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CHANGE  作者: ゼン
本編
6/15

5.そこから一歩踏み出して

 社畜は皆、程度の違いはあれど心の病気に罹っている(※個人の感想です)。

 人間は適度な睡眠と広義的余裕がなければ、生きてはいけない。


 これは必定だ。



 ベアトリクスになって十日。

 元社畜の(さち)であるが、休むことへの抵抗と罪悪感をすっかり薄れてさせていた。

 その証拠にエヴァンに「ごめんなさい」と言う回数がぐんと減っている。それどころかお姉さんらしく「めっ!」しちゃう。

 ネットやSNSのネガティブワードから離れ、たっぷり睡眠を取れていることが、大きいのだろう。あれは弱っている心に非常に悪い。


 つまり、ベアトリクスの学園ズル休みも十日目なのであるが……それは、まあさておき。


「エヴァン君、発表があります」

「はあ」

「もう。そんな面倒くさそうな顔しないで」

「あ……悪い。発表、聞かせてくれ」


 そういう顔が、喧嘩の原因になるのだということは言わなかったが、彼はそれが分からないほど鈍くないようだ。

 反省して言葉を言い直すエヴァンはやっぱり根は良い子なのである。


「ビーちゃんって、お酒の肴系が好きみたい」

「さか? え?」


 戸惑うエヴァンに(さち)は口角を上げる──ベアトリクスは絶対にしない表情である。


「実はね、最初の方で気付いてたの。ビーちゃんの舌が喜ぶのがチョコやマフィンじゃなくて、かりかりベーコンだってことが!」


 現在、ベアトリクスの中にいるので味覚も当然彼女のものになる。

 どうりで、エヴァンのお土産の高級チョコレートが微妙なはずだ。


「それって甘いものが嫌いってことか? いや、あいつ、紅茶には砂糖入れてたし、それはない……よな?」

「うん。嫌いじゃないの。でも、好きってわけでもなくてね。紅茶に砂糖を入れるのは、お母様を真似てるのが理由で……」

「ああ、それでか」

「というわけで! 思いつく限りのおつまみレシピをノートにまとめてみました!」


 ベアトリクスの家族関係を知っているエヴァンが気落ちしているところに、(さち)は「あげる!」と言ってノートを押し付けた。


 ハートや星の主張が激しいポップなノートには、でかでかと『マル秘☆ビーちゃん専用レシピ☆』と書いてある。


「いや、これさあ……」

「えへへ。つい懐かしくってデコっちゃった」


 褒めてもないのに勝手に照れる(さち)にエヴァンは「……ベアトリクスは絶対こんなこと書かないぞ」と小さく呟きながらもページを捲った。




 ベアトリクスの世界と、(さち)の世界の調味料の種類数はそう変わらないのに、こちらの世界のメニュー数が少ないことに気付いた(さち)は、即行動した。

 料理長とメイド長を説き伏せ、エヴァンが学園にいる間ずっと調理場の隅でレシピを考案して生まれたのがデコったノートの中身である。

 もちろん何の為にと疑われるのだが、『エヴァンとの料理対決』という苦しい言い訳が何故が通ったので問題ない。……エヴァンは「は?」と言っていたが、通ったのだから、無問題なのである。だから深く考えてはいけない。


「こんなにたくさん……大変だったろ?」

「ううん、全然」


 レシピを考案すると言っても一からではない。

『美味しかった』『こういうの好きそうだなあ』という元の世界のレシピを味見をしつつアレンジするだけなので、全然難しくなかった。

 なのでノートはすぐに埋まり、二冊目も検討中である。



 (さち)は料理が好きだ。

 難しいものは到底無理だが、レパートリーの数はちょっとした自慢である。


 (さち)は小学校の時から鍵っ子で、当時仕事が忙しかった両親の代わりに家事を担っていた。

 これは、嫌々やっていたわけではない。


 父と母が『美味しい』と言って喜んでくれる顔を見るのが大好きで、嬉しかった。


 人生初の五時間掛かりの自分一人だけの調理(ひとりでできるもん!)──小学校四年生の時に作った水分の足りない塩っぱ過ぎるカレーライスですら両親は『美味しい』と言ってくれた。

