を掌握した。
それらの力は人々の生活を豊かにし国に繁栄を齎すものだと歓迎されたが、同時に問題点もあった。
食事や美容に関する改善と開発、技術革新など経済が大きく発展する国がある一方で、王太子の乱心や国家転覆の疑い、隣国の逆鱗に触れた事で戦争勃発寸前まで関係が悪化したなど、転生者が原因で起きた危機がいくつも歴史書に残っていたのである。
その中に頻繁に記されている騒動が王太子による婚約破棄だった。
転生者として覚醒した令嬢は王太子の心を巧みな話術で惹き寄せ、惑わし、庇護欲を抱かせ、婚約者に対する嫌悪感を植え付けて両者の仲を引き裂く。そして最終的にありもしない冤罪を王太子の婚約者に擦りつけ、婚約破棄へと導いていく…といった内容だ。
その転生者の力─── 『魅了』或いは『強制力』と呼ばれるそれは特に邪悪なものとして大陸史に刻まれた。
何せ、それまで何の問題もなく、行く行くは素晴らしい王になるだろうと言われた王太子であっても気付けば籠絡されてしまうのである。もはや忌まわしき力と言ってもいいだろう。
この国ではそういった過去の騒動を警戒し、王侯貴族が転生者に惑わされぬよう危機感を持つようになったのだ。
「ロアンナ・チェッド男爵令嬢…いや、転生令嬢と呼ぶべきかな?君は私を籠絡するために学園に入学してから幾度となく近付いてきたね?図書棟にいる時や、教師に頼まれて提出物を運ぶ時など、私が一人でいる時をわざと狙って」
「いいえ、偶然ですわ」
「本当だろうか?私以外にも見目の良い公爵令息が婚約者と待ち合わせしていたところ、君がやってきたと。それも薔薇園の奥という人目のつかない場所だったらしいじゃないか」
「学園での居場所に困っておりまして。薔薇園の奥でしたら誰にも会わず、一人で静かに休み時間を過ごせると思っただけですわ」
ロアンナの言い訳じみた返しにグレアムは眉を顰めた。
確かにそれが一度や二度なら偶然と言えただろう。だが彼女の言う『偶然』は何度もあったし、グレアム以外にも大勢の生徒が被害を訴えていた。
グレアムの視界に映る公爵令息と、彼のそばに寄り添う婚約者も被害者のうちの一人である。
公爵令息はグレアムに負けず劣らず見目が良かった。
婚約者のいる美しい令息ばかりを狙った行動であることは明白なのだ。
「公爵令息が一人で婚約者を待っている時だぞ?そんな偶然があるとは思えないな」
「そうは言われましても」
「私や令息が君と共にいるところを周囲の生徒や婚約者に目撃させ、誤解を生ませようとしたのではないか?」
「それこそ誤解です」
どこまでも悪びれた様子のないロアンナを見て公爵令息が婚約者の身をそっと抱き寄せた。
当時のことを思い出したのだろう、不快だと言いたげに美しい顔を歪めている。
グレアムはふうと小さく息を吐いた。
本当であれば彼女が認めるまで被害者たちの顔を見せてやりたいところだったが、ロアンナへの糾弾はこれだけではない。
「君は他にも大勢の男子生徒に色目を使おうとしていただろう?入学して間もない頃、君が食堂で男子生徒たちにねっとりとした視線を送っていたことは知っている。男を物色するはしたない男爵令嬢がいるとすぐに噂になっていたよ」
「まあ…そんな気持ちの悪い表現をされるのは心外ですわね」
「事実だろう?」
「いいえ。私は空いている席を探していた記憶しかありません」
「そんな言い逃れができるとでも?」
「事実ですので」
グレアムが再び鋭い視線を向けるが、やはりロアンナはどこ吹く風で笑みを浮かべていた。
「…これが私だけへの被害ならまだいい。君を徹底的に拒絶すれば済むだけの話だったからね。けれど、君はやってはならないことをした」
「あら、何でしょう」
「酷い……あなたには自覚がないの?」
思わず、といったふうにグレアムの隣にいたリゼットが反応した。
これまでのロアンナに対する怒りからか、それとも恐れからか僅かに震えているのがわかる。
「はい?」
にこ、と笑みを浮かべたままロアンナがリゼットへと視線を向けた。
隣でリゼットがびくりと身体を震わせたことに気付き、グレアムは彼女を庇うように一歩前へと出る。
