勇者が魔王討伐の旅に出るが、「ガスの元栓閉めたっけ……」と何度も何度も家に帰る
「勇者よ、どうか魔王ドゥマンを打ち倒してくれ!」
「分かりました」
国王からの命令で、勇者ライデルは魔王討伐の旅に出ることになった。
ライデルの家は城下町の外れにある。
しばらくは戻ってこられない我が家に別れを告げ、ライデルは長く過酷になるであろう冒険に出発した。
しかし、数十歩歩いたところで、ライデルは家を振り返る。
「ガスの元栓閉めたっけ……」
ライデルの暮らす王国ではガスのインフラが発達しており、彼の家にもガスは通っている。もし元栓を閉めていなければ、ガスが漏れたままになり、大変なことになる。すぐに戻ることにした。
家に帰ったライデルは、元栓が閉まっていることを確認する。
「なんだ……閉まってたか……」
胸をなで下ろすと、ライデルは再び家を出発した。
歩いていると、近所に住む主婦に会う。
「ライデルさん、いよいよ出発? 頑張ってね」
「任せて下さい」
ライデルは勇者らしく胸を張り、主婦と別れる。
ところが、再び不安が彼を襲った。
「ガスの元栓閉めたっけ……」
さっきも同じ不安を抱き、ちゃんと閉まっていることを確認しただろ。ライデルは自分にこう言い聞かせ、歩を進めようとする。しかし、一度気になってしまうと、もう脳裏から離れることはない。
ちゃんと閉まっていることを確認したとはいうが、本当にその確認は正しかったのか。いい加減にチェックしなかったか。こんな思いが渦巻いてしまう。
こうなると、もはやどうしようもない。引き返すしかなくなった。
「あらライデルさん、どうしたの?」
「忘れ物をしまして……」
先ほどの主婦に出会ってしまい、少し気まずい挨拶をした。
家に帰ると、やはり元栓は閉まっており、「今度こそ大丈夫」とライデルは家を出発した。
ライデルは城下町にある武器屋にやってきた。
国から出た軍資金で、武器を調達しておきたい。
「これはいい剣だ」
「お、見る目があるねえ! それは掘り出し物だよ!」
ライデルは一振りの剣に目をつけ、購入した。
かなりの名剣で、これがあればどんな怪物も怖くない。意気揚々とライデルは店を出る。
しかし、そんな彼の脳裏にある不安がよぎる。
「ガスの元栓閉めたっけ……」
いや、閉めただろ。今までに二回も引き返して確認したじゃないか。ライデルは不安を振り切ろうとする。
しかし、一度芽生えた不安はそう簡単に振り切れない。
結局引き返すことになってしまった。
家に戻ると元栓は閉まっており、「もう二度と引き返さないぞ」とライデルは旅立つのだった。
今度は道具屋に立ち寄ったライデル。
厳しい冒険に備えて、薬草や毒消し、一時的に力を高めてくれる魔法薬などを購入する。
これで準備万端。店から出たライデルだが、またも頭に――
「ガスの元栓閉めたっけ……」
閉めた、閉めた、絶対閉めた。
自分にそう言い聞かせるライデル。
しかし、言い聞かせようとすればするほど、ライデルの心に不安は広がっていく。
「言い聞かせるということは、それは不安だってことじゃないか」という理屈が出来上がってしまっているのだ。
ライデルは家に引き返し、ガスの元栓が閉まっていることを確認することになった。
いよいよ城下町を出ようとするライデル。
門番である兵士が、ライデルに挨拶する。
「行ってらっしゃいませ、勇者様!」
「ああ、行ってくる!」
そう勇ましく町の外に出たのも束の間――
「ガスの元栓閉めたっけ……」
またこれだ。
もういいじゃん、仮に閉めてなくても、そんなにひどいことにはならないはず。
ゆけ、ゆくのだライデル。お前は理由をつけて旅に出たくないだけなんだ。
ガスの元栓なんか気にするな。行け。
自分を奮起させようとするも、一度気になるとダメだった。ライデルは引き返し、元栓を確認するはめになった。
ついに城下町を出たライデル。
