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 ひゅるひゅると吹く風が、路上に散らばった落ち葉を運んでいった。

 騒がしい駅前の通りを抜けると、徐々に人影は減っていく。


「……」


 首元を撫でる冷気に、俺はコートの襟に顔を埋めた。

 しかし、女子高校生が酔っ払いに絡まれているのを見かけてから、もう二週間か。


 そんなことを考えていると、髪を切ってやや広くなった視界の中に見覚えのある建物を見つけ、足を止める。

 アンティーク調の扉を開くと、小さな音でかけられたジャズミュージックが耳に