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CHANGE  作者: ゼン
本編
3/15

2.だって無敵の十四歳

 どうして?


 定期試験の結果がまた二位だったから?

 春の祭典の詩が三等だったから?


 お兄様みたいに美しくないから?

 お兄様みたいにうまくできないから?

 お兄様みたいにいつも満点を取れないから?


 だから、愛してくれないの?


 それなら次はもっと頑張って、きっと一位を取るわ。

 顔だってお化粧を学んで、きっとお父様とお母様の自慢の娘になってみせる。



 だから──






 ***






「明日の朝までにこの書類、修正しておいてぇ」


 返事は? と続けて言う女の意地の悪い話し方と表情は、筆舌に尽くしがたい。

 企画まるごと押し付けるつもりのくせに、よくもまあ『修正』なんてぬけぬけと言えたものだ。


「ちょっとぉ、聞いてるの? 返事しなさいってば」


 なぜベアトリクスがこの女の仕事をせねばならぬのか?

 なぜ毎回書類を顔めがけて投げつけるのか?

 なぜ(さち)は今までこんな理不尽を受け入れていたのか?

 なぜ我慢しなければいけないのか?

 なぜベアトリクスがここにいるのか?


 誰か、ベアトリクスが納得のできる理由を知っていたら教えてほしい。


「嫌よ」


 ベアトリクスは、イエスの代わりにそう返した。

 (さち)なら絶対に言わない台詞である。否、言えない。


 目には目を。歯には歯を。

 圧には、『倍』の圧を返さなければ。


「なぜ私がお前の仕事をしなければいけないの?」


 (さち)はこの女を怖がっているようだが、ベアトリクスは全然怖くない。

 どうしてこんな小物を怖がるのか、心底理解できない。


「は? 何、『お前』って……!」


 昨日まで言いなりだった後輩の変わりように、女は驚いたようだった。

 しかし、ここで引き下がれないのか大きな音と声で威嚇することにしたらしい。デスクの上にバンっと手を叩きつけて「口の利き方、間違えてるんだけど!」とベアトリクスを睨む。

 (さち)が大きな声が苦手だと知っているから、こんなことをするのだろうか。

 顔を見た瞬間から分かってはいたが、なるほど嫌な女である。


「はあ、大きな音を立てないで。みっともないと思わないの?」


 怒らせるようなことを言ったのは、わざとだ。

 別に(さち)の味方をしようと思ったわけではない。

 ただ、この女がムカついたから。それだけの話だ。


「な……な、何を」

「どうして、()()が怖いのかしら? 不思議。お前、もしかして口から火でも出すの?」


 憤慨している女を前に、ベアトリクスは顎に指を当てて首を傾げた。

 これはものを考える時のベアトリクスの癖だ。

 煽りではなく、本心から不思議だと感じている時の無意識のポーズなのはあしからず。


「あ、あんたなんかっ、パパに言って辞めさせてやるからっ!」

「ああ、そういうこと」


 女の言葉にベアトリクスは大いに納得した。

 

 何の苦労もせずに今の今までやってこれたのだろう。愚かになるはずだ。

 親の愛情を笠に着て、好き勝手に。ベアトリクスが努力しても得られないものを持ち、且つ振りかざして。

 それは、さぞ楽しかろう。

 全然、羨ましいとは思わないけれど。


「謝っても許さないからっ」

「謝るのはお前の方でしょうに。馬鹿なの?」


 今までこの女の分の仕事をしてきた(さち)が謝罪する謂れはない。


「あったまきた! クビにしてやる! あんたなんてパパに言ってクビにしてやるからぁ!」

「いっそ清々しいほどに典型的ね。本物だわ」


 言葉とは裏腹に、突然喚き出した女の様子と遠巻きに様子を伺う社員にベアトリクスはげんなりする。

 もしかしてここは碌な会社ではないのではないか?

 ベアトリクスですら気が付くことに、なぜ(さち)は気が付かなかったのだろう? いや、気が付いてはいただろうが、逃げ遅れた……?

 (さち)の記憶を辿り、思わず「不憫」と口から溢れる。

 そして、この呟きが自分に言われたものと勘違いした女が更なるヒステリックを見せて叫ぶ。

 物凄い形相に吹き出しそうになって何とか堪えたが……失敗した。


「ねえ、その顔はとっても面白いけれど、きぃきぃ叫ぶだけでボキャブラリーが少ないのは退屈だわ。お前と話すくらいならエヴァンとのお茶会の方が百倍ましね」

「このっ……!」


 言い過ぎたかしら?

