10.魔法学園への長い旅
キャナリーとアーネ姫、二人を乗せた馬車は、他の馬車や護衛たちを引きつれて、まだ雪の残る山道を里に向かってゆっくりと下っていった。
馬車の窓から吹き込んでくる厳しく冷たい風が、進むにつれてちょっとづつ緩んでくる。
キャナリーとアーネ姫、二人の間の緊張感も、それと同時にちょっとづつ緩み始めていた。
「あ、お姫さま、もうスミレの花があんなに!」
キャナリーが指さす方向に目を向けると、まだ雪の残る野に点々と咲き始めた紫色の小さな花。
「このあたりがトアール伯国の端っこね。ここからは王国、馬車で進めば進むほど、どんどん春になっていくわよ? こちらから春の中に飛び込んでいくみたいに」
「春が来るんじゃなくて、春に行くんですか?」
ちょっと不思議そうな顔をするキャナリーに、アーネ姫がくすっと笑った。
「そうよ。いま私たちが向かっているのは春。魔法学園まで二十日間の長い旅。あとはそのままずっと春の中を進んで行くの」
アーネ姫の言った通り、旅が進めば進むほど雪の白い姿は消え、青紫や黄色の花が咲き乱れる草原に塗り替わっていく。
遠くでは、羊たちがゆっくりと草を食んでいるのが見えた。
ピュピュピュチュルルチュル~♪
「あれはコマドリかしら?」
それにつられて他の小鳥たちも陽気に歌い出す。さえずり声はどんどん増えて、大規模な合唱へと移り変わっていく。
走る馬車の窓には、薄いピンク色の花が現れては過ぎ去る。
「あれは……桜?」
「そうね、桜に似ているけれど、あれはアーモンド。栗やクルミとは違うけれど、おいしい木の実が取れるわ」
「ドングリよりおいしいモモ?」
「ドングリは食べたことがないからわからないけれど、おいしいからきっとリリスも気に入ると思うわよ?」
アーモンドのピンク、その背景には草原の緑と、青紫や黄色の花。まるで赤青黄緑、魔法の四色。
これは魔法学園へと向かう道。キャナリーはそのことを思い、なぜかブルッと体が震えるのを感じた。
馬車は何日もかけて、青い空の下、草原を、そして広い畑の傍らを通り抜けていく。
夕方になると、お姫さまの友人の貴族たちの館へ向かい、そこ泊めてもらう。そして次の朝に出発する時には、その友人の馬車が増え、一緒に魔法学園に向かうのだ。
馬車は増え続け、最初の数倍になったところで、前方に山が見えてきた。その頂上付近にはうっすらと雪が残っている。
「え? 山に登るの?」
「そうね、山を越えるのよ。山と言っても、私たちトアールの者からすれば、丘のようなものだけれどね」
少しづつなだらかな山を登ると、草原は青紫から、紫、そして黄色へと彩りを移していった。
低いと言ってもそこはやはり山。天気は崩れやすく、登るにつれて空は曇り始め、どんよりと薄暗くなっていく。
「どうやら雨になりそうね」
アーネ姫の言葉が終わるか終わらないうちに、ぽつ、ぽつ、と冷たいものが馬車の屋根を叩き始めた。
やがてザーザーと本降りになり、馬車列はいったん止まった。窓の外では護衛たちが雨具の準備に大忙しだ。
「わぁ~、お姫さまの言う通り、雨だ〜」
「涼しくなって、ちょうどいいモモ」
「……雨ね」
「にゃ、にゃ~っ!」
ミケがアーネ姫の膝の上で、「警戒しろ」とでもいうように、声をあげた。
突然の雨に、護衛たちの動きも慌ただしくなり始める。そしてそんな空気はもちろん馬車の中にも伝わる。もちろん、キャナリーにも。
「……あの、お姫さま?」
「心配いらないわ。ガルド隊長やトアールの騎士たちはとっても優秀なのよ?」
窓の外を見ると、激しい雨で煙るその先に、護衛の人たちが怒号をあげながら走り回っている姿が見える。何か良くないことが起こっているのだ。
「こんなただの雨なのに……」
キャナリーはぽつりとつぶやく。
アーネ姫は一瞬どうするか迷ったが、隠し事はやめてしっかり全部を伝えることに決めた。
キャナリーはまだ小さいけれど、これから学園に入ることになる。もうすべてを知って、自分で判断してもよい年齢なのだ
