第38話 四番目の客(シオドアside)
目の前に巨大な男が立っている。
長身で、つやのある長い黒髪、切れ長の青い瞳、白皙の肌、尖ったエルフの耳。
黒髪のエルフ族はロイメ近辺では珍しい。
ロイメのダンジョンゲートの管理人にして、永劫の時を生きる東方ハイエルフ族の一人。
ケレグント師である。
「お久しぶりです、ケレグント師」
俺は頭を下げ、挨拶する。
「お久しぶりというには、あまりにも短い時間です。
私が不在のほんのわずかな間に、ゴブリン族がダンジョンの外に出てきているとは。
そしてシオドア、あなたが協力しているとは」
ケレグント師の声には怒りがこもる。
本当に怒っているのか。
あるいは怒っているフリをしているのか。
俺はケレグント師を中に招き入れた。
拒んでも無駄である。
それなら、お互いに形式と礼儀を守った方が良い。
ロビーのソファーには、レヴィと客二人、レイラさんとマデリンさんがいた。
ケレグント師は鋭い視線でレヴィを見る。俺には氷より冷たい視線に見える。
俺はレヴィとケレグント師の間に立った。
「いったいどのような経過で、ゴブリン族がロイメの街を歩き回る事態になったのですか?」
ケレグント師は質問した。
「レヴィは、人身売買組織から『輝ける闇』が助け出しました。
もし僕たちが間に合わなければ、レヴィはロイメを出て、異国の金持ちか権力者の元へ送られたでしょう。
そして、よりいっそう問題は大きくなっていたでしょう」
俺は答える。
ケレグント師は俺より背が高い。目線は上になる。
「そんなことは分かっています」
ケレグント師は苛々しているようで、手を小刻みに揺らした。
「なぜ、ロイメの留置施設に入れたままにしておかなかったのです?」
「ロイメの法にあります。
『【奴隷】は速やかに解放されなければならない』
レヴィは隷属の首輪を嵌められて【奴隷】状態でした。
首輪を外しても、留置場の中では解放したことにならない」
「なるほど。ロイメの法を利用したわけですか。
小賢しいことをしますね」
ケレグント師は、彼なりに腑に落ちたようだ。
「それならせめて、家に閉じ込めておけば良いのに。外出させたそうですね?」
「レヴィがどうやってダンジョンから出たのか。突き止めるためです。
ゲートの管理に役に立つ情報なはずです」
ケレグント師の腕の動きは止まったが、手を閉じたり開いたりをはじめた。
「ゲートを通ったのは午後。冒険者が少ない時間帯を選びました。
さらに、屋外とダンジョンの中のヒトの多い所では、フードを被せて、マスクも付けさせました。
レヴィは常に協力的でした。
そうだろ、レヴィ?」
「ハイ。シオドアさんの言う事はちゃんと聞いてますナリ」
レヴィが答える。
「ケレグント師、ロイメ市とゴブリン族は定期的に接触していますが、特に問題は起きていません」
俺はさらに情報を伝える。
「その通り。大変喜ばしいことです。
ただし、ロイメ市の職員はその後一定期間の隔離が定められています」
ケレグント師は答えた。
「レヴィと最初に接触し、長くいっしょにいたのは僕です。
何か起きるならまず僕でしょう。
今のところ、何も起きていません」
ピシッ。
俺の左頬を痛みが走る。
ケレグント師の手の平に打たれたのだ。
「そう言うことを言ってるのではありません。
シオドア、あなたは私の弟子です。
あなたが医術について学びたいと私の元を訪れた日のことを私は覚えています。
その時私は言ったはずです。
『完璧な医術はない。最善かそれに近いと思われることを繰り返していくだけだ』と。
まったくもって、あなたの行動は最善から逸脱しています。
予測できる危機を避けてない。
何より自分自身を危険に晒している」
俺はレヴィの様子を見た。
レヴィはマデリンさんの腕の中にいた。
そしてエメラルドの瞳を大きく大きくして、こっちを見ていた。
大丈夫だ。
何かあったら、レヴィはマデリンさんが守ってくれるだろう。
俺は覚悟を決める。
正しかろうと正しくなかろうと、この件についてケレグント師の言う通りにはできない。
ドカッ。
ケレグント師の顔を拳で殴る。
防御魔術で弾かれるかと思ったが、きれいに決まった。
「最善が何かは分からないね。
レヴィはダンジョンから命と残りの人生全てを懸けて、外の世界に出てきた。
俺はレヴィに、窓から見えるツバメだけを外の世界だと言う気はない!」
ケレグント師の鼻からツーと血が流れる。
思ったよりダメージが入ったか?
ケレグント師は全身ワナワナと震えていた。
まあ、飼い犬に手を噛まれたようなものだ。怒るのは分かる。
「師を殴るなど何ということでしょう。
私はあなたの教育を間違えたようです」
次の瞬間、俺は、顔に熱さと衝撃を感じた。
二〜三歩後ずさり、椅子を巻き込み、そのまま尻餅をつく。
拳は見えなかったが、殴り返されたと分かった。
手加減なしだ。
いや十分過ぎる手加減か。
魔術で報復されれば、今頃家が吹き飛んでいる。
俺は何とか起き上がる。
頭がフラフラする。
「無理はやめなさい。
脳震盪を起こしています。
再教育は回復させた後です。
私は、何が大事か分からない者に知識を委ねたつもりはありません。
シオドア、あなたには学び直してもらいます」
「学び直しは好きにしたらいいけど」
レイラさんが言った。
「あの子達帰ってきたわよ」
「結界ぐらい張ってありますよ。この家はしばらく出入りできません」
ケレグント師は言った。
だろうな。
ケレグント師はソツのない人物だ。
「フーン」
そう言うと、レイラさんは虚空から銀色の杖を取り出した。
横一閃。
魔術的感覚はあまり鋭くない俺にも、何かが破壊されたのが分かった。
「あーもう。鍵開かない!と思ったら開いたよ。シオドアー、食料買って来たよ」
どやどやと入って来たのは、トレイシー、ネリー、そしてスザナ。
こちらは、こめかみから血を出して、フラフラの俺こと、シオドア。
鼻血を出してるハイエルフのケレグント師。
散乱している家具と床の血痕。