02.イナカモントの村
チリンチリン、カランカラン♪
澄んだ鈴の音が、ひっそりしていた山の空気に響いた。
どたんっ!
「あ、あ痛っ!」
キャナリーは起きようとしてベッドから転がり落ち、目から星が飛び出るほどの痛みで目が覚めた。
床で思いっきりおでこを打ってしまったのか。撫でてみると少し腫れていてまだ痛い。三ミリぐらいは腫れてそうだ。
もぞもぞと床から体を起こして、涙目をこする。まだ部屋はほとんど真っ暗だ。
ほんのちょっとだけ窓を開くと、雪溶けの冷たい風がふわわっと吹き込み、山羊や羊のメエメエという鳴き声を届けてくる。
「うわ~、いい風~!」
キャナリーは思い切ってがばっと大きく窓を開けた。すがすがしい森の香りが一気に部屋いっぱいに広がる。
朝日は山に隠れ、まだ外は薄暗い。透きとおった春の風が大きなクルミの木の枝をさわさわと揺らすと、小鳥たちがいっせいにぱっと飛びたち、そのさえずりで新たな風を呼ぶ。
「あれ? なに?」
う~んっと力いっぱい伸びをした彼女の足元に、ころんっ、ころころっと転がり落ちたドングリが一つ。
なぜこんなところに。まだ春だ、秋には早すぎる。
うん、絶対そうだ。犯人はあの子。自然に思い浮かんだ、頬いっぱいにドングリをため込んだ顔。こんなのって吹き出さずにいられない。
小さな桶の水で顔を洗って、スキッと完全に目を覚ます。
朝だ。一日の始まりだ。
「あ、サブロお兄ちゃん、おはよう!」
「おう、おはよう、キャナリー。今日の朝は勉強だぞ」
遊びに行こうと飛び出しそうになったキャナリーをサブロ兄が急いで引き留めた。
「ねえ、ちょっとだけ森に行こうよ。ね?」
「だーめ。ジロ兄から頼まれてるんだからな。しっかり先生してくれって」
ジロ兄が遠い魔法学校に旅立ってから、最初の勉強の朝だ。前回までの先生はそのジロ兄。それを譲られたサブロ兄は、いつもとはうってかわって張り切っていた。
「え~、サブロお兄ちゃんのいじわる~」
「ははは、何とでも言え~」
ぐう、お勉強……。だけど学校、それに……魔法! 魔法使い!
よし、頑張ろう! 遊びに行くのは我慢。今だけ、ほんのちょっとだけの辛抱だ。
「この字は……たしか、こう!」
よし、最後にくるっと巻くところが上手くできた。
ふっふっふ、我ながら完璧!
どうだとばかりにサブロ兄に見せると…………、あれ? その反応、思ったのと少し違う?
「逆だよ、逆。巻く向きはこっちだ」
「キィ~! むずかしいっ! もう、無理!」
投げ出したペンがコロコロと転がって、サブロ兄の目の前で止まった。
「ねえ、もういいでしょ? リリスが待ってるし!」
「……よし、今日もよく勉強した! 天気もいいし、早く森行こうぜ!」
「二人とも、もうすぐ朝ごはんだから早く戻ってくるのよ」
「はーい、行ってきまーす!」
遠く台所から聞こえてきた母の声に、元気よく返事をしたキャナリーは、そのまま屋敷を勢いよく飛び出していった。
「精霊か……どんなのだろう……」
サブロ兄も笑いながら後に続く。
今日はキャナリーが精霊を紹介してくれる約束。彼だって実はすぐにでも遊びに行きたかったのだ。
「パンおばさーん、おはよう!」
でこぼこ道のところの家から漂ってきた香ばしいパン焼きの匂いに、キャナリーは吸い寄せられるように近づいていく。もう「来て、来て」と呼んでいるようにしか思えない。
「キャナリーちゃんはいつも元気ね、サブロちゃんもおはよう。お出かけにはいい朝だね」
「うん、森に行くの!」
「気を付けて行ってきなさいな。ほら、焼きたてほやほやだよ」
おばさんから差し出されたパンは、まだ湯気を立てている。
「パンおばさん、いつもありがと……あちちっ」
「うおお、あぶないっ!」
びっくりして落としそうになったパンを、サブロ兄が必死になって拾おうとする。
「あつっ! あっつ~!」
なんとか落とさずに耐えたサブロ兄はパンを半分こにして、すこし悩んだ末に大きい方をキャナリーに渡した。
地面には積もった雪がまだあちこちに残っていて、土を吸ってすこし黒ずんでいる。
行き交う村のみんなに挨拶をしながら、スープの匂いで満ちあふれた広場を越え、さらさらと流れる小川も越えた頃、寝坊した朝日がようやく顔を出した。
キラキラ輝く朝の日の光が、まだ雪を深くまとった山々に反射して、とてもまぶしくきらめいている。
トンビが輪を描いているあの空の下では、山羊や羊が美味しい草を求めて、ゆっくりと山を登っているのだろうか。
二人はやり取りを続けながら深い森の入り口へと、明るさを増していく世界の中をぱたぱたと駆けていった。
「おい! ちょっと待て。この先は入っちゃ駄目だって言われてるだろ!」
「だ、大丈夫だって。ちょっとだけだし、入っちゃえば平気へいき!」
キャナリーが案内したのは、子供には危険、絶対に入るなと言われている森の奥。
「おい、そんなサッサと……、おい、待てって!」
サブロ兄の制止など聞かず、キャナリーは立ち入り禁止の森の中をちょっとどころかズンズン進んでいく。
早朝の森はまだ薄暗く、漂ってくるひんやりとした冷たい空気に、森の奥の奥まで引きずり込まれそうな気になってくる。
「リリス、いるかな……?」
「……俺に聞くなよ」
森の威圧感に押されるように、気づかないうちに、なぜか二人はささやき声になっている。
「……リリス~?」
かるく深呼吸して、おそるおそる呼んでみる。
「リリス~、やっほ~?」
大丈夫かな? 来てくれるよね?