 当然、(さち)には不味く感じられた。にんじんは生焼けで、ごりっと奥歯で噛んだ謎の焦げ物質の不快さはトラウマものだ。

 だが、あれがきっかけで(さち)は『今度は美味しいものを食べさせよう』と決意した。


 残念なことに社畜ライフで料理をする暇がなくなってしまい、レシピを眺めることとポメラニアンの動画で心を慰めていたのだが……。

 それがここに来て役立ったというわけだ。

 社畜には絶対戻りたくないが、人生何が役に立つのか分からない。




「美味い! これ、もっと食いたい。何ていう料理だ?」

「これは『辛味風チキン』かな」


 某ファミリーレストランの味を目指したのだが、さすがにこの世界に豆板醤はなく、辛味()と命名した。

 しかし、辛くし過ぎると舌が痺れるので、この味は大成功だと言える。

 ベアトリクスが美味しく感じるのならば良しということだ。

 それに、エヴァンも「美味い!」と言って少年らしく目を輝かせているので尚良し。

 作戦は順調だ。


「あとね? 甘くないお菓子も作ってみたんだ。チーズクッキーと、ナッツバー。それと大本命のポテトチップス。これ、すっごい美味しいから吃驚するよ?」


 大袈裟、と言ってぱりっとポテトチップスを一枚食べたエヴァンの顔が驚愕に変わるのを、(さち)は、一人コントのようだとこっそり思いながら「美味しい?」と問う。


「ほんとに吃驚だ。すっげえ美味い」

「うん、でもカロリー爆弾だから食べ過ぎちゃ駄目だよ」

「へへんっ、俺食っても太らねえんだ」

「えー、そんなの今だけだよ。あと、ビーちゃんは体型管理きちんとする子だから、毎回お菓子じゃなくてお花とか、」


「──楽しそうだな、二人共。仲直りしたのか?」


 庭にある、屋敷で一番大きな木の下で試食会をしているところに現れたのは、ベアトリクスの兄、ルイ・スターンだった。







「うん、僕はこのクッキーが好きだな」


 これが王子様というものか。と、(さち)は納得した。

 本物の王子よりも王子然としているルイは、クッキーを齧ることすらも絵にする。

 なんと妹の(みお)と同じ十六歳なのだが、信じられない。

 いや、澪だって世界で一番可愛い妹なのだけれど……それとこれとは話は別だ。


「お兄様、は……どうして今日……?」


 エヴァンがすっかり黙り込んでしまったので、精神年齢が一番高いはずの(さち)が思い切ってルイに話しかけることにした。


「見舞いのついでに食事会の誘いに来たんだ。ベアトリクスも、たまには一緒にどう? 父上も母上も喜ぶよ」


 ルイは妹が話し掛けてきたことに多少の驚きを見せながらも返す。

 が、その返答に(さち)は言葉が出なかった。


『たまには一緒にどう?』


 その言い方ではまるで、ベアトリクスが食事会を断っているように聞こえる。

 しかし、そんな招待は受けていない。受けた記憶も、ない。


 そして、ルイはきっとそれを知らない。

 知らないが、両親と妹の関係を良きものにしようとしている。


 ──ああ、()()だ。これこそが、ベアトリクスが兄に対してコンプレックスを抱いた根源だ。


 (さち)にも妹がいるから分かる、ルイが自分のたった一人の妹にただ優しくしたいだけだということが。


 だから、子供だましの嘘を吐く。

 しかし、子供にもそれが『嘘』だと分かる日が来る。……来てしまう。


 両親は、ベアトリクスがいなくても残念に思うことはない。

 いや、彼らが、喜ぶなんてことは絶対にない。あり得ないのだ、そんなことは。


 そして(きた)る日、ルイの優しい嘘が露呈し、ベアトリクスを傷付けたのだろう。

 自分に興味のない両親、自分に気を遣う兄と使用人達の可哀想なものを見る目が、ベアトリクスを傷付けた。




 ──ルイは私達の自慢の息子だわ。え? 春の祭典? ああ、そう。それで? 何等だったの? そう。よかったわね。

 ねえ、ルイ、次のお休みはいつ? 大会で優勝したお祝いに食事にでかけましょう? ふふ、いいのよ。ベアトリクスはお勉強があるんだもの。


 ねえ? そうよね? ベアトリクス──




『はい、お母様』








「ルイさん、今日ビーはこれから俺と勉強しようって約束してるんです。ほら、こいつ今学園休んでるから。それに、見ての通り本調子じゃない。……だから食事会はまた今度にしてください」


