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CHANGE  作者: ゼン
本編
8/15

7.もう遅い

 その日は、目が覚めた時から雨が降っていた。



「せっかく、街歩きに誘ってくれたのになあ……」

 ()みそうで止まない、ぐずぐずな天気に唇が尖っていく。


 真っ赤な顔で誘ってくれたエヴァンの顔を思い出し、もう一度窓の外を見るが、やはり雨は止んでいないし、止む気配もない。


 長い長い溜息を吐くと、控えているメイドが温かい紅茶を勧めてきたので、有り難くいただくことにする。

 (さち)があまりにも残念そうだったのだろう。それは、慰めるように柔らかくて優しい声だった。


 ほわりと湯気の立つカップを持ち、ありがとうと言って口を付ける。

 砂糖は入れずにミルクをたっぷり、そこに少量のシナモンを振りかけたものがここ最近のお気に入りだ。

 飲むとほっと安らぐ。




 さあさあと降る雨の音は、ある時から(さち)の心を塞ぐようになった。


 『國光(くにみつ)君ね、さっちゃんのこと嫌いなんだって』


 あれ以来、(さち)は人と深く関わるのが怖くなった。

 この人も、あの人も、笑顔だけど自分のことを嫌っているのではないか?

 そんな風に疑うことに疲れ、そこに加えてのハードワークで追い打ちをかけるように心はどんどん擦り減った。


 それでも。


 どうしても彼を忘れられなくて、何度も連絡をしようとした。

 けれど、時間が経てば経つほどにそれは難しくなった……いや、違う。


 仕事を理由に延ばし延ばしにした。


 つまり、(さち)は逃げたのである。


 大人というものは、本当に面倒だ。

 言い訳をたくさん用意して、本当に大事なことに背を向けるのだから。


 そして気付いた頃には、もう遅い。



「……はあ〜〜〜〜」


 (さち)の悪い癖がまた顔を出し、雨の音がそれを増加させるかのように強くなる。


「お、お嬢様? どうされました?」

「あ、ごめ、えっと……は、早くエヴァン、来ないかなって……」

「まあ」


 微笑ましそうに笑うメイドに、(さち)も笑顔を見せる。


 きっとエヴァンがこの場にいたら、お小言は確実だと思いながら、ふうと息を吐く。

 使用人には特に謝り過ぎないように、とエヴァンから言われているので変に吃ってしまったが、これでもかなり良くなってきた方なのだ。


「エヴァン様なら、もうそろそろ到着されますよ」

「うん」


 街歩きは延期でも、エヴァンと会う約束は健在だ。

 エヴァンの「馬鹿」を聞けば、(さち)の悩みも彼が言うように馬鹿馬鹿しく感じれそうなので到着が待ち遠しい。


「あ、そうだ!」

 エヴァンが来る前に、彼が好きだと言っていたポテトチップスを用意しよう。

 それに、手を動かしていればうじうじ悩むこともない。


 ベアトリクスは料理なんてしないが、最初の一回目を除き、(さち)が調理場に行っても屋敷の者達からは何も言われることはない。


『我儘そうで、そうじゃないお嬢様の我儘に応えられて、嬉しいって思ってんだろうぜ』


 エヴァンからこっそり教えてもらった言葉を思い出しながら、(さち)は軽い足取りで調理場へ向かう為に部屋を出た。









「待ちなさい、ベアトリクス」


 調理場がある一階へ続く階段。踏み面に(さち)の足が乗ったと同時に呼ばれ、顔だけで振り返る。


 きっと、あの子だったら駆け寄っていたかも知れない人物がそこにいた。


「御機嫌よう、お父様、お母様」


 彼らが、エヴァンのようにこの変化に気付くことはないだろう。

 使用人達のように様子が違うと疑ったり、心配することもないだろう。

 そして、違和感を感じつつも好きにさせてあげようという、優しさだって持っていないのだ。


 断言できる。

 彼らはどうせ気付かない。


「学園を休んでいると聞いているぞ」


 男の声は呆れの色ばかりが強く、その後ろに控えている女の目に娘の姿は映っていなかった。


「気を引こうとしているのか? まったく、みっともない。そんなことはすぐにやめなさい」


 あいつらは一体何をしていたんだか。そう言って、執事や教育係の名前を言い連ねる男に、はっ、と乾いた声が(さち)の口から漏れた。

 それは確かに(さち)のものだったけれど、自分で出したものとは到底信じられない一音だった。


「あ、はは……」


 いわば明確。実にせいせい。

 この程度の人達の言動に、あの子が心を痛める必要なんてない。

 だから、『悲しい』なんて思うことはないし、そんな感情は不要だ。


「何が可笑しい?」


 気を引こうとしてるのか? なんて、愚問だろう。

 そんなことは、ずっとしていた。ずっと。

 ずっと、だ。


 あの子は、ずっとしていたのに。


 そんなの、今更だ。


「あなたが、可笑しなことを仰るからですけど?」

「……何?」


 男の言葉に、(さち)は窓の外に視線を逸らしながら続けて言う。


「『何?』しか言うことがないんですか?」

「……」

「子は親の背中を見て育つと言いますから、私がみっともなく映っているのならそういうことなのでしょう」


 まるで、口が勝手に動いているみたいだった。

 普段なら、こんなこと絶対に言えない。

 でも、確かな本心でもある。


「なのに、ご自分のことはみっともないとは思わないなんて……。ねえ、可笑しいでしょう? だから笑ったんです。可笑しいから笑いました」


 戸惑う気配を感じて、ちらりと視線を男女に向ける。

 男は目を逸らし、女の方は今度こそ自分の娘を視界に入れていた。

 どちらの目にも、驚きの色こそあれど情の欠片は感じられない。


 こうやって、あの子の期待は裏切られてきたのだ。





 ──どうしよう、言ってしまった。


 あの子が戻った時に傷付くことへの恐れと後悔が、一気に溢れてくる。


 そう思った刹那。

 (さち)は、体温が一気に下がるのを感じ目眩に襲われた。




 がくん、と視界が振れたのはその直後のことだった。

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