朝ぶつけたおでこが何だかムズムズする。
手を触れようとしたその瞬間……
風が止まった。
そう思ったのも束の間、
ビュ~~~ッ!
突風が吹き込み、まるで森全体が揺れるように大きくザワザワとざわめき始める。
吹き込んだ風で落ち葉が高く舞い上がり、枝々が大きく揺れて、木漏れ日がミラーボールのように辺り一面で暴れ回る。
枝に積もってまだ溶け残っていた雪のかたまりが、ぼたぼたと落ちて二人の頭に降り注ぐ。
「きゃぁっ!」
「ぎゃっ、な、なんだ!」
あまりに強い風に、目を開けていられない。キャナリーは思わずポニーテールのリボンに手をやった。
「いや~! 止まってぇ~~!」
分厚いスカートまでバタバタとはためく。
「やっほーキャナリー、呼んだモモ?」
つむじ風のように巻き上がった激しい風をうまく操って、樹上からひゅ~んっとモモンガが降ってきた。精霊リリス。この子がキャナリーの相棒だ。
「……お、おい? しゃ……しゃべった……ぞ?」
リリスがキャナリーの肩に乗って、サブロ兄に向かって「えっへん!」と胸を張る。でも、なんだか心なしかプルプルと震えているようだ。
「キャナリーのお願いが強すぎモモ! 吹き飛ばされるかと思ったモモ!」
「え? え? 今のわたしのせい?」
「びっくりしたモモ! せっかくのおっきなドングリが飛んでっちゃったモモ~!」
あまりの突風にびっくりしたのはキャナリーも同じだ。
いや、サブロ兄なんか、まだ口をパクパクさせている。
「やっぱり、しゃべってる~~~っ!」
どうやら彼一人、驚きのポイントが完全に違っていたらしい。
ぐぅ~っ
びっくりした影響なのか、キャナリーのお腹から可愛い音が聞こえた。
「そうだ、パン! ちゃんともらってきたんだった!」
肩から斜めにかけた袋を開けようとするが、何かに引っかかっているのか、どうもうまく開けられない。
「大丈夫、お友達を呼んでたすけてもらうモモ~! みんなあつまれ~!」
リリスの呼びかけに応えて、たくさんのリスたちが森中から集まってくる。
「うわぁ、いっぱい!」
「これは、すげぇ……」
リスたちはいっぺんにリリスの袋に飛び掛かると、器用に袋を開けて、中のパンを取り出し、…………奪うようにかじりながら、またいっぺんに離れていく。
「あ~~~っ! あぁぁぁぁぁ!」
キャナリーの悲痛な叫びが森に響いた。
「ああ、もう、何してんだよ……」
サブロ兄も頭を抱える。
「ううう……パンおばさんのパンが……朝ごはんが……」
「ドングリなら、いっぱいあるモモ!」
「ど、ドングリは食べられないよ……」
キャナリーは涙目だし、サブロ兄は呆れているし、リスたちは満足そうに帰っていくしで、なんだかもうぐちゃぐちゃである。
「そうだ、サブロお兄ちゃん?」
キャナリーの眼が、今度はサブロ兄の袋に注がれた。
「ちょ、ちょっと待て、これは俺のだ、渡さないぞ!」
「ひとくち! ひとくちだけ!」
パンの残り半分が入った袋を押さえながら、サブロ兄が逃げる。それを追うキャナリー。ドングリをかじるリリス。やっぱりもうぐちゃぐちゃだ。
「へへへ、サブロお兄ちゃん、ありがと!」
根負けしたサブロ兄から手渡された、さらに半分になったパンを頬張りながら、キャナリーはにこにこしながら帰り道をスキップするように歩いていた。
その後ろからサブロ兄がトボトボとついていく。
「で、リリスを父さんたちに紹介するんだって?」
「うん、そうだよ!」
キャナリーの肩の上ではリリスが胸を張って、何やら誇らしげだ。
「キャナリーの相棒だモモ! 一緒だモモ!」
「……本当に、しゃべってるし……」
目の前にいるのに、サブロ兄はまだ信じ切れない表情で首を振っている。
家に帰りつくと、玄関で母が仁王立ちしていた。
「二人とも! もうお昼よ! どこへ行っていたの!」
「えへへ……ちょっと、森に……」
「朝ごはんも食べずに!」
「……ごめんなさい……」
ぐぅぅぅぅぅ~っと、素直にあやまった二人のお腹が同時に鳴った。
「ドングリ食べないからモモ……」
「せ、せ、精霊が、精霊がぁ~~~っ!」
キャナリーの背中からちょこんと顔を出したリリスに、家族が一斉に驚きの声を上げる。
一番大きな叫び声をあげたのは、なんと、いつもは寡黙な父だった。
こうして、ほとんど伝説のような『話ができる精霊』の登場に、イナカモント家はびっくり仰天の騒動に包まれたのであった。
そもそも、なんで精霊がこんな家に……。あまりに驚きすぎて、ニコニコしながら足をプラプラさせて座っているその元凶のことを、誰も異常に感じる暇は無かった。
目から星が飛び出しました!




