前編
ユベール帝国皇帝は頭痛を堪え、次男とその連れを見下した。留学先から帰国した第二皇子が、同盟国の公爵令嬢(しかも王太子の婚約者)を連れて帰ってきてしまったのだ。
……ちょっと意味が分からない。
長年の献身虚しく王太子が愛妾を迎え入れると。はあ、そうですか。それと我が国が何の関係が?
え、輿入れ?うちの次男に?余、何も聞いてないんですけど。
と言うか次男お前、昔から支えてくれてる婚約者いるだろ?あの子の献身は?まさか無視??
頭に砂糖菓子が詰まった二人へ、皇帝は頭とお腹の痛みに耐えつつ馬鹿すぎる勘違いを一つずつ訂正していくのであった……。
※前編は公爵令嬢ざまあ、後編は第二皇子ざまあです。
※後編は翌日の12時に投稿予定です。
ユベール帝国第21代皇帝エルンストは玉座の間で本日幾度目かになる深い深い溜息を押し殺し、留学先から帰国してきた次男――レオンハルト・ユベール第二皇子へ問いかけた。
「すまんが、もう一度言ってくれ」
「ですから……こちらは留学先であるカルスト王国にて親交を深めたマルガレーテ・ベイツ公爵令嬢です。王太子の婚約者として幼少より献身的に勤めてきたにも拘わらず、かの国にて卑劣極まる裏切りに遭い、実家である公爵家にすら切り捨てられたのです。あまりの事に我が保護下に置き、こうして共に帰国した次第です」
四十代後半に差し掛かり疲労が蓄積しがちになったとはいえ、流石に聴力に問題はない。
一度目の説明も一言一句違わず聞こえていたし、事件のあらましも彼方へ潜ませた間者を通しとっくの昔に耳に入っている。だが、それと今現在自分の目の前で繰り広げられている状況――安っぽい小説のような茶番を受け入れるのとは全く別問題だった。
『卑劣極まる裏切り』とは、もしかしてカルスト王国王太子が子爵家の娘を愛妾として迎え入れる話だろうか。
王立学園史上稀にみる才媛として、卒業まで首席を維持し続けたと聞いている。上位の貴族家からの嫌がらせもあったろうに其れが出来たのは、学園内での立ち回りも上手かったからだ。王太子が欲するのも分かる。
側室にしても良い所を愛妾に留めたのは、正妃となるマルガレーテ及び実家である公爵家への気遣いだ。愛妾の生んだ子には王位継承権が発生せず、後継問題にも発展しない。王家側の決定として説明を受けたのであれば、かの子爵家も親子ともども承服し話はついている筈だ。
中々分を弁えた娘であるな。生まれた子は臣籍降下して母方の実家を継ぐのかもしれない。
「いきなり屋敷に押しかけて来たかと思えば、あのみすぼらしい子爵家の令嬢を愛妾に迎え入れるなどと妄言を吐いたのです。私が王太子妃教育で忙しいのを良い事に随分と仲良くなった様で……。この後は私の補佐をさせるつもりなのだと。浮気相手を囲うにしても、もう少し言い様があるでしょう?あんまり腹が立つものだから平手打ち致しましたわ」
「ハハッ、勇ましいな。理不尽な事に屈しない強さは王家へ嫁ぐものとして必須だよ」
何処が勇ましいのだ?
王城に呼びつけても良い所をわざわざ公爵家を訪れ、愛妾を迎え入れる事について丁寧に説明をし理解を求めた王太子を叩くなぞあり得ない。婚約者の身分に驕り、王族と自分が対等の存在だとでも思っているのだろうか。もしそれが王城で行われていたら、投獄は避けられなかっただろう。
王立学園の入学までに王太子妃教育が終了せず、卒業手前で漸くどうにかなった不出来な婚約者。
権謀術数渦巻くこの世界で次代の王の隣を任せるには、あまりにも頼りなさすぎる。かと言って、婚約からすでに十年以上経過した段階で解消など流石に対面が悪いし、周りにもいらぬ腹を探られる。主たる原因が令嬢の能力不足であるならなおさらだ。
その諸々を解決するための措置だと、当のマルガレーテ本人だけが分かっていない。
「叩かれるなど思いもしなかったのか、ぽかんとした顔があまりに間抜けでしたので、それ以上は許して差し上げましたけれど」
「一発で許すなんて君は寛大だな」
「でも、お父様ときたら平身低頭して殿下へ謝るのです。殿下の愚行を諌めるどころか、おもねり媚びるなんて……本当にわが父ながら恥ずかしいですわ。その上、殿下がお帰りになった後酷く怒鳴られ、挙句自室へ閉じ込められたのです。夕食も抜きで!以前から後妻の生んだ弟ばかり傍に置いて贔屓するし、私などどうでも良いのですわ」
「可哀そうなマルガレーテ……でも君の乳姉妹のメイドが助けてくれたんだよね」
「ええ、昔から妹の様に可愛がってくれるのです。輿入れする際はあの子も私付きのメイドとしてお迎え下さいませ」
宰相職を務め多忙なはずの公爵が娘と同席していたという事は、先触れを出していたからだ。何が「いきなり屋敷に押しかけて」だ。
更に、娘の無礼を決死の覚悟で謝罪した父親への感謝も無く、その場で無礼打ちしても良い暴行を許してくれた王太子への感謝も無い。
ベイツ公爵家には二人しか子が居ない。前妻が娘――マルガレーテを産んだ後、すぐに身罷ったからだ。公爵家次期当主は後妻が産んだ弟であるし、傍で仕事の心得を教授するのもごく普通の事。
更に評判の悪い貴族の後妻へ嫁に出すなら兎も角、貴族令嬢として最高の誉れ――王太子の婚約者に娘を推挙した。
式典で幾度か話をした事があるが、立ち居振る舞いから会話術に至るまで、非の打ちどころのない優秀な王太子であった。婚約者への細やかな気遣いと無礼を許す鷹揚さからも、高慢で気難しいマルガレーテにとって最良の相手だと分かる。
政治的な思惑は勿論あっただろうが、一体どの辺りが贔屓・冷遇なのだろう。
もうはっきり言うが、馬鹿なのか?
