03.はちみつ
リリスを家族に紹介したそのすぐ翌日、まだ真っ暗なうちに跳び起きたキャナリーは、起きるなり枕元でうずくまっていたリリスをたたき起こした。
「ねえ、リリス、起きて! イモーティのところに行こう!」
「ふにゃにゃ~? むにゃむにゃモモ」
「リリス……行かないの?」
「ふにゃ~、一緒にいくモモぉ、むにゃむにゃ」
手早く着替えて、まだ寝ぼけているリリスを肩に乗せ、急いで階段を駆け下りる。
従姉妹のイモーティの家は羊飼いの仕事をしている。もうじき家族そろって羊や山羊をつれて山の上にいっちゃうので、一緒に遊べるのは春先までなのだ。
そのまま家を出ようとしたとき、ちょうど母親に出くわした。
「おはよう、お母さん!」
「ちょっと、キャナリー、こんな朝早くに、どこ行くの!」
あいさつも適当に、そのまま家を飛び出して行きそうなキャナリーを、母が引き留める。
「イモーティのとこ!」
「ああ、もう、それならパンを持って行きなさい。おじさんにはちゃんと挨拶して、迷惑はかけちゃだめよ」
「はーい、いってきまーす」
「ご迷惑はかけないように、気を付けてね」
険しい山々に挟まれた村はまだ暗く、季節は春だというのにまだ深い雪を残している。
裏の大きなクルミの木のてっぺんには、赤と青の双子星が小さく瞬いて、まるで木の上で二人仲良く踊っているようだ。
メェェ~、メエエェ~
おじさんの家では、羊たちが囲いの中で「まだ眠いよぅ、眠いよう」と鳴いている。
「リリスと同じで、寝ぼすけさんだねぇ」
「ひどいモモ~」
囲いの中では、キャナリーより年かさな少女が二人、カランッカランッと音を立てながら、羊に鈴をつける作業の真っ最中だ。
「おはよー、アネーティ、イモーティ。手伝いに来たよ!」
二人はキャナリーの従姉妹。姉のアネーティと、妹のイモーティだ。
ばうっ! ばうっ!
「うわっ! ブチもおはよ!」
飛びかかるように抱きついてきた大きな犬に押し倒されながら、頭を撫でようとする……が、微妙に届かない。
むぎゅ、むぎゅぎゅ……脱出しようともがくキャナリー。
「あら、キャナリー、おはよう。『遊びに来た』の間違いじゃない?」
「違うよ~、ちゃんとお手伝いするもん!」
「……起きた時はたしか、遊びに行くって言ってたモモ!」
裏切り者と抗議しようと思った時……、
ガラガランッ!
荒く大きな鈴の音が辺りに響いた。
「せ、精霊……しゃべってる……!」
キャナリーが振り返ると、姉妹がビックリ仰天した顔で固まっている。
二人の足元には、驚いて落としてしまった鈴が転がっていた。
あちゃぁ、次からはちょっと気を付けないと。
「よし。そろそろ出発だ」
まだ所々に残った雪が、日の光を浴びてきらきらと輝きだしたころ、おじさんの合図で一同は出発した。
先頭はおじさん。羊たちに混じって、従姉妹の二人、それにキャナリーがてくてくついていく。群れのお尻で遅れそうな羊を見守るのはブチの役目だ。
ゆっくりと村の中を進んでいると、家々から山羊を連れたおばさんたちが出てきては、どんどん預けていく。
村を出るころ、前の方に別の羊飼いたちの姿が見えた。
「おはよ~~!」
キャナリーが大きく声を掛けると、彼らは帽子を取って挨拶を返してくる。
進む先には大きな山々が白い帽子をかぶったまま高くそびえている。彼らが帽子を取って挨拶してくるのはまだまだ先になりそうだ。
林の中を通り過ぎていると、春を告げる雪割草の家族が、木陰の雪だまりからそっと緑の花をさかせている姿がちらっと横目にうつった。
「あ! お花!」
キャナリーがつい群れから離れようとするが、ブチがさっと阻止。
「うわわっ!」
バゥッという軽い声に、びくっとして足が止まるキャナリー。
「はははは、まるで羊みたい」
一緒になってビクッと固まって、落ちそうになっていたリリスを慌てて押さえながら、キャナリーは恥ずかしそうに列に戻る。
「そろそろ到着よ」
声をかけられたその先は大きく広がった野原。草が青々としげり、スミレの花が春らしい彩りをそえている。
「わあ、きれい」
「ねえ、ちょっと来てみてよ」
従姉妹たちに手をひっぱられて緑の丘をかけのぼる。
「うわぁ~!」
丘の向こうは、スミレがまるで紫のじゅうたんのように辺り一面に咲き誇っていた。
その向こうでは青く澄んだ水をたたえた湖を、朝日がいっぱいに照らしている。
「まるで妖精の国みたいでしょ?」
後ろからイモーティがまるでいたずらっ子のように声に、キャナリーは言葉にならず、大きく何度も頷くばかりだ。
「ほれ、ちょっと舐めてみなさい」
しばらく景色に見とれていたキャナリーが我に返って振り返ると、おじさんが、三人に木の棒を一本づつ配ってくれる。
なんだろう? 棒の先がなにやら濡れて光っている。
二人にならって棒を口に入れてみる。
「甘~~~~~~い!」
これ、ハチミツだ!