「私が君に靡かないとわかって、その腹いせにリゼットに危害を加えようとしただろう!!」
「危害とは、具体的にどのような?」
「私たち三年生と君たち一年生のクラスが屋外授業で被った時のことだ、忘れたとは言わせない!」
「……ああ。あの時のことですのね」
確かに忘れませんわね、などと呑気に言うロアンナの態度にグレアムは激昂しそうになった。
あれは屋外で行う魔術訓練の授業の時。
三年生は事故や災害が起きた時を想定とした救護魔術の実践訓練を、一年生は学園にも慣れてきた頃合いでの実技試験をしていた。
一年生の実技試験は魔力の放出量とコントロールを教師が見て評価するのだが、あくまで生徒たちの技量を見るのが試験の目的だ。必ずしも軍用魔術を使う必要はなく、修繕魔術を披露したり狩猟魔術で驚かせたりと様々だった。
そんな中。
試験の順番を待っていた筈のロアンナが突如として列から離れ、リゼットのいる方へと向き直り術式を展開し出したのだ。
それも火炎の軍事魔術である。
「君は試験の順番を待っている最中に、教師の目を盗んでリゼットに火炎魔術を放とうとした!」
「あれは私の番になる前に魔力の放出調整を行なっていただけです。あの試験は強さを見せつけるものではなく、術式の安定感や器用さを見て貰うためのものですから」
「だったら何故、わたくしの方に身体を向けてきたのです?」
「ブルーネ侯爵令嬢へ身体を向けたつもりはありませんわ。ただ、術式を構築するのに集中したかったので試験をしている人たちから少し離れて背を向けただけです」
「そんな言葉を信じられるわけがないだろう!火炎魔術を放たれる前に私の魔術で咄嗟に打ち消したからよかったものを!一歩遅ければリゼットは…っ」
「…殿下、あの時は助かりましたわ。まさかあんな恐ろしい悪意をぶつけられるとはわたくし思わなくて…恥ずかしながら身を守る術式すら展開できませんでした」
「いや、私ももっと警戒すべきだったんだ。そうすれば君があんな怖い思いをすることもなかったのに…」
「殿下……」
あれはリゼットへの明確な敵意だった。
いや、もはや殺意だったと言っても良いのかもしれない。
それが周囲の生徒にも伝わっているのだろう。ロアンナに向けられる視線がグッと冷たく鋭いものになった。
「ロアンナ嬢。君がどんなに私たちの仲を引き裂こうともそれが叶うことはないし、君に惑わされることも絶対にない。それでもリゼットに手を出すのなら、容赦はしないが?」
グレアムはそう言ってリゼットの肩を抱き寄せた。
だが、一方のロアンナはこの冷えた空気の中でも相変わらずにこにこと笑っている。
まるで空気が読めていない、とグレアムは訝しんだ。
「困りましたわ。殿下たちの言うような意思を持って行動した覚えは御座いませんので」
「……そうか。ここまで言っても君は自分の罪を認めようとしないんだね?」
「罪には罪たる証拠が必要ですわ、殿下」
証拠、とまるでグレアムたちを挑発するかのような言葉。
つまり証拠がなければこれまでのことを認めるつもりも、反省するつもりもない、と。
(転生令嬢がそのつもりならば───…)
グレアムはリゼットと視線を合わせると、こくりと頷き合った。
「…では君が私を籠絡し、リゼットとの婚約を破棄させようとした証拠を。罪を犯したという、動かぬ証拠を出してあげよう」
「動かぬ証拠でございますか?」
「ああ。君が今胸元につけている、そのブローチだ」
そう言うと同時、グレアムはロアンナの制服の胸元に着けられた赤いブローチを指差した。
彼女の左の胸元。きらりと光る紅い宝石の埋め込まれたブローチは花や蝶などをモチーフにした華やかなものではなく、どちらかといえば雄牛や牡鹿を彷彿とさせる。とてもじゃないが女性が着けたがるとは思えない、そんな厳しいデザインだった。
指差されたロアンナはここで初めて笑顔以外の表情を見せた。
ただでさえ大きな菫色の瞳をさらに大きくさせ、ぱちぱちと目を瞬かせている。