平原を歩いていると、さっそくスライムに出くわす。
「出たな、スライム!」
ライデルが剣を構え、気を引き締める。
引き締める、締める、しめる、しめる、しめる……閉める。
「ガスの元栓閉めたっけ……」
今戦ってる最中だぞ。ガスの元栓なんか気にしてる場合か。後ろより前を見ろ。
しかし、やはりダメだった。
「悪い、ちょっと家に戻るわ」
敵に背を向け、家に戻るライデル。スライムはきょとんとしていた。
それから先も冒険は一向に進まない。何かあるたび、ガスの元栓が気になってしまい、引き返す。
長い時間をかけてようやく隣町にたどり着こうというライデルだったが、今日も彼は引き返す。
「ガスの元栓閉めたっけ……」
***
城にて、国王が大臣を呼ぶ。
「大臣よ、勇者はどうしているだろうか。あれから数ヶ月、だいぶ魔王に近づいたのだろうか?」
大臣はこう答えた。
「ライデル殿はまだ城下町にいます」
「なんで!?」
「詳しい事情は不明ですが、毎日のように自宅に引き返しているそうです」
これに国王は激怒する。
「勇者は何をやっているのだ! ええい、城に呼び出せ!」
ちょうど自宅近くにいたライデルはすみやかに発見され、城に召喚された。
「国王陛下、なにかご用でしょうか」
「おぬしは魔王討伐を命じられたにもかかわらず、なぜ何度も何度も家に引き返しているのだ!?」
「それは……ガスの元栓が気になってしまって……」
「ガスの元栓だとぉ!?」
理由の下らなさに、国王はさらに激怒する。
「おぬしはなんだかんだ理由をつけて、旅に出たくないだけだろう!」
もっともな意見ではある。ライデル自身、自分をそう分析したこともあるのだ。
「いえ、そんなことは……」
「とにかく、とっととゆけ! いつまでもチンタラしていたら、魔王軍が向こうからやってくるぞ!」
すると、兵士が駆け込んできた。
「大変です! 魔王が……魔王ドゥマンがやってきました!」
国王は頭を抱える。
「ほら言わんことではない! もはや、この国は終わりだ……!」
***
魔族を率いるのは、紫色の皮膚を持ち、黒マントを羽織った魔王ドゥマン。
これに人類サイドは、勇者ライデルを先頭に対峙する。
このまま全面戦争に突入してもおかしくないような状況だ。
しかし、ドゥマンから出てきたのは意外な言葉だった。
「我々の負けだ……」
「どういうことだ?」とライデル。
「実はあまりにも勇者に動きがないものだから、いっそこちらから全軍を率いて攻め込んでしまおうということになったのだ。ところが……」
「ところが?」
「ガスの元栓を閉め忘れておってな。おかげで魔王城は大爆発、大破してしまった。拠点を失ってはこれ以上戦うことはできん。よって我ら魔族は全面降伏することにしたのだ……」
ライデルがガスの元栓を気にして何度も引き返している間に、魔王ドゥマンはガスの元栓を閉め忘れて自滅してしまった。
人類は魔族と非常に有利な条件で講和を結ぶことができ、戦いは終わりを告げた。
もちろん、王国は祝勝ムードになり、国王は態度を翻してライデルを褒め称えた。
「勇者よ、よくやった!」
「ありがとうございます」
「おぬしが家に引き返すのを繰り返すうち、魔族は自滅してしまった。おぬしがまともに魔王に挑んでいたら、戦いは泥沼化していた可能性もあり得る。結果として大手柄を立てたというわけだ!」
「どうも……」
「というわけで、おぬしを盛大に祝うパーティーを開こうと思う! どうか楽しんでくれ!」
ライデルは気乗りしない表情だ。
「どうした? ……嬉しくないのか?」
「嬉しくないわけではないのですが……」
「では、どうしたというのだ?」
国王の問いに、ライデルはこう答えた。
「ガスの元栓を閉めたかどうか不安なので……一度家に戻ってもいいですか?」
完
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