 初めて『ビー』と呼んだエヴァンの頭を撫でてあげたいと思ったけれど、まばたき一つで、涙がこぼれそうで無理だった。


「そうか、分かった」


 そう言って寂しそうに背中を向けるルイに、やはり悪感情は湧かない。

 きっと完璧だと称えられる彼にも、彼にしかない悩みや葛藤があるのだ。





「ったく、その顔で泣くなよなー」


 ルイの背中が見えなくなると、手拭き用のふきんで乱暴に顔を拭われた。


「ちょっと──」


 文句を言おうとしたけれど、エヴァンの表情を見てやめた。


「……もう。エヴァン君の方がふきんいるんじゃない?」


 いつか見た、泣くのを我慢するような顔を彼はしていた。


「はあ? 俺は泣かねえからいらねえんだよ。ったく、あんた、年上っていうの嘘だろ」

「嘘じゃない。車の免許持ってるし」

「意味分からん」


 ベアトリクスに味方がいて良かった。

 それが、将来の旦那様で本当に良かった。

 (さち)は嬉しくて、「えいっ!」と勢いをつけエヴァンに抱き着いた。


「うわ、ば、何して……っ! おい、待てまじで、執事! 執事がすんげえ顔して見てる! 本当にやばいって、おいっ! メイドもすげえ睨んでる! おいっ!」

「……ふふっ!」


 焦ったエヴァンが可笑しくて、涙が出た。


 そうだ、この涙はエヴァンが可笑しくて流れたものだ。

 悲しくて流れたものではない。


「認める! あんたは俺より年上だ! だから頼むっ、認めるから離れ、」

「エヴァン君、こうしてビーちゃんのことを抱きしめてあげてね」


 焦る言葉を遮って言った言葉はとても小さかったと思う。


「ビーちゃんは自分からは甘えられない子なの。きっと、皆自分から離れていくって思ってるから、ツンツンした態度取っちゃうんだと思う。だから、エヴァン君が、甘えさせてあげてね」


「…………ああ、もう、仕方ねえなあ」

 ほんの二秒だったけど、エヴァンは(さち)を、いや、ベアトリクスを抱き締めた。


「分かったよ」


 息が苦しくなるくらいの抱擁を解いた後、エヴァンが笑う。


 その表情は、(さち)の幼馴染を彷彿とさせた。


 顔は全然似ていないのに不思議だと思いながら、届くかも分からないベアトリクスに語りかける。


 ──戻っておいで。

 ここには、あなたの味方がいるよ。

 エヴァン君は不器用だけど、優しい子だよ。きっとあなたの一番の味方になってくれるよ。


 あなたが心配なあまり、あなたに嘘を吐いたお兄さんを許してあげて。

 

 そして、両親のことはもう諦めよう。

 捨てないと、あなたは壊れてしまうから。

 難しいかも知れないけど、悲しいかも知れないけど、悔しいかも知れないけど、思い切って手を離そう。

 

 それから、自分の周りをよく見て。

 あなたを心配して、怒ってくれる執事さんとメイドさん達は、あなたのことが大好きだよ。


 だから、たまには甘えたっていいんだよ。


 大丈夫!

 だって、あなたはまだ十四歳じゃない。


 だからね、失敗しても大丈夫なんだよ。


 失敗したら、一緒に叱られてくれる人がいるんだから──





「聞いてますか? お嬢様。まったく」

「はい、聞いてます!」


 執事のお説教に、(さち)は元気よく返事を返した。

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