37.トアール屋敷のお出迎え
キャナリーとアーネ姫を乗せた馬車が向かったのは、もちろんトアール伯国の王都屋敷。
キャナリーも学園に入学する前に一度泊まったことがある、まるでお城のような立派なお屋敷だ。
「あの……、お姫さまはトアールに帰るんじゃ?」
「帰ったところで、十日ほどしか過ごせませんからね。面倒だから王都に残ることにしたわ」
お尻も痛いですし、そう言ってアーネ姫は笑っている。
屋敷に到着すると、玄関にはあかあかと明かりが灯っていて、その左側にはトアールの青い山鳶の旗が、そして右側にどこかで見た事がある黒い旗が掲げられている。
「あれ? この旗……うちの黒スズメバチ?」
なんとそれは、キャナリーの実家の屋敷にも掲げられている、イナカモント男爵家の旗だった。
「玄関横の旗は魔法使いが滞在してますよっていう目印ね。貴女が王都に来た時からずっと掲げてあるわよ?」
ここはトアール伯爵の屋敷であると同時に、トアール伯国の軍事拠点でもあるらしい。そのため貴族家当主や高位魔法使いが滞在する時には、その家の紋章旗が立てられることになっているのだとか。
「あっ! もしかして、これって……」
この旗が立てられているってことは、つまり……
「あら、ちゃんと気がついたみたいね。そうよ、その旗があるところ、そこが貴女の帰るべき場所なのよ」
アーネ姫は屋敷の扉を開けてキャナリーを招き入れる。
「おかえりなさい、キャナリー」
「……ただいま、お姫さま」
精霊ミケが短くニャッと鳴く。
ぽてっ。
学園の寮を出るときからこちら、ずっとミケに咥えられてぷらんぷらんされていたリリスが、やっと解放されて定位置のキャナリーの肩に逃げるようによじ登った。
「ほわ~、すごいねぇ……」
「キラキラだモモ!」
屋敷の中は、その外見に負けず劣らず華やかできらびやか。
学園入学前に一度、数日滞在した経験があるとはいえ、こうしてあらためて見ても壮麗で艶やか。まさに宮殿である。
お姫さまから「自分の家と思って」と言ってもらえたし、それはとても嬉しかったけれど、こうして中に入ってみればとてもじゃないけどそうは思えない。
食堂だって真っ白なテーブルクロスを複数の燭台が照らしていて、まるでおとぎ話の妖精たちの世界がそのままが飛び出してきたかのようだ。
なんだかとっても豪勢な食事だったけれど、いったい何を食べているのかよくわからないうちに終わって、最後に暖かい飲み物が振る舞われた。
なんだろう? なんだかとても甘くて懐かしい香りが漂ってくる。
「……っ!」
これ、栗の蜜だ!
そう。これは間違いなく栗をハチミツ漬けにしたあとの、あのハチミツ!
びっくりしてアーネ姫の方に振り向くと、顔を隠してくすくすと笑っている。
「他にも面白いものがあるわ。王都ではあまり見かけないものよ?」
そう言われてついていった先には……
「お、お風呂っ!」
まさかのお風呂、それも大浴場!。
そこでは石造りのライオンが、口からもうもうと湯気を立てながらお湯を吐き出している。
壁にはモザイクで、雪をかぶった山々、そして青空を舞う鳶。
イナカモントの村を出てからというもの、何よりも寂しく思ったのは、王都にはお風呂がないことだった。
トアールは温泉で有名というほどではないけれど、村によって、または谷によって、温泉が湧いている場所がいくつもある。
キャナリーの実家、イナカモントの村もその一つ。実家の屋敷には湯量は少ないけれど、ちゃんと温泉のお風呂があるのだ。
「トアールの民にはやはり、これが無いとね?」
王都にはさすがに温泉は湧いていない。そこで例の水晶玉を使って魔法の力でお風呂を沸かせているのだという。
「キャナリーの魔力があれば毎日お風呂に入れるから、屋敷のみんなも喜ぶわ」
必要なのは水晶玉に触れるだけ。その程度のことで喜んでもらえるなら、キャナリーにとっても願ったりかなったりだ。
ほかほか湯上りで、上機嫌で出てきたキャナリーとリリス。
きゃぅんっ! きゃんきゃんっ!
