後編
第二皇子のざまあ編です。
終盤少しシリアスめになるのでご注意ください。
令嬢が退出するまで特段声すらかけなかった息子は、不満そうな顔をしている。
この子の妄想通りなら、息子の騎士道精神に感激した父王が皇位継承順位を繰り上げ、皇太子としてお披露目して貰えるだった筈のだろう。
第一皇子ワルターの婚約者ミレイユは、帝国随一の財力を保有し宮廷においても隠然たる影響力を及ぼすシュミット公爵家の長女だ。名門とは言え流石にフレデリカの家では太刀打ちできない。だからこそ、甘い言葉を囁き自身に惚れ込んだ「新しい武器」を持ち込んだのだ。
――愚かな。
確かにマルガレーテの実家――カルスト王国の屋台骨たるベイツ公爵家の影響力と財力はかなり魅力的だが、当主に逆らい勝手に出国した時点で家の力を使える身分ではなくなったと分からないのか。
エルンストはこの期に及んでまだ何らかの希望を持っているらしい息子へ説明してやる。
「レオンハルトよ、次期皇帝であるワルターならば兎も角、臣籍降下するお前に側室は認められない。お前の妃はフレデリカただ一人。幼い事から言い聞かされて来たのだから、良く知っているだろう」
フレデリカは勇猛な武将を多く輩出して来たロット侯爵家の出だと言うのに、大人しく勤勉で夫を立てる事が出来る令嬢だ。幼少より神童の呼び声高いミレイユには及ばないが、既に周辺四か国の言語とマナーを完璧に習得していると聞く。
容姿も特別不細工と言う訳でもなく、むしろ儚げで美しいと評判だ。男も女も筋骨隆々たる者が多いロット侯爵家の面々が、掌中の珠の如く溺愛しているのも分かる。
一体彼女の何が不満なのか。
「私が皇帝になれば問題にはならないでしょう」
おや、本音が出たな。皇室典範に則り定められた継承順位を軽々に扱うとは、我が息子ながら情けない。取り巻きの甘言に乗り余計な事をする前に同盟国へ留学させたが、馬鹿をやらかさない様に手元に留めておいた方が良かったのだろうか。
そもそも、前提条件が違う。側室や愛妾を持てるのは皇太子になった後の事だ。現在の自身の後ろ盾ーーロット侯爵家の神経を逆撫でするだけだと分からないのか。
エルンストは最早溜息を隠さず言う。
「この国を統べる者は天に愛されていなければならない」
「ええ、ですがそんな物は建前でしょう?為政者にとって重要なのは優れた決断力と国家の敵を打ち滅ぼす武勇です」
500年に渡り受け継がれて来た我が国の習わしを「そんなもの」と来たか。
傍に立つ宰相の機嫌が急降下しているのが顔を見ずとも分かる。後で好物の甘味を差し入れしてやろう。
ユベールの赤き薔薇と称えられた母親の特徴を受け継いだ顔には、確固たる信念が宿っている。すらりと伸びた体躯には程よく筋肉が付き、衣服の上からも鍛えられていることが分かる。更にやんごとない身分ともなれば、留学先で令嬢たちが本来の婚約者を放って惚れ込むのも、まあ当然と言う所か。
周りに集る女たちの中で最も優れた者を連れてきたつもりなのだろう。――自分の野望を叶える為に。
正妃の一粒種として真綿に包まれるように大切に育てられ、甘やかされ続けた第一皇子。とうに成人したと言うのに、未だに剣術の免状一つ貰えていない。我が兄ながらなんと情けない。あのような甘ったれが皇帝の座に就いたとして、まともに国政を動かせるものか。それならば全てにおいて優れている自分が皇帝になるべきだ。
――などと思っているのであろうな。
この子の教育係の選定を第二妃に任せたのはやはり失敗だった。
都合の良い所だけ掬い取る視野の狭さ、思い込んだら考えを変えない頑迷さ。息子を傀儡にして内政を握ろうとする野心が透けて見える。領内にある鉱山の権益を手にするためとはいえ、アレの実家を好きにさせ過ぎた。
自分が母親や祖父の「お人形」になっている事も気付かない次男が哀れで目こぼしして来たが、ここまで増長するか……。
内憂外患の元を放置するなど、余も友の事を笑えないな。
長幼の序を重んじる国は多いが、ここユベールでは皇位継承権を持つ中で最も優れた者が皇位に就く。エルンストとて、正妃腹の第一皇子、第二皇子を差し置いて即位したのだ。だから自分も、と考えが及ぶのは分からなくもない。
だが、「最も優れた者」が一体何を意味するのかをこの子は全く理解していない。意図的に伏せられていたのかも知れないが。
「お前が十二歳の時、城下町で暴漢に襲われたのを覚えているか?」