「この山はトアールと比べれば丘のようなものだけど、もろくて崩れやすいの。だから雨が降るとちょっと危ない。特に今は雪解け水で増水している季節だから特に」
「雨が……危険?」
説明されても、キャナリーにはあまり理解できない。ただアーネ姫や護衛たちの様子から、いまは危険な状態なのだということだけはわかる。
雨脚はさらに強まり、道が泥の海に変わっていく。
天候の急激な変化、そして地元とは全く違う『ただの丘』の脅威に、キャナリーの不安は止まることなく高まり続ける。
「アーネ様、できれば川を渡り切りたいので、少し速度を上げます。休憩は控えることになりますが、なにとぞご容赦を」
走り続ける馬車の窓から、ガルド隊長が顔を覗かせた。その顔は冷たい雨にさらされて、心なしか青白くひきつって見える。
返事をするアーネ姫も、吹き込んでくる雨と風で震えているのがわかる。
隊列は雨の降りしきる中、一斉に速度を上げた。
馬車の一行は、茶色い水がごうごうと渦巻くように流れている川に差し掛かる。
「ああ、あんな大きな木が……」
その川を流れていく根本から倒れた大木。それも一本だけじゃない、何本も何本も流れてくるのだ。
そしてキャナリーたちの目の前で、川にかかった小さな橋が……崩れ落ちた。
馬車がぐらっと横に揺れる。
もしかして、この道ごと流される?
キャナリーだけじゃない、アーネ姫も思わず馬車の取っ手を握りしめていた。
川はそれ以上の危険に陥ることはなく、分厚い雲に遮られた太陽が西に沈むころには、川向こうの子爵家に到着できた。
その翌朝、空に晴れ間が広がる中で、昨夜すっとばした男爵家の令嬢の合流を待って一同は再出発する。
この先は峠、それを越えればいよいよ王都へと直接つながる道だ。
昨日までとは打って変わった青空の下で、馬車列はまだぬかるんだ道をずんずん進んで行く。
長かった旅も、残すところあと少し。
ここに来て、それまで元気だったキャナリーが沈みがちになり、ほとんど話をしなくなってしまった。
二人でいる時は元気だけれど、泊まりで部屋がわかれる際に、アーネ姫は一人ですすり泣くキャナリーの声を何度も耳にしていた。
アーネ姫はキャナリーの震える手をそっと握りしめる。
「私たちのトアール伯国から魔法学園に通うのは、貴女と私、たった二人だけなの。
学年が違うからいつも一緒というわけにはいかないけれど、もしも困ったことがあったら、本当の姉だと思って、いつでも何でも相談してね。どんな時でもきっと助けてあげるわ」
「はい……、あの……、今でも良いですか?」
「ええ、構わないわ!」
末っ子で妹が欲しくてたまらなかったアーネ姫。むしろこちらからそれを言い出したかったくらいだ。
「あの……ずっと馬車に乗り続けで……こんな遠くまで、私……、」
「うん、そうね……」
故郷トアールはもう遥か彼方。ここまで来てしまえば、もう戻ることはできない。
「もう、お尻が痛くて痛くて、我慢できません~~~っ!」
「ぷっ!」
アーネ姫は思いっきり噴き出した。
その数日後、青空の下、一行は小さな丘の上で一時休止した。
キャナリーのお尻にはふかふかのクッション。
「見て、キャナリー」
アーネ姫が指さす方向を見ると、とても大きな丸を描くような城壁と、その中におもちゃ箱のように詰め込まれた町が目に入った。
「あれが、王都。ルミナール王国の首都ルミナリス。私たちが通う魔法学園がある、この国最大の都市よ」
そう、ついにキャナリーは王都にたどり着いたのだ。
高くそびえた石の城壁がどんどん近づいてきて、前を行く商人たちの荷馬車をどんどん飲み込んでいく。
「ねえ、リリス、見て見て! すごく大きな……かべ……リリス? どうしたの?」
「……ドングリの匂いがしないモモ……ドングリないと……消えちゃうモモ……」
え? なに? リリスが……消えちゃう?
「リリス! しっかりして、リリス!」
力なくうずくまるリリスを抱きかかえ、キャナリーはただ、リリスの名前を呼び続けた。