彼女の柔らかな雰囲気からきょとんとした表情にも見えるが、そこには「このブローチに気付いたのか」と言いたげな驚きが確かにあった。
ロアンナのその表情を動揺と捉えたグレアムは確信した。
ようやく転生令嬢の化けの皮が剥がれる時が来たようだ。
「そのブローチこそ君が忌まわしき『力』でもって私とリゼットの婚約を破棄させ、我が国を混沌に導こうとした紛れもない罪の証拠…そうだろう?」
「まあ…このブローチがですか?」
ロアンナはそう言いながら指先でブローチに触れた。
今更そのブローチを隠そうとしたところで大勢の生徒に見られているし、転生令嬢の魂胆など最初からすべてわかっているのだから無駄である。
「私が気付かないとでも思ったかな?君のそのブローチは……悍ましい『魅了』の魔術が施された禁忌の呪具だ!」
呪具。
その言葉が高らかに響いた瞬間、固唾を呑んで見守っていた生徒たちがざわりと騒ついた。
呪具とはその名の如く、精神に干渉し相手を追い詰めるように呪ったり、逆に無理やり好意を植え付けたりして支配する類いの魔術が施された装身具や工芸品のことだ。
エスティア大陸では転生者よる被害の経験から、そういった呪具は作り出すことも所持することも禁忌とされている。
そんな呪具をロアンナが制服の胸元に着けている、それは確かに言い逃れできぬ罪の証だった。
「君はそのブローチを常に身につけることで私や、見目の良い令息を籠絡しようとしたのだろう」
「………」
「残念だったね」
ロアンナはもう言い訳もできないのか、黙ってグレアムたちを見ているしかないようだった。
そこに追い討ちをかけるようにグレアムはスッと右手の中指にはめられた指輪を見せる。
女神の両翼のようなデザインで、中心に鮮やかな蒼色の宝石が埋まった指輪だ。リゼットの指輪には翡翠色の宝石が埋まっていて、色違いではあるものの揃いのデザインをしている。
「私とリゼットはこの呪い除けと悪意除けの魔術が施された指輪をはめている」
そう、これはグレアムが父である国王に「ロアンナに対抗すべき力をこちらも持つべきだ」と何度も訴えてようやく手に入れたものであった。
国王もロアンナのことを忌まわしき『力』を持った転生者であると認めているというわけだ。
「わかったかな?つまり、君がいくら強力な『魅了』で私を惑わせようとしたところで、この指輪の前ではすべて無意──」
「まあ!私の魔術が施された指輪をそこまで信用して頂けるとは!」
無意味、と続く筈だった言葉はぽかんと開けたグレアムの口から放たれることなく虚空に消えた。
先ほどまで言い訳もできずに立ち尽くしていた筈のロアンナが、何故か満面の笑みを浮かべて喜んでいる。
グレアムだけでなく、揃いの指輪をはめたリゼットも、呪具で騒ついていた周囲の生徒たちも皆、彼女の反応に唖然とした。
「は…?」
「それは私が魔術を施した指輪で御座います」
「………は?」
グレアムは頭でその言葉を理解できず、ただ同じ反応を繰り返すことしかできない。
「精神干渉されることを懸念し自身と婚約者の身を事前に守る。その危機管理は大変素晴らしかったですわ、殿下。ですが」
そこで一旦言葉を区切ったロアンナは、誰もが見惚れる天使のような笑顔で言った。
「危機感を持つあまり冷静な判断ができていたとはとても言えませんでしたね。情報収集能力も優れていたとは言えず、自己判断で行動したり発言なさる場面が多いように思われました。また、思い込みが激しく学園内に蔓延した噂の対処をしないどころか放置する始末。結果、ロアンナ・チェッドは悪印象を抱かれ孤立することになったのですが、その原因がご自身たちであるという自覚は御座いましたか?」
「なっ…」
ご自身たち、と言われグレアムもリゼットもその瞳を驚愕に見開いた。
想像もしてなかった自分たちへの反撃に思わず固まってしまう。
「それとこのブローチですが」
「そ、そうだ。それは禁忌の呪具で間違いない筈で…っ」
「お二人とも、もう少し鑑定魔術を身に付けられた方が宜しいかと。こちらは呪具ではなく、記録魔術と現像魔術を施したブローチですわ」