「ええ。周りに近衛はいませんでしたが、武術指南役から教えられた剣術で難なく退けました。そう言えば……兄上は腰を抜かした挙句、通りがかりの者に守って貰ったとか。守るべき臣民に守られるなど、同じ尊き血を引く者として恥ずかしいです」
「お前が十歳の時、森を散策中に野犬に襲われた時は?」
「少し手こずりましたが、やはり剣術で退けました。兄上は護衛とはぐれた挙句剣まで落とし、動物と雷に驚いて気絶したと聞いています。何事も無かったから良いものの、武器を手元から離すなどありえません」
「お前が八歳の時、保養地でボートに乗り身を乗り出して池に落ちたな」
「水練の教授をうけていたお陰で無事岸まで戻る事が出来ました。兄上は足を滑らせ溺れた挙句、近隣住民に保護されたのでしたか。着衣での水練をきちんと習得していれば、あのような無様を晒す事もなかったでしょう」
「お前が六歳の時、宮殿の樹木に危険性の高い虫が巣を作っているのを見つけたのだったか」
「座学の講師からその危険性と対処法を学んでおりましたから、家臣に命じて適切に駆除しました。そう言えば兄上も同じ頃何かの虫に刺されたとか。どうせ虫の習性も知らず近寄ってしまったのでしょう。……ああ、父上。やはり次期皇帝には私が相応しいと確信いたします。どうかご英断を!」
昔は大変仲の良い兄弟で、これならば長じた後も腐ることなくワルターを支えてくれると安心していた。自分の時には出来なかった事をこの子達なら成し遂げてくれると。だが、レオンハルトは何時の事からか自身より能力の劣る兄を蔑むようになり、気付いた時には手遅れになっていた。
ああ、こんな筈では無かったのに。全て余が至らぬせいだ。
エルンストは溜息をついて、息子の考え違いを正してやる。
「まだ分からぬか。同じ状況にあってもワルターは何も持たず身一つで切り抜けている」
「それは結果論でしょう。どれも偶々です」
「そうだ。武装した間者に護衛を全て殺され自身も殺され掛けた所を、偶々諸国漫遊中の拳法の達人に助けられた。視察先からの帰途馬車が横転し外へ投げ出された所を、巣を追い出され凶暴化した狼の群れに取り囲まれたが、偶々落ちた雷が全て焼き殺した。常から流れが早く落ちれば命が無い川に突き落とされ、けれどその流れと勢いが偶々急に変わって浅瀬に打ち上げられた。砂糖が入っている筈のポットから出て来た毒虫に刺されたが、偶々長雨で足止めされていた高名な薬師が居合わせ事なきを得た」
ワルターに降り掛かった災難は全てレオンハルトより何倍も危険度が高く、一つ間違えただけで取り返しが付かなくなる深刻な物であった。
「全て偶々――天があの子を生かそうとしているのだ」
「ご自分が何を言っているのかお分かりなのですか?天に意志などある筈が無い!たかだか数度の偶然ごときで、あのような凡庸な存在を皇位に就けると?」
「数度ではない、先のはほんの一部だ。これまで無数の間者や危機があの子の命を狙ったが、そのいずれも偶然が重なり未遂に終わった」
その殆どが実母の派閥によるものだと知っているのだろうか。知らないだろうな。そんな事をせずとも、自身の知略と武勇で難なく玉座を奪えると思っている。第二妃派は第一皇子の脅威を正しく認識し、薄々無駄と思いつつ何とか命を奪おうと画策しているが。
「東部モルグ領を中心に発生した大規模な蝗害、トーリ近海で数年に渡り続いた不漁。帝国領全域に及ぶ大干魃とそれに付随する深刻な飢饉。白面病の流行に怪しげな新興宗教の台頭。かつて我が国を襲った様々な災害や危機は、全て周りの反対を押し切り資格を持たない者が皇位に就いた治世で起きている」
「そんなもの、偶然です」
「そうだ、偶然。偶然なのだレオンハルト。誰もかれも武勇に優れ英邁で、非常に優秀な者たちだった。ただ、天が愛したのは彼らでは無かった」
同じような事をかつて誰もが考え、もしかして今回こそは違う道を開けるのではと思い実行してきた。
そうして、その全てが多くの臣民の死と共に潰えていった。
「その治世が長引けば長引くほど、支配地域が広くなればなるほど降りかかる災害はより多く深刻になり、帝国は疲弊していった。故に我らは天を恐れ敬い、天に愛された者を玉座に就かせてきた。……余も、その一人だ」
即位の半月前、目の前で突然倒れ頓死した長兄の顔は今でも夢に見る。