 そう思った瞬間には頬を思い切り張られていた。


 ばちんと耳元で音が弾け、音の発信源から熱と痛みが広がっていくのを感じる──


 あの短気なエヴァンだって、ベアトリクスに手を上げたことはないのに。


「ふんっ! 今謝るなら許してやっても、」

「……お前、さっきから五月蝿(うるさ)いのよ」


 話している相手の言葉を遮るなんてマナー違反なのだけど、今回だけは良しとしよう。


 瞬間的にショックを受けたベアトリクスだが、すぐに持ち直し頭をフル回転させ勝算を導き出すことに成功した。


()が直々に思い知らせてあげるわ」


 泣き寝入りなぞするものか。

 目の前にいる女からも、その父親からも、この会社からも、(さち)から搾取したことを後悔させてやる。


 いつもの(さち)ならば泣きもせずへらへらとやり過ごしただろう。

 ところがどっこい、中身はベアトリクス──怖いものなんてない天下の十四歳様である。


 お誂え向きかと思うほど、(さち)の立場は『可哀想』なので、舞台準備は万全。ここでようやく、人が集まってきたのも具合が良い。


 泣き寝入りはしない。

 するのは、泣いたふり。


 これがベアトリクスの立場ならやらないが、他人なのでやっちゃう。何をやっちゃうかって、先に記した通り泣いたふりだ。

 つまり、怖い先輩にいびられて泣いちゃいった可哀想な後輩である。

 そう、女は皆女優。

 これくらい簡単なのである(※個人の感想です)。


 というわけで女優のベアトリクスは、はらはらと涙を流した。


 目の前のぽかんとした顔の女の顔が面白くて少々むせたが、それ以外は上手くいった。










「暇」


 平日の昼下がり。

 ベアトリクスは(さち)の暮らす狭い部屋でワイドショーとやらを見ながら一人呟いた。


「暇だわ」


 ワイドショーの内容は人気俳優の不倫騒動の顛末だ。

 こんなことで三時間も特集を組むなんて、平和な世界である。

 ベアトリクスの世界と同じだ。

 皆、噂話が大好きで、叩く理由を見つけては親の仇か如く強打する。


「皆、暇なのね」



 結果から言うと、ベアトリクスの思い通りに事は及んだ。

 ベアトリクスは、労基に提出する為の残業の証拠もボイスデータも用意しただけで満足してしまう大甘の(さち)ではないので容赦は一切しなかった。

 ()()()()を挟んでがっつり勝負してやる旨を伝えて、今やっている仕事も(さち)がいなければ回らないことも分からせてやった。


 ……まあ、その上で退職したのだが。


「私、間違ってない、よね……?」


 当然だが返事はない。


 (さち)は無職になったが、貯金プラス、臨時収入プラス、心の余裕で無職は相殺だ。……多分。

 だからベアトリクスが罪悪感を感じる必要ない。……ない、はずだ。多分。


「そうよ。私、間違ってないもん……」


 ベアトリクスは湧き上がる感情を押し込めるように、自分に言い聞かす。

 だって、こうでもしないと(さち)が壊れてしまう……なんてことは建前だ。本当の理由はベアトリクスが努力している人間が報われない姿を見るのが耐えられなかっただけである。


 もし、謝る機会があったなら謝ろう……。

 きっと、お人好しの(さち)はベアトリクスを許すのだろうけど。


 それにしても、(さち)はベアトリクスよりも年上のはずなのに、到底年上と思えないほど頼りない。

 でも、それは言い換えれば『優しい』ということだ。

 ……ベアトリクスに一番足りない要素である。


 しかしだ。よくもまあ、あんな肥溜めみたいな場所にいて性格をひん曲げなかったと感心する。


 温かい家庭で育ったからだろうか?

 ベアトリクスの家とは違って。


 勘ではあるが、ベアトリクスはそう長く(さち)の中にはいない気がする。

 あるべきところに収まるというのが摂理というものだ。

 となると、ベアトリクスは何をすればいいのだろう。

 (さち)をかの魔窟から救い出したので、もうすることがない。


 故に、暇なのである。




 ワイドショーでは、浮気した俳優が大汗をかいて頭を下げていた。


 イケメンと称されるらしいが、兄を見慣れているせいか全く格好いいと思えない。


 ベアトリクスは兄の少し困ったように笑う顔を思い出し、(かぶり)を振って立ち上がる。


 二時間程度の移動で故郷に帰ることができるのに、弱っているところを見せたくないという理由で四年も顔を見せなかった(さち)を、彼女の家族はどう思っているだろう?


 ──(さち)の『普通』に触れてみたい。


「……カレーライス、楽しみだわ」


 いつ以来ぶりか……(さち)の故郷へ向かうベアトリクスの心は弾んでいた。

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