レオンハルトよ、何故そんな厄介事の種でしかない馬鹿女を受け入れたのだ。あと先程「輿入れ」とか意味不明な用語が聞こえた気がする。
その場の口約束で「妻に迎え入れる」などと妄言を吐いたりしていないよな?皇帝の権限で行われる婚約の差配を、皇子の身分でどうこう出来ないと知っているよな?
そうだと信じたい。頼むからそうであってくれ。
次期国王として立場が約束されている身分なら、正妃のほかに側室や愛妾を持つことは社会通念的に許されている。と言うか、あちらの法律においても何ら問題はないはずだ。
一体何が不満だったのだろう。
まさかとは思うが……「自分一人だけを生涯愛してほしい。浮気ダメ絶対!」などと、平民の様な恋愛観を持っているのではあるまいな。
え、普通に怖い。この娘、自分が次期国王に嫁ぐ身であった事を理解しているのか?幽霊や魔獣だのを語る怪異譚は平気だが、人間が怖い系の話は大の苦手なのに。
今夜、余が怖い夢を見たらどうしてくれるのだ。
そうれはそうとこの二人、此処が何処なのか忘れている気配がプンプンする。学園のカフェテリアでは無いのだが……。皇帝に許可も得ず好き勝手話す馬鹿二人へ、エルンストは仕方なく語りかけた。
「先ほど紹介された令嬢だが、カルスト王国からは機密漏洩による国家反逆の疑いありとして引き渡し要求されている」
「あちらも必死ですね。彼女の献身を当然の如く利用しておいて、今更何を言っているのだか。安心しろ、マルガレーテ。君の事はユベールが守る」
「レオ様……心強いですわ」
いやいやいや、何勝手に宣言しているんだ。国の名を語るなど、たかだか第二皇子がして良い行為ではない。けれども隣の元公爵令嬢は両手を組み涙ぐんでいる。アホだな~。
「レオンハルトが、ユベールの太陽たる皇帝陛下に申し上げます。どうか彼女の保護と身分をお約束頂きたい」
舞台俳優の様に高らかに宣言した息子は明らかに「決まった……!」と言う様な顔をしている。自信に満ちた様子の次男に頬を染めしな垂れかかる娘は、自分の置かれている状況を正しく認識しているのだろうか。
いないんだろうな。多分、では無く確実に。
もし此処が舞台の上であるなら、この後主演俳優と女優による壮大な歌が始まり大団円を迎えるのだろう。だが此処は玉座の間であるし、その様な奇跡は起こらない。
エルンストは激しくなっていく頭痛を堪えて問いかける。
「何故我が国がその者を守らねばならないのだ?」
「父上、私の話をお聞きでは無かったのですか?マルガレーテは母国での扱いに耐えかね亡命して来たのです」
やれやれ、これだから頭の回転の悪い者は……みたいな顔をしているが、そう言いたいのはこっちだ。一体留学先で何を学んできたのだろう。エルンストは眉間の皺が深くなっていくのを感じながら、馬鹿にも分かるよう懇切丁寧に教えてやる。
「亡命者の受け入れは出入国管理局の管轄だが、犯罪を犯しているのであれば到底受け入れられない。あまつさえ彼方から名指しで引き渡し要求が来ているのだぞ。どうしてもと言うなら、それを覆すだけの利を提示しろ」
「利ならありますとも。計り知れない価値が」
「それはどういう意味だ」
「王太子妃教育で知り得た情報――最新の経済政策から表に出ていない軍事機密に至るまで、その全てをお教えいたします。既に祖国への忠誠も涸れ果てました。これよりは皇帝陛下並びにレオ様へお仕えしたく思います」
亡命して来た令嬢が直答なぞ許していないのに勝手に話し始めたし、とんでもない事言い出した。
何かごちゃごちゃ言っているが、要するに母国を裏切って情報漏洩します!と言う宣言だ。カルストからの罪状ーー国家反逆罪容疑を自ら固めているんだが。
それにしても、彼女は本当にカルスト王家の王太子妃教育を修了しているのか?