私が作りましたの、と笑うロアンナにその場にいる者たちはまたしても言葉を失った。
あんな禍々しい形をしたブローチが呪具でないことなどあり得ないだろう。美的センスがどうかしている。
しかしながら、ロアンナの言っている内容が本当だとすればこれまでの彼女に対する言動がすべてあのブローチに記録されているということで。
それを理解した瞬間、生徒の一部がサッと顔色を悪くさせた。
「こちらのブローチに保管された記録をここで現像すれば、私の無実は証明できると思われますが…。どうやら他の生徒には少なからず自覚があるものの、殿下は本気でロアンナ・チェッドを悪だと断じていただけのご様子。すべては悪から身を守るための言動だった、といったところでしょうか」
「…っ、なんの話だ!君は一体何が言いたいんだ!」
「はい。ではここでご報告させて頂きます」
そう言うとロアンナはこほんとひとつ咳払いをした。
その姿は愛らしい男爵令嬢そのものであるのに、妙な違和感が付きまとう。
指輪やブローチの件といい、先ほどから何かおかしい。
そんなグレアムたちの思いをよそにロアンナが口を開く。
「『グレアム・セフィード』殿下と『ロアンナ・チェッド』に関する学園調査の結果、『強制力』による殿下への影響はないものと判断致しました。ただし、正しい情報であるかの精査が甘い点、問題の把握とそれに対する解決が迅速でない点、生徒の模範となる立場であることの自覚の欠如と善悪の見極めが未熟な点が懸念事項として挙げられます。一方で転生者への警戒と自己防衛の意識は見習うべき点として評価して良いでしょう」
「はっ!?いきなり何なんだ!私を侮辱して──」
「続きまして」
「おい!」
「何ですの、これは……」
真っ赤な顔でぶるぶる震えるグレアムと、侯爵令嬢にも関わらず口を開けたまま立ち尽くすリゼットを無視して、ロアンナは会場の入り口の方へ向き直った。
「国王陛下による、調査結果のご判断を頂きたく思います」
「え…?」
呆けた声と同時、扉の開く音が会場に響いた。
人垣は一瞬の内に左右に分かれ、その中央を歩いてくる人物に誰もが驚き慌てて首を垂れる。
ロアンナの言葉通り、この国の王が会場の中心──グレアムたちのいる場所へ悠然とやって来たのだ。
「面を上げよ」
「ち、父上…」
「グレアム、学園でのことは既に報告を受けている。転生者への偏った印象を学園内に広げ、孤立させる行為は王族として恥ずべきものだと私は思うが?」
「偏った…ですか?」
「…自覚がない、か。今回のことはやはり対策官に任せて正解だったようだ」
「はい。殿下が呪具の件でロアンナ・チェッドを国外追放するなどと言い出さなくてようございました。断罪は歴史書にもよくある『ふらぐ』で御座いますから」
「……え?何故…」
それを、と言いかけてグレアムは口を噤んだ。
指輪のくだりで空気が壊れなければ、グレアムはロアンナを罪人として国外追放するつもりだったのだ。
婚約者のリゼットもそのことを知っていたようで、うろうろと目を泳がせている。
「……なるほどな。グレアムには一週間の謹慎処分を言い渡す。また此度の件、王太子として再教育の必要があると判断した。お前は学園での自分の言動を振り返り、いま一度やり直せ」
「な、ち…父上!転生令嬢の言葉に騙されてそのようなことを仰っているのですか!?」
「ああ、その転生令嬢に関してもきちんとご説明致しますわね」
ロアンナはその愛らしい笑顔をグレアムに向けると、美しいカーテシーを披露した。
「改めましてご挨拶を。陛下より『ロアンナ・チェッド』の保護と学園での抑止力を任されました、転生者対策官ルアンナ・ブランツェッドに御座います」
転生者に惑わされるがまま婚約破棄をした王太子が国王となり、婚約者の座を奪った転生者が王妃となった。
過去、そんな愚かな二人が統べる国があったという。
そしてその国がどうなったか。
分かりきったことではあるが、長年王太子の婚約者として妃教育をしてきた何もかも完璧な令嬢と違い、付け焼き刃の転生者が妃など務められるわけもなく。外交で問題を起こし、それと共に王の評価も地に落ちていった。
