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 俺は唐揚げ定食を食べていた。


 提供までやや待ったが、それがマスターが苦しんだ時間なんだと思うと、どんなスパイスよりも唐揚げを美味しくしたように思う(ゲス顔)。


 店主の努力の賜物か、思った以上にカラッと揚がってきた鶏肉を堪能していると、二つほど離れた席に座った男が、カウンターを挟んで廻に話しかけているのが見えた。細身の若い男だ。


「素敵なお嬢さん、この後どうだい?」

「どうって?」

「……つれないな、分かるだろ?」


 酒が回っているのか、赤ら顔の男の呂律は少し怪しい。

 怠い客だな。

 席から腰を浮かせかけた時、視界を黒い巨大な影が横切った。


「お客さん」


 地の底から響くような声。

 巨人に肩を掴まれ、ぎぎぎ、と男は壊れたロボットのような動きで振り返った。


「は、ハイ」

「うちの子になんか用?」

「イエ、ナンデモアリマセン。アッ、自分モウカエリマス」

  

 その男は、机に会計の分のお金を置くと、慌てた様子で出入口の扉の方に向かって行った。

 店内では小さく拍手と口笛が響き、マスターが周囲にぺこりと頭を下げていた。

 座席に座り直し、俺は唐揚げを再び食し始めた。

 

「あのさ」


 ふわりと金木犀の香りがした。

 気が付くと、廻がすぐ傍に立っていた。

 

「あと1時間くらいで終わるから、待ってて」


 俺はそれを了承した。もう少し時間に余裕はあるし。

 それに丁度、聞きたいこともあるしな。



---



 夜が更け、客足は段々と減っていた。

 廻は俺の隣に腰掛けた。


「久しぶりだね」

「二週間だろ」

「二週間は久しくない?」

「俺の感覚では、そんなに」

「そっか。あ、そのキャベツ食べていい?」


 廻は俺の唐揚げ定食に盛られたキャベツを見ていた。


「俺が唐揚げ定食を頼んだのは、唐揚げとご飯が食べたかったからで、キャベツはその中に含まれてないんだよな」

「つまり?」

「どうぞ」

「どうも」


 皿の上にキャベツのみが残っているのを、廻に渡した。

 廻は割り箸を手に取り、いただきます、と呟くと食べ始めた。

 もしゃもしゃとキャベツの山が解体されていくのを見ながら話をする。


「ここで働いてるんだな」

「まぁね」

「私は別に良いって言ってるんだけどね」


 近くにいたマスターが話に入ってきた。


「あ、あんた。さっきはありがと」

「何の話だ」

「止めに入ろうとしてたでしょ。やっぱ、良い男ね」

「……そんなんじゃねぇよ」


 気付かれていたのか。マスターの穏やかな笑いは、一瞬様子を伺ったせいで止めに入るのが遅れたことまで見透かされているようで、少し悔しかった。


「それで、店のことだけど。私一人でも、正直回せないことはないのよね。急ぎのお客さんも少ないし」

「手際がいいんだな」

「まぁね」


 話しながら、マスターの視線は俺と俺の隣でキャベツを頬張っている廻に向いた。


「廻にあげずに、キャベツは自分で食べなさいよ」

「あんな兎の餌食えるか……ヒッ」


 ピッ、と風を切る音がした。

 振り抜かれたマスターの拳が顔を掠ったようだ。


「手際が良すぎないか…?」

「何か言ったかしら」


 ひらひらと拳を解いているマスターには、何か異常な貫禄がある。


「いやぁ。たまには兎さんの気持ちになろうかな」

「……ったく。いい大人なんだし、偏食は卒業しなさいな」


 閑話休題、とばかりにマスターはため息をついた。


「廻目当てのお客さんも居るし、忙しい時に助かるのは本音だけど、この子には学校もあるし、勉強だったり自分のことにもっと時間を使って欲しいというか……っと、ちょっと行ってくるわね」


 マスターは、他の客に呼ばれ離れていった。

 確かに廻のこの容姿なら、看板娘としては十分だと思う。……って。あれ。

 

「え、ちょっと待って」

「何?」


 思わず廻に訪ねる。

 マスターは一つ、聞き捨てならないことを言っていた。


「学校の勉強だって? お前、学生なのか?」

「ああ、うん。そうだよ」

「……マジかよ」


 あっさりと頷いた廻に、愕然とする。

 嘘だろ。

 ……言われてみれば確かに、たまに妙に幼く見える時があるとは思ったが、まさか学生とは。


 廻の余裕というか、浮世離れした雰囲気は、年齢や経験から来るものかと思っていた。

 しかしそうではなく、彼女本来のものなのかもしれないな。

 思ったより年下そうだから、やや緊張が解ける。

 いや、別に同年代の女性相手だと無暗に緊張するとか、そういうことじゃないが。

 本当に。


「なぁ、この前の帰り際に言ってたことって……」

「ああ、その話」


 廻がキャベツを食べ終わる頃、俺は本題を切り出した。

 彼女がマスターの実の子供ではないということ。

 聞くべきか迷ったが、やはり気になった。

 それに廻の方も、あれだけで話が終わるとは思っていないだろう。


「私、捨て子だったらしいよ」


 口元の汚れを紙ナプキンで拭いながら廻は、そんなことを言った。


「お客さんから、似てないって言われること多くてさ。それで前に試しにDNA診断だっけ、そういうのに出したんだ。結果は、赤の他人。で、気になってこの近くの養護施設にいくつか連絡取ってったら……って、感じ」


 淡々と、世間話をするように。


「そんな感じ。キャベツご馳走様」


 本当に何も思うところなどないように廻は言う。

 俺は喉の奥につかえた何かを押し流そうと、カルピスソーダの入ったグラスをあおいだ。


「……じゃあマスターは、知らないのか。お前が、自分が捨て子だって気付いていることを」

「うん。あの人は知らない。私が知ってるって分かったら、色々考えちゃうと思うし」


 

---



 二人に挨拶をして店を出た。

 冬の夜空を見上げる。

 深夜の町は、恐ろしいほどの静けさに満ちていた。

 白い息が消えていく。

 肺の中に澄んだ空気が取り込まれ、ゾクリと鳥肌が立つ。

 そして煮えたぎるような、怒りや焦りに似た、でもどちらでもない感情が胸の内にあることを自覚する。

 少し離れたところでタクシーを拾おう。

 歩きながら頭を冷やすことにする。


「…………くそっ」


 彼女が、かつての想い人に瓜二つだからだ。

 それが全部悪い。

 馬鹿な俺は、それだけで彼女を他人とはもう思えない。

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