3ページ目:分断!あったかお風呂!
白く曇ったガラス、室内を満たす湯気のぬくもり、それにリンス・イン・シャンプーよりも甘い香りのする長い桃色の髪の毛。
あの命懸けの大冒険から村に一時帰還した俺たち三人は今、
ヒョンキチん家でお風呂に入ってた。
「それじゃマオちゃん、流してくねー?はいるといけないから、目は閉じててねっ」
シャンプーはしみると痛いから!と、俺はそう言って、シャワー片手にマオちゃんのくびれたお腹とヒジのスキマをぬって手を伸ばす。
お湯を出すための蛇口は、マオちゃんの膝の先にあるからだ。
それにしても⋯⋯かーさんの脇腹とは違ってすんなりと手が通るな。
「ふふっ、わかったのじゃ。温度は少しぬるめで頼む」
「はーーい!」
くいっ、と蛇口を回してお湯が出ると、マオちゃんは目をゆっくりと閉じて顎をすっとあげた。
曇った鏡ごしに、うっすらとその顔が見える。
やっぱり、綺麗な人だなあ。お人形さんみたいって、こーゆのをいうのかな。
なんて見とれそうになりながらも、シャワーからお湯を手に当てて温度を確認してから、俺は目の前でモコモコ泡立った髪のてっぺんにそっとぬるめのお湯をあてた。
なんでだろーね。
いっつも使ってる普通のリンス・イン・シャンプーなのに。あの天魔の王に追われててそれどころじゃなかったけど、どうしてマオちゃんはこんなに甘いにおいがするんだろ?
すんすんっと鼻が自然と楽しくなっちゃう。
それにほら、ちょっと髪の隙間に手を入れると、柔らかくて、すーっと溶けるように手のひらから滑り落ちてって。
自然とそれを追って手を下げると⋯⋯、
うわあ、背中もさらさらだあ――!
「デ、デン?少しだけ、その、こそばゆいぞ?」マオちゃんの体がぴくんっと跳ねた。
「あっごめん!」
「ったくよー、よくそんな自然体で女の髪を洗えるよなーおまえは。恥ずかしくねぇのかよ?」
恥ずかしい?何が??
湯船につかって、鼻先まで顔をしずめてブクブクしてたヒョンキチが呆れた口調で言って、俺はきょとんとなる。
「ふむっ?先ほどから一向にあがらんと思ったら、恥ずかしがっておったのか?
わたしは大人で、少年らは少年だ。気にする点などないじゃろう」
「まーーそーーなんだけどよぉ。
俺もカーチャンが入ってくる時はあるし、村のねーちゃんに子供が出来るまではたまに一緒に入ってたけど⋯⋯なんつーかなあ。
マオちゃんは照れる」
「ふむ?それは褒め言葉として受け取っておこう⋯?」
目を閉じたまま、マオちゃんは首をかしげる。
まあ確かに、こんな美人さんは村じゃ見たことないもんね。
そう考えると恥ずかしい⋯⋯のかな?
と、それはそうと。あとは毛先を洗い流したらオッケーだ。
俺は床にちょっとだけ接触した毛先をすくいあげる。
それからシャワーの先を白い肌の背中に向けると「ひゃっ!? 冷たいのじゃあ――!」悲鳴をあげて、マオちゃんの体がのけぞった。
「へっ!? あっほんとだ、お水になってる!なんで何で!?」
「あーー、カーチャンのやつ。またボイラーの魔力切らしたな」
ヒョンキチが天井を見ながら言う。
「ったく、俺が行ってくるからおまえらはお湯につかってろ」
俺に目配せするように視線をやるところをみると、マオちゃんを気遣いたいけど照れくさいらしい。
ふふっ、めちゃくちゃからかいたくなるな。けど、そこは暗黙の了解。
にやっとした俺の顔を見て、意図は伝わったみたいだ。
「おっけー、マオちゃん入って入って!」
「す、すまぬのじゃ、さすがに裸で外に出る勇気はない」
「お客さんだからな!」
ヒョンキチはぶっきらぼうに俺にそう言って湯船を出ると、頭に乗っけてたタオルを腰にさっと巻く。
それからガララっとドアをあけて脱衣所に出る。
そのぷにぷに肌の背中を見て、俺はあらためて思う。
あれだけの攻撃魔法の連撃を受けたのに、傷ひとつないのは、ほんと奇跡そのものだよなあ。
――*――
「ふ、ふ、ふたりが帰ってきたぞお――ッ!」
“天魔の王”こと“細マッチョ物干し竿”から身をかわしたあと、村に戻った俺たちを悲鳴にも近い歓喜の声が出迎える。
『ぶ、無事だったかヒョンキチ!デン!』
『ワシはもう心配で、心配で⋯!』
『よかったあ!ふたりとも怪我はない!?痛いところは!?バンソーコーしかないけど必要!?』
それはもうパニックもパニックで、アーチ型の門の前に集まった村人一同が阿鼻叫喚のように騒ぎ立っていた。
俺はとりあえず、赤ちゃんを抱っこしてる村のねーちゃんからバンソーコーを受け取ってヒョンキチの服の背中にそっと貼る。
すると、人だかりをかき分けて村長のじーちゃんが杖を片手に前に来た。
「おお、おお⋯⋯!ぶ、無事じゃったかデン!ヒョンキチ!ワシはもう心配で、心配で⋯!」
じーちゃん。感涙してくれるのは嬉しいけど、そのセリフはすでにオッチャンたちにとられてたよ。
とは言えない空気感。
「お前たちが村を離れてすぐ、北の空から暗闇が広がって来たのじゃよ⋯!