王がよほどの賢王であったなら立て直す事も或いはできたろう。だが現実はそうも容易くないもの、悪循環からは脱せないものだ。
その国はやがて隣国との間で致命的な亀裂を起こし、そのまま滅んだという。
我が国ではそういった過去の騒動を警戒し、王太子ひいては王家が転生者に惑わされぬよう危機感を持つようになった。当然、高位貴族も他人事ではない。
恐ろしい歴史が繰り返されてはならないと、国王はすぐさまチェッド男爵とロアンナを登城させた。
「私はヒロインと呼ばれる存在です」
彼女は落ち着いた様子でそう言った。
曰く。これは未来視にも近く、自分は婚約者のいる王太子と恋に落ち結ばれる運命を持つ者である、と。
王宮の一室にて。
国王とこの国の宰相、国防魔術師、男爵、そして男爵の娘である転生者が一堂に介していた。
「それは『魅了』の力ではないのですか?」
「私にその意思はありません。ただ…私の意思とは関係のないところで強制力が働いてしまう可能性はあります」
「……『強制力』か。ブランツェッド対策官はどう思う」
魅了と同じく忌まわしき力とされている強制力。
歴史書に残る破滅の運命を辿った国の記述が頭によぎり、国王と宰相は思わず頭を抱えそうになってしまう。
国王に促され、それまで黙っていた一人の女性が口を開いた。
国防魔術師の一人にして転生者対策官を務めるルアンナ・ブランツェッドその人だ。
この国では今まで転生者の覚醒報告が一度もなかった。
他の国と違い繁栄も衰退も経験していないが、それ故にまだ見ぬ転生者への警戒心だけは人一倍ある国だったのだ。
学園の座学で大陸史と共に転生者の歴史を一通り頭に入れることを推奨とし、転生者に関する熱心な研究者がいれば手厚く支援する。
そしていつ転生者が覚醒してもいいように対策を用意しておく事にした。
それが転生者対策官である。
異世界の知識を有し国に破滅を齎す可能性のある転生者の対策はある種の国防とも言えるだろう。
転生者に関する歴史書の知識を網羅し実際に転生者が覚醒した国と交流、対応策の発案と研究を行っていた若き国防魔術師ルアンナ・ブランツェッドがその任に抜擢された。
この国初の転生者、ロアンナ・チェッドと名前が似ていたのは運命と言えたかもしれない。
「ロアンナ嬢は殿下だけでなく、高位貴族や見目の良い令息のことも惑わす運命にあるので?」
「いいえ。えっと…私はとある恋愛小説に登場するヒロインなのです。ブランツェッド様が仰っているのは恐らく、乙女ゲームの話だと思うのですが」
「なるほど。確かにそういった例が歴史書にも残っておりましたね」
おずおずと答えるロアンナに対し、ルアンナは興味深そうに目を細めうんうんと頷いている。
「ロアンナ嬢の意としないところで『力』が働いてしまうのならば、まずは彼女の保護を優先に考えるのが宜しいかと存じます。『強制力』の対策に関しては私にひとつ案が御座いますので」
ルアンナは自信ありげに、笑みを携えてそう答えた。
保護と聞いて、チェッド男爵もロアンナも安堵の表情を見せている。
「ふむ、何か良い方法があるのか」
「はい。ロアンナ嬢の『力』が歴史書にも記されていない力であれば話は別ですが、一旦の対策としては効果の高いものがひとつ。…物理的に『強制力』からロアンナ嬢を引き離してしまうのです」
「物理的に…?」
その場にいるチェッド男爵もロアンナも、宰相や国王ですらきょとんとした顔で首を傾げた。
「ええ。『魅了』は転生者本人を中心にして発動しますが、恐らく『強制力』は学園を中心に発動するものと思われます」
「学園を…?」
「中心に……?」
ルアンナの言葉を鸚鵡返しするしかできない国王たちだったが、その場でただ一人ロアンナだけはハッとした顔で何かに気付いたようだった。
「ロアンナ嬢、あなたが視たと言う未来…運命でしょうかね?それは人生の中でもごく一部のお話なのでは?」
「…仰る通りです。私がヒロインとして殿下と恋を紡いでいくのは学園内…それも一冊で完結するほどの僅かな期間。その間に様々な出来事があるのですが…」