余、何だかお腹まで痛くなってきた。
確かに彼女の言う「機密」とやらを利用すれば幾ばくかの利が得られるし、有利に動くことも出来るだろう。
だが、その後は?
友好的な関係を築いてきた同盟国の要求を突っぱねた先にあるのは、両国共同で行ってきた各種事業の凍結に、同盟国だからと大幅に減税されていた関税率の見直し。
ああ、国境付近の哨戒兵も増強せねばならない。貴族は元より商人層においても事業の縮小や凍結、支店の撤退が続出するだろう。
彼らに雇われている労働者も、約束されていた筈の報酬が得られず路頭に迷う者が出てくるかもしれない。
其処に諸外国からの冷ややかな眼差しも加わる。目先の欲にかられ、今後数十年数百年先に渡る対外関係を溝に捨てるなど愚行以外の何物でもない。
どうしても母国を捨て出奔するなら、カルスト王国と敵対しているか、犯罪者引き渡し協定を結んでいない国へ逃れるべきだった。
まあ、そちらで国際法に則った適切な扱いをされるかは大いに疑問が残る所だが。情報だけ引き出され後は処分されるかもしれないし、素性を信じてすら貰えず貧民街へ捨てられるかもしれない。カルスト人だと言うだけで暴行を受けるかも。
そもそも、生国を裏切った者が他国で生涯手厚く重用されると本気で思っているのだろうか。確かに、その情報が正確で且つ有用であるなら少しの間は身分が保証されるだろう。
だが一度ある事は二度ある。此方を裏切らない保証はどこにある?
そんないつ爆発するか分からない危険分子をーー監視の行き届いた隔離施設での軟禁なら兎も角ーー要人や機密で満ちた王宮に住まわせ、更に皇族へ迎え入れるなどあり得ない。
もしかして頭に砂糖菓子でも詰まっているのか?
「……なるほど、あやつの言っていた事は誠であったな」
「父上、では……!」
面倒ごとを持ち込んで来た息子が何故か喜色満面の笑みを向ける。
お前も頭に砂糖菓子が詰まっているのか。
「ユベールとカルストは長きに渡り良き同盟相手として共に支え合ってきた。実際、現国王イヴァンと余も無二の友だ。勿論引き渡しに応じるとも」
傍に控える宰相も小姓も、周りの貴族たちも当然だと言わんばかりに頷いている。血相を変え許しも無く立ち上がるのはレオンハルトだけだ。
「父上!マルガレーテは私を信じ決死の覚悟で此処まで来たのですよ?彼女の覚悟を見捨てるのですか?」
覚悟ではなく鬱憤晴らしだろう?
頑張っている自分を尊重せず、満足に労りもしない母国への仕返しを思いつくのは自由だ。個人の思考は尊重されるべきだし、頭の中だけなら好きに妄想すれば良い。
だが、関係ない此方を巻き込まないでくれ。
「マルガレーテが我が妃となればユベールは益々発展すると言うのに。天下に名だたる皇帝陛下のお言葉とは到底思えません」
鼻息荒く玉座へ近寄る次男にエルンストは眉を上げる。
「妃、だと?お前……まさかフレデリカの事を忘れているのではあるまいな。幼少よりお前の妃になるため懸命に励んで来た幼馴染だぞ。彼女の献身を無にする気か」
「慎み深い彼女なら、マルガレーテと共に私を支えてくれます」
「え……婚約者、がいらしたのですか?」
酷く驚いた顔の娘に此方の頭まで痛くなってくる。直答は未だ許可していないが、あまりの無知さにエルンストは教えてやる事にした。
余って本当に優しい。何か疲れたし徳も積んだので今夜は秘蔵の酒をこっそり飲んで良い事にする。今そう決めた。御典医にバレたら大目玉を喰らうが、バレなければ良いのだ。
「仮にも皇位継承権を保有する皇族の婚約者が今に至るまで未定だとでも?公爵家の調査能力が不足しているのか、そなた自身の手抜かりか知らぬが。何か事情があったにせよあちらの人材不足は深刻と見える」
あからさまな侮辱に元公爵令嬢の顔が赤くなる。
と言うかこの状況、自分自身が置かれた物に酷似していると気付いて居るだろうか。多分居ないだろうな。
下級貴族ならともかく、侯爵家令嬢であるフレデリカを愛妾に落とすなどあり得ない。この土壇場での婚約解消もあちらの家が許さないだろう。
そして、それが実現可能かはさておき、レオンハルト本人も二人纏めて娶るつもりでいるようだ。つまり、どう転んでもマルガレーテはたった一人だけの愛妻などにはなれない。
あの日、愛妾の存在と婚約者の思いやりを大人しく受け入れていれば、王太子妃として優雅な生活を送る事が出来たのに。無鉄砲と狭量を上手く利用されたな。
「衛兵、カルストからの『客人』を別室に連れて行け」
言葉と同時に控えていた近衛兵が、青ざめ震える令嬢を抱えるように連れていく。漸く自分の置かれた立場と犯した事の重大性を認識したのかも知れないが、もう全てが遅い。
重い音を立て、玉座の間の扉は閉じられた。