するとすぐに雷が降るのが見えた。いくつも、いくつも、鳴り止む事を知らないようにじゃ。
――まるで、神様がお怒りになられているかのようにじゃ!
じゃから、村人みなが祈った。
“神様、どうかどうかあのあくたれボウズどもの旅立ちをお許しください。あれでも村の宝なのですから⋯!”と!
そうじゃ、神はワシらの願いを聞き入れてくださったのじゃぁぁぁぁぁあ!」
「――っちょ待てやッ!?いつからこの村はそんな信心深くなったんだよ!?」
「てゆーか誰があくたれだよッ!」
俺とヒョンキチはそろって詰め寄った。
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして、天に向かって仰ぐように両手を広げた村長にだ。
すると頭がテカッたその老人は心底不思議そうな顔で俺たちを見つめて、ずれた丸メガネをわざとらしくかけなおす。
「なんじゃ?違ったのか?てっきりお前たちが世に放たれるのを危惧した神様が審判をくだしたのかと」
「「ぐぬぬ⋯⋯このタヌキじじい⋯⋯!」」
神様がそんな自由な力を捨てたって神話は知ってるくせにぃ⋯!
しかもあんな目にあったあとだというのに!と、いつも通りの飄々とした振る舞いで俺たちをからかう村長のじーちゃんを恨みがましく睨んでると、村のねーちゃんが赤ちゃんをあやしながら間に入って来た。
『もうおじーちゃん!いい加減にしなさいっ!』
「セ、セレナ⋯!これは少しでも場を和ませようとじゃな」
さすが孫、強い。
村長もねーちゃんに叱られると何も言えなくなるからね。
セレナねーちゃんは村長を無言で諌めると、背中を丸めて膝を曲げ、俺たちに目線を合わす。
「ふたりとも、元気そうで本当によかったわ。
ほら、はやく、お母さんたちにもその元気なお顔を見せてあげて?」
かーさん⋯⋯そういえばうちのかーさんがヤケに静かだ。
それに姿が見当たらない。
ヒョンママ、ヒョンキチのお母さんもだ。
おかしい。
あのかーさんたちが、自分で言うのはなんだけど俺たちが危ない目にあって黙ってるはずがないのに⋯。
何かあったんじゃ、と少し不安になりながら、ヒョンキチと何度か視線を交わしてると、村の入り口でダンゴになってたみんなが両脇によって道を開ける。
そして。
「かー、さん?」
「カー、チャン?」
まず目についたのは猿ぐつわだった。
「「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯。 何やってんの?」」
『『むぐぐぐぅ――ッ!』』
ぐるぐるだ。
ぐるぐる巻きになってる。
カカシ作りになんかでよく使うヒモで上半身が。
背中合わせで立ちあがろうとしては、ヒモが邪魔して尻餅ついてる。
俺たちはそれを見ながら多分、じゅーびょうくらいは固まってたと思う。
そしてハッ、と意識が正常に戻った時、
(孫も孫だなくそぅ――)と俺はジトっとした目を横に向ける。
相変わらず、セレナねーちゃんもいい性格してるよねぇ⋯⋯。
*
「マオちゃんでしたかしら?あなたは先にお着替えを用意しないとねっ?
ヒョンキチ、デン、あんたらはさっさと風呂に入って来なさい」
「うげっ、何だよその喋り方⋯きもちわるぅ」
「はーーーい!」
「あ、ありがとうございます。わたしまで、お世話になります」
かーさんたちを解放したあと、俺たちはヒョンキチの家でお世話になることになった。
俺の実家はすぐそこなのに、なんでヒョンキチん家に?って話なんだけど⋯、それはヒョンママがこう言ったから。
「ここじゃなんだし、いったんウチに来なさいよ?