「『強制力』とはその出来事を引き起こす力なのですね」
ロアンナはルアンナの理解力に驚きながらもこくこくと頷いた。
転生者でもないのにここまですんなりと話が通じるとは、ある種の感動さえ覚えてしまう。
「『強制力』なる力があるならば、それは学園に通う『ロアンナ・チェッド』と『グレアム・セフィード』殿下に対して働く可能性が高い。そこで、私が変装魔術でロアンナ嬢に扮して学園に通います。そもそもロアンナ嬢がいなければ『強制力』が働かない可能性も御座いますが、その点も含めて私が直接調査できるのでちょうど良いでしょう」
「学園で常に変装魔術を?鑑定魔術で気付かれてしまうのではないですか」
「そこは隠蔽魔術も同時に常時展開しますのでご安心を」
「…高度な術式構築を必要とする変装魔術と隠蔽魔術を重ねがけ。それも同時展開で……」
ルアンナのとんでもない力技に宰相は遠い目をした。
若くともさすがは国防魔術師というべきか。
「何というか…随分身体を張った方法だな」
「そうでも御座いませんよ?もしもロアンナ嬢が非協力的かつ独善的な考えを持つ『乙女げーむ』の『ひろいん』だったなら、保護ではなく力の無力化が優先となりますから。『ひーろー』への接触阻止や『いべんと』の発生妨害をしなければなりませんし、そちらの方がずっと身体を張ることになります」
「そ、そうか。では此度の件はブランツェッド対策官に一任しよう。『強制力』への対策と、それによる学園の影響の調査、解決を頼む」
ルアンナの転生者に対する知識の深さに圧倒されてしまうが、要するにロアンナが転生者であると認めたことと、彼女本人に王太子を誑かす意思がないということが重要であるらしい。その場に集った者たちはそう理解した。
ロアンナは『物語』が終了するまで魔術師棟にあるルアンナの私室で学園同様の教育を受けることになった。
転生者として覚醒すると自立したり平民となって生きる道を望むことがあるという。
覚醒したロアンナが将来をどのように描いているかはわからないが、今回のように国に協力的なのであれば基本的には本人の望む形に生活させてあげるのが望ましい。
身を潜めている間に大陸史を学ぶなり転生者の歴史書を読み漁るなりして、国と転生者がどう在るべきなのかを考え、未来の道筋として最適なものを決めていけばいいだろう。
それまではルアンナが彼女を運命から守る。
かくして、転生者対策官ルアンナ・ブランツェッドは『ロアンナ・チェッド』として学園に入学したのである。
「ロアンナ嬢によると今日の記念パーティーが『くらいまっくす』であるらしく、本来であれば殿下と結ばれて物語が終わるそうです。元より調査も今日までの予定で御座いました」
「ま、待ってくれ…そんな。私たちは何も……」
「ええ。殿下に『何も』起きないで本当によかったですわ。私はそのために学園にいたようなものですから」
「………」
何も知らなかった、だからロアンナに関することで咎められる理由はない。
そう言いたかったがグレアムは口を閉じた。
じわじわと状況を理解してきたのか、先ほどまでの勢いを失いグレアムもリゼットも顔色がすっかり悪くなっている。
ルアンナが転生令嬢ではなかったということは、グレアムたちを籠絡しようとした事実はなかったということで。婚約破棄を企んで自分が王太子妃になるわけでも、妬みから婚約者を害しているわけでもなかった。
すべて、勘違いだった。
会場を見渡せば同じく顔色の悪い生徒はそれなりにいた。
心の底から勘違いしていたグレアムと違い、グレアムとリゼットから始まった学園内のそういう雰囲気に乗って『ロアンナ・チェッド』に言いたい放題やりたい放題していた生徒もいたのである。
ロアンナ改めルアンナはやはりにこにこと笑っていた。
生徒たちはこの後それなりの処遇が待っていると覚悟しているわけだが、ルアンナ本人としては中々刺激的で愉快な学園生活ではあったのだ。
例えばルアンナが廊下に落ちていたハンカチを拾って教師のところに届けようとしたときのこと。
そのハンカチが伯爵令嬢の大事なものであったらしく、ルアンナが令嬢のハンカチを持ち去ろうとしたのだと勘違いされてしまった。
何せ『ロアンナ・チェッド』は男には色目を使い女には悪意をぶつけることで有名だった噂の転生令嬢。
拾ったふりをしてハンカチを捨てるつもりだっただの、令嬢を貶めるために使うつもりだったの難癖をつけられ、果ては令嬢の婚約者にものすごい形相で怒鳴りつけられた。
あれはただの男爵令嬢であったなら、中々に恐怖体験であったと思う。
他にも騎士志望の令息とその婚約者が中庭で談笑していたところに出会してしまったとき、ルアンナが邪魔をしに来たのだと誤解されて大騒ぎになった。調合魔術の授業で見目の良い令息とペアになったときは故意に手に触れようとしたと勘違いされ、調合道具を投げ付けられた。
生徒会の一員である侯爵令息の婚約者と階段付近ですれ違ったときは───と言っても、肩が触れ合うような距離ではなく人ひとり分が通れるほどの余裕があったのだが。ルアンナの姿を見た令嬢が大袈裟に驚き後退ってしまい、足を踏み外して階段から落ちかけた。結果、ルアンナが突き落としたのだと噂された。
言い出したらきりはないが、ルアンナはそれらをすべて笑顔で受け流した。
その中でも一番愉快だったのがグレアムの話していた屋外授業の件である。
変装魔術と隠蔽魔術を常時展開しているルアンナは、その上で魔術の試験を受けなければいけなかった。高度な術式を構築するとなると難易度はさらに跳ね上がる。
そこでルアンナは一番単純な軍用魔術を試験で披露することにした。
ただ、いくら単純な術式と言えど同時展開するとなると魔力の放出量にある程度神経を使わなければならない。
そうでないと変装魔術や隠蔽魔術が剥がれてしまったり、逆に試験の際に殆ど魔術が展開できなかったりする恐れがある。
慎重に術式を構築しなければ、とルアンナは一人試験の列から離れた。
そうして生徒たちに背を向けて、術式構築に集中しかけたところで───例の件が起きたのである。
グレアムがこちらに向かって術式を展開したことはルアンナもすぐに察知できた。
すかさず防衛魔術も展開する。
しかし流石に準備なしに三つ同時の術式展開は無茶だったようで、ルアンナが張った防壁は水の勢いに負けて簡単に崩れてしまった。
直後、頭上から水桶をひっくり返したような勢いで水が降り注ぐ。
当然、ルアンナは全身ずぶ濡れになった。
グレアムの放った魔術が軍事魔術ではなく、火災時に放水する救護魔術であったために怪我を負ったわけではない。
だが屋外で一人ずぶ濡れというのは中々滑稽な姿であったと思う。
グレアムは何故か腰を抜かしたリゼットを姫抱きし、保健室へ駆けて行った。ルアンナは放置である。
ルアンナはグレアムたちの背中をぽかんと見送った後、淑女らしからぬ大笑いをした。
国防魔術師になって以来、滅多にしない経験であった。
「…ふふっ」
ルアンナは思い出し笑いをしてしまう。
しかしながらこれらはすべてルアンナが転生者対策官であったから良かった話。
本物の転生者であったなら王太子やこの国に対して悪印象を抱いたであろうし、追放されようものならグレアムは『ざまぁふらぐ』待ったなしである。
ルアンナとしては『強制力』の通りにグレアムが『ロアンナ』に惚れてしまう展開の方が厄介だったので、むしろ目の敵にされてホッとしたくらいではあるのだが。
「本当に、『何も』なくて皆さま良かったですわね」
今回の件で再教育が必要になった者は多いだろうが概ね『はっぴーえんど』だろう、ルアンナはそう言ってすっかり土気色の顔した生徒たちに向かって綺麗に笑った。
ここまでお読みくださりありがとうございました!
ご都合主義の小説通りにお花畑王太子と男爵令嬢が結ばれる→地獄
あるあるのざまぁ展開通りに勘違い王太子が転生者を追放する→地獄
地獄のような未来を回避できたと思えば、その程度の処遇なんて皆さまどうってことないですわよね?なルアンナさんでした。
※感想、評価ありがとうございます!励みになります!
誤字報告もいつも助かります!