そこに、真っ白な綿毛がポヨンポヨンと飛び掛かってきた。
「うわわわっ?」
「いったい何ごとモモ!」
あれ、この綿毛、たしかどこかで……
「あの時のポワンシェの……?」
「……子犬だモモ!」
「ええ、そうよ。色々あって、この屋敷で預かっているの」
あのときはもう鳴くことすらできなくて、震えているだけだった子犬たち。それが、こんなに元気な姿になるとは。
手のひらにちょこんと乗るぐらいしかなかった小さな体が、今ではかなり大きくなって、四匹まとめて抱くとかなりずっしりとした重さだ。
キャナリーが抱き上げると、きゃうんきゃうんと尻尾を振って顔をぺろぺろとなめまわしてくる。
あの時はまだ生まれたばかりの赤ちゃんだったから、さすがに何も覚えてはいないだろうに、よっぽど人懐っこい子たちなんだろう。
「元気になったんだね、良かったね!」
キャナリーは一匹一匹、丁寧に撫で返してやる。
バゥ~ッ!
「うわわ! ……ポワポワ、じゃなかったっ!」
いつのまにかキャナリーの後ろから、真っ白でとても大きな犬が近寄ってきていた。
狩人さんたちが飼っていたので地元でもよく見かけた、まるで雪山の主みたいなふっかふかの超大型犬だ。
その大きな白い犬はスンスンとキャナリーの匂いを嗅ぐと、でんっと目の前に腰を下ろした。
「わわぁ~っ、これ、どうすれば……」
「うふふ、撫でろ、って言ってるのよ」
おっかなびっくり撫でてやると、大きな犬は気持ちよさそうに目を細める。
ぽわぽわの子犬たちはキャナリーを離れて、その大きな犬のおっぱいに群がっていく。真っ白な大きな犬と真っ白な子犬たち。その姿はまるで本物の親子のようだ。
「マダム・ピレリュンヌがその子たちのお母さん代わりをしてくれているのよ」
そうだったのか。この子たちが元気になったのは、このマダムのお陰だったのか。
「マダム、お母さんになってくれてありがとう!」
キャナリーがぎゅっと抱きつくと、マダム・ピレリュンヌは太くて低い声で、私の子なのだから当然とでも言うように、バウッ!と軽く返事をした。
バオ~ゥッ!
そのままマダムの暖かい背中に寝そべっていると、目の前にマダムよりさらに一回り以上大きな白い犬がぬっ!と姿を現す。
とてつもなくでっかい。
その真っ白で熊のように巨大な犬は、子分の白犬を数匹連れている。
さらにその後ろには騎士さんたちの姿も見える。その様子はまるで、騎士を従えた王様のような威厳すら感じられる。
「あらら、まさかピレニウス三世まで挨拶に来ましたか……」
熊のような巨大な群れの長、ピレニウス三世は子分たちと一緒にキャナリーを取り囲むようにして座り込み、ほら撫でろ!と言わんばかりに一斉にその頭をキャナリーに向けて差し出した。
「おい、なんだか俺たちよりも懐いてないか?」
「毎日世話してやってるってのに、冷たい奴らだなぁ」
ピレニウス三世と一緒にやってきた騎士さんたちも、ちょっあきれ顔だ。
苦笑している騎士さんたちをよく見ると、キャナリーが王都にやって来た時に護衛についてくれていた人たちだった。あの時の隊長、ガルドさんの姿もある。
キャナリーは立ち上がって挨拶しようと思ったけれど、犬たちがそれを許してくれない。かわるがわる交代で、ほら撫でろ!と頭を差し出してくるので、もう大忙しだ。
リリスはいつの間にかちゃっかり、ピレニウス三世の頭の上、安全地帯に移動してしがみついている。
ふわっふわでふっかふかな犬たちに挟まれて動けなくなってしまったキャナリーは、そのまま暑いくらいに暖かくて幸せな一夜を過ごすことになったのだった。
翌朝、犬たちが一斉に動き出したところで、キャナリーも同時に目が覚めた。
「おはよう、キャナリー。それじゃ、今日から修行を始めましょうか!」
「ほへ?」
修行って、お姫さま……いったい何が始まるの?!
ポワンシェたちの乳母、ちゃんと見つかってました!
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