剣術の才に恵まれ、名の知れた将軍家に婿入りして華々しい戦歴を上げていた兄の事は大好きだった。久々に王宮に顔を見せた兄は遠征先で珍しい茶器が手に入ったのだと機嫌良さげに笑い、手づから香りの良い茶を淹れてくれた。帝国式のものとは異なり持ち手が無く、掌に収まるほどの小さな可愛らしい茶器の飲み口には、毒が塗られていた。
後の解析により、茶器に塗られていたのは解毒剤が存在しない遅効性の神経毒ーー摂取すると眠る様に死ぬ効果をもたらすと分かった。せめてもの兄心だったのだろうか。……そうだと良い。
けれど結局自分がそれを口にする前に、どこから紛れ込んだのか見慣れない毒虫が兄の首へ喰らい付いた。この地域では生息出来ない筈の虫だった。
虫の牙は鋭く食い込み、その毒は瞬く間に全身に回った。顔面蒼白になった兄が大きな音を立て崩れ落ちる。慌てて駆け寄る自分へ、兄は最後に笑いながら掠れた声でこう言った。
――やっぱりこうなったか、と。
時折侍従の目を盗み城下町へ連れ出してくれていた次兄も、花が好きで薬草園に良く案内してくれていた妹も、「僕だけは一緒に居ます」と約束してくれていた同腹の弟も、その全員が死んでしまった。
皆聡明で優秀で朗らかで優しくて、余などよりずっと皇帝に相応しかった。
けれど余はこれからも玉座に就かねばならない。無数の屍が積み重なった此処で、国の為に尽くし続ける義務がある。
「なあ、レオンハルト。余の治世で天災や疫病が発生した事があるか?」
「あ、ありません……ですが!」
「そこまで疑うなら結果を見せよ。南部イスラ領モナークの代官となり、過去十年より良い収益を上げてみろ。そうすれば継承順位についても考慮してやる」
「陛下!」
今まで静かに聞いていた宰相から声が掛かる。
ああ、分かっているよニコラス。お前の懸念はもっともだ。これを聞いた第二妃派は勢い付き、多少不正を行ってでもあの地の財政を無理矢理に底上げする。
余の即位以来あの土地には特段問題も無く、普通に治めれば前年度の収益を上回るだろう。だが、かの地を治めるのがレオンハルトになった場合、どうなるか。それに……。
それにこうでもしなければ、レオンハルトはいつか直接兄を手に掛けようとする。そうなった時、失われるのがどちらの命かなど、分かりきっているのだから。
レオンハルト、我が息子よ。血を分けたお前が可愛くない訳が無い。
皇都から離れ領政に集中する事で、少しでも冷静になって欲しい。自分の身の丈にあった幸せに気付き、聡明で慎み深い妻と共に平穏に過ごして欲しい。
これは、皇帝ではなく親としての最後の温情であり細やかな願いでもあった。
***
帝国歴561年、南部イスラ領モナークの代官を勤めて来た元第二皇子レオンハルト・ロットは34歳の若さでその職を辞した。
赴任早々発生した局所的な豪雨災害、疫病の蔓延、未曾有の不作。その解決に心身を削りながら奔走したレオンハルトは体を壊し、妻フレデリカの実家であるロット領にて静養生活に入ったと記録されている。
病状の悪化により二人の間に子は出来なかったが、最期の時を迎えるまで夫に尽くし続けたフレデリカは妻の鑑であるとして、後世にまで語り継がれている。
婚約破棄された令嬢が他国の皇太子や第二皇子とかに見初められて国を捨てる話は沢山ありますが、本当にそう上手く行くかな?
国の機密知ってる身分でそんな事するとか、普通に国家反逆罪に抵触しない?あと、顔良し血筋良し学力良し性格良しの超優良物件が婚約者無しとか流石にあり得ないのでは……と言う所から始まったお話。
個人的感情を優先し、狭いとはいえ国内の一領地が疲弊する事に目を瞑ったエルンストは一国の王として正しいとは言えません。
亡くなった彼の兄弟たちなら、もっと非情かつ冷徹な判断の元切り捨てていたでしょう。
ちなみに、この後第二妃派はモナーク救済のため(もっと言うなら息子の立太子の為)巨額の資金を投入し力が弱まります。
王としてはあくまでも善意(息子に自分と同じ轍を踏んで欲しくない)からでしたが、結果的に第一皇子への反抗勢力はほぼいなくなります。
そういう国に生まれた(生まれてしまった)ある人の子のお話でした。
マルガレーテに関しては、帰国後病死するかもしれないし、元鞘に収まるのかもしれない。
ただ、あれだけの事をした人間がまともに扱われるはずもなく……王の隣も政治への関わりも優秀な愛妾に取って代わられ一挙一動を監視されながら針の筵状態で一生を過ごすのだと思います。