そっちの女性も何かワケがあるんでしょ?
話があるならあとで聞くから、いったんウチに来なさい」と。
もちろん俺のかーさんは即座に抵抗した。
「何故!?ヒョンちゃんはともかく、デンとお嬢さんはうちで預かればいいじゃないの!?」と。
うん、確かに。マオちゃんはともかく俺はそう。
これには俺もそう頷きかけたんだけど、騒ぐかーさんを横目にヒョンママが俺に耳打った。
「あんたらが尻尾まいてきたって事は相応の理由があんでしょ?
いいの?あたしは詳しくは聞かないけど、デンちゃん家だと落ち着かないわよ?」
「確かに」
と、今度は谷よりも深く頷いた俺が、むっきー!と意地になるかーさんを見ながら二つ返事して、ヒョンキチん家で汚れを落とすことになったというわけなんだ。
ああそれと。
かーさんたちが捕獲されてたのは「「息子を助けに行く!!」」と騒ぎに騒いだからなんだって。
それを見かねたとーさんたちが、村人と協力して2人を取り押さえた。
そして、俺たちが戻った頃には、父親組は武装するために家に帰ってたらしい。
ヒョンキチの家に来る道中で、クワとカマを両手に持っておナベをかぶった2人の巨漢に出くわした時は、乾いた笑い声しかでなかったよ⋯。
まあ、嬉しかったけどね。
村の男衆もタヌキじじい⋯村長を筆頭に、俺たちを助けに来ようとしてとーさんたちに止められてたみたいだし。
クセが強い人ばっかなんだけど、なんだかんだでいい村だよな〜と俺はあらためてそれを実感した。
「あ〜〜、やっぱ風呂はいいよな〜。冒険に持ってきたいくらいだぜ〜」
「だよね〜、疲れがいっきに吹っ飛んでく気分」
と、汚れた服を脱衣所の床にほっちらかした俺たちが湯船を堪能していると、「ふむ⋯⋯、これが民のお風呂か」なんて興味深そうな顔した素っ裸のマオちゃんが入って来た。
「なっ、どうしてマオちゃんまで来てんだよ!?」
「お母様が『よかったら一緒にどうぞ〜。ひとりだと、その長い髪を洗うの大変でしょー?』とおっしゃってくれてな。
ああそれに『――あいつら、こきつかっちゃって』とも親指をクイッとしながら言ってたのじゃ」
「――あんの、カーチャンンンンッ!」
なんてヒョンキチがちゃぷんっと湯に顔を沈めて、俺は『それならシャンプーする?』ってなったんだよなあ。
「――ったくよぉ、やっぱりボイラの魔力が切れてたぜ。買い物にでも行ってんのかなカーチャンのやつ」
あっ、マオちゃんとお風呂につかってたら、ヒョンキチが戻ってきた!
タオルを腰に巻いたまま、シャワーの前の椅子に座りにいってる。
「おっでるでる、ちゃんとお湯だな。 オレは頭洗うから、ふたりはゆっくり入っててくれや」
ヒョンキチはこっちを一度も見ない。から、今度こそは
暗黙の了解はなしってことだ!
「はいはい、一緒に入るのが照れくさいのねーー!」
「――うっせえ!」俺の顔にシャワーのお湯がぶっかかる。
ぶへっー!
すると、マオちゃんが ふふっと笑う。
「少年らは仲がよいな。本当に、怪我のひとつもなくてよかった。
魔王として、ひとりの魔人族として、この度のことは深く感謝しておるのじゃ」
「いいよいいよ、結果良ければバッチグーだもんねっ!
それよりマオちゃん、きいてもいい?」
「ふむ⋯、例の王の件か」
「うん! あの男が本当に本物の“天魔”なら、マオちゃんはどうしてそんな存在に狙われてるの?」
「そう、じゃな。
その話をする前に、少年らはこの魔族領に伝わるお伽噺を知っておるな?」
お伽噺――、と聞けば思い浮かぶのはひとつしかない。
俺とヒョンキチが冒険に出るキッカケになった、あれ。
そして“天魔の王”は、その物語に登場する、ラスボスともいえるキャラクター。
いまとなっては、“登場人物”といったほうがいいのかも知れないけど。
マオちゃんの質問は、知ってることをわかった上での確認に思えた。
「その顔はふたりとも、説明は不要のようじゃな」
マオちゃんは真剣な顔で頷くと、「これは魔王家に関わる最高機密になるのじゃが」、と前置いたあと、小さく、だけどハッキリとこう言った。
「少年らの住むこの世界は“分断された大陸のひとつ”。
それは真実なのじゃよ」