「ハチミツになるのはもうちょっと先だな」
もっと食べたそうなキャナリー。
「お父さん、いつもケチなのよね」
「ハチミツはお仕事だからね、我がままは駄目よ」
腰に手を当てて、姉の威厳を見せる。
「でも、ほら!」
そう言うと二人でスミレの花を一輪摘むと、ちゅっと吸って見せた。
「キャナリーもやってみて」
キャナリーも真似して吸ってみる。こ、これはっ!
「うわ、甘~~いっ!」
ハチミツとは違う、でも純粋でさわやかな甘さが口いっぱいに広がる。
「もう一つだけ、いい?」
「いいけど、あんまりたくさんは駄目よ?」
キャナリーは頷くと、もう一輪摘んで、ほらっと、リリスに差し出した。
「甘~~~いモモ!」
羊さんたちはこの花、きらいなのかな?
彼らはゆったりと草を食みながら丘の斜面いっぱいに広がっているが、花の方にはあまり来ていないようだ。
いや、よく見ると、ブチが羊から花を守るよう頑張っていた。
よーし、ここはお手伝い。
「ほら、あっちだよ~。あ、だめだめ、入ってきちゃ!」
キャナリーも真似をして頑張ってみるが、羊たちはさっさと脇をすり抜けて、スミレの方に入ってしまった。
「ああ、もうっ! だめだってば!」
焦って追いかけたけど、羊たちはぱっと逃げ散るばかり。あっちを追いかけ、こっちを追いかけ、さんざん走り回ったけど、羊たちは素知らぬ顔で、逃げた先で草を食べている。
リリスなんか、キャナリーの肩の上であたふたしているだけだ。
「ふふっ、苦労してるわね」
あきらめてへたり込んだキャナリーの横を、二人の従姉妹がタタタッと駆け抜けて、あっという間に羊を捕まえて元の群れに戻してしまった。
「……ま、魔法?」
驚くべき早業だ、これは魔法に違いない!
「違うわよ? 私は魔力が無かったからね~」
「私はもう七歳になったし、魔力試験は来年かな。魔力あるといいな」
そう、三年に一度、赤と青、双子の女神さまが空から降りてくる。そんな特別な年、それが来年だ。
その特別な年の村祭りは他の年よりはるかに盛大で、七歳以上の子供たちの魔力を確認する儀式も同時に行われるのだ。
キャナリーはまだ五歳。魔力試験はまだまだ先。
「私も! 魔法使ってみたい!」
「だよね~」
イモーティもほがらかに同意してくれる。
「でも、魔力があると町の魔法学校行きよ? 町だとはちみつ食べられないわよ?」
「うわあ、じゃあ私、魔力なしがいい!」
姉の言葉に、すぐさま魔力なしに寝返る妹。
「私は……どっちも!」
はちみつは捨てがたい。でも魔法はぜひとも使ってみたい!
「ねえ、欲張りさん? リリスって精霊だけど、何ができるの?」
「飛ぶのが得意よ、ね? リリス?」
「そのとおりモモ!」
リリスはぴょこんとキャナリーの頭の上に飛び乗って、胸を張ってポーズをとる。そしてぴょ~んと高く跳びあがり、丘の上からふもとまで、見事に滑空してみせた。
ふわ~っとやわらかい風が吹いて、それにあわせて辺り一面の草もふわふわ揺れる。まるでリリスを応援して手を振っているかのようだ。
「わぁ、飛んでる!」「本当に飛んでるわ」
「よし、私も! びゅ~~~んっ!」
キャナリーは声を上げながらリリスの後を追って丘を駆け下り、リリスを肩に乗せるとまた丘の上に駆け戻ってくる。
「私も行くっ!」
「二人とも、気を付けないと転ぶわよ?」
またリリスが飛び、それを追ってキャナリーとイモーティが満面の笑顔で駆け下りていく。また丘にのぼって、リリスが飛んで、二人が駆け下りて……
「こっちの方がいっぱい飛べそう! ぎゅぎゅ~~~んっ!」
「だめ、キャナリー! そっちは危ないっ!」
「うわっ!」
イモーティが声をかけた時には遅かった。
キャナリーは突然、まるで何かに押されたかのように盛大につまづいて、そのままゴロゴロとボーリングの玉のように丘を転がっていく。
ごちんっ!
大きな岩にぶつかってやっと止まった。
「ううう~、痛い~~」
「ほら、もう、言わんこっちゃない……」
キャナリーは頭を押さえて涙目だ。リリスもさっと戻って来て頭を撫でてくれる。
「……またやりすぎモモ」
その日の帰り道、青かった空はすっかり夕焼けに染まっていた。真っ赤にてらされて、キャナリーは少しだけ自分が大きくなった気がしてくる。
少なくとも、石にぶつけて出来たたんこぶの分だけは確実に。
おそらく三ミリぐらいは。




