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第四話 彩色悪果

 お鈴が死んだという話は、あっという間に市中に知れ渡った。

 長屋の裏を流れる川で、水を吸ってぶくぶくとふくれあがった女の土左衛門(どざえもん)が見つかった。夏の暑さで異臭を放っていたその遺体の身元は、当初知れなかったが、長屋の傍にある小舟から、お鈴の書き置きと(かんざし)が一本見つかった。黒漆に螺鈿細工を施した、つつましくも美しい品だった。



 ──雨宮惟之さま


 斯様(かよう)仕儀(しぎ)となり、大変かたじけなく、ただただ、惟之様の潔白と、鈴がいかなる咎もございませぬことをお伝えしたき由、この身を(もっ)て訴える所存にございます。

 惟之様への詮議、どうか晴れますれば、本望でございます。

 頂戴しました(かんざし)、大変嬉しゅうございました。鈴には過分の品にて、お返し申し上げます。

 勝手を何卒ご容赦いただきたく。


         鈴──



 錦絵新聞に踊らされていた市中の人々はその惨たらしい末路に愕然とし、惟之に宛てた遺書に涙する者さえいた。

 これまでお鈴の人気ぶりに冷ややかな目を送っていた市中の女たちは、こぞって、根も葉もない醜聞が生んだ災禍を非難した。

 少女はお鈴が死んだと聞いて気落ちしたが、市中の人々のあまりの変わりようを目の当たりにして、なおいっそう憔悴した。

 師がますます酒に溺れ、「何もおっ死んじまうこたぁねぇだろうが」と管を巻きながらも錦絵を描きつづけるのを尻目に、少女は絵筆の先を迷わせる日々を送った。

 雨宮惟之はお鈴の死にたいそう怒り、荒れているという。何度か錦絵新聞の版元に怒鳴りこんだとも聞かされ、少女は身のすくむ思いがした。

 絵筆を持つ手をためらわせる少女に、師は「お前ぇも絵師の端くれなら描け。そんくらいしか能がねぇだろうが。描かなきゃおまんまの食い上げだ」と檄を飛ばしたが、師の叱咤激励も少女の心には響かなかった。


 ──きっと生前のお鈴もそうだったろう。茶屋での仕事を、日々の生計(たつき)としていた。


 少女は己がお鈴を描いたことで、その生計を奪って殺してしまったことを重々承知していた。

 お鈴のような器量もない。学があるわけでも、才があるわけでもない。絵しか取り柄のない少女の胸に、お鈴の顛末は深く暗い影を落とした。

 少女はかつて己が見とれたお鈴の姿を思い返しては、深く悔恨のため息をついた。

 自然と筆に手が伸びてしまう己が恨めしい。


 ある夜更けのこと、油に灯る心許ない明かりを頼りに師の画業を手伝っていたとき──画房で異変が起きた。

 師のすっていた墨がふつふつと泡立ちはじめたかと思うと、みるみるうちに小さな(あり)の群れへと変じ、指先から這い上がってきたのである。師は手を振って蟻を追い払おうとしたが、腕にまで上がってきた蟻はてらてらと赤黒く色を変え、重なり合うように次第に大きくなっていく。


「お師さん!」


 あわてた少女が駆け寄ると、ふっ……と灯火が一つ消えた。少女は言いようのない不安に駆られて、ふと顔を上げた。

 長屋の障子ごしに差し込む青白い月の光の下、お鈴が呆然と立ちすくんでいる。


「お前ぇ……お鈴!?」


 師の叫びに動じることなく、お鈴の幽霊はじっとりと画房の二人を()めつけた。

 赤黒く変じた蟻は、今や師をすっかりと飲み込まんばかりの大きさとなり、かさかさと長い脚で錦絵を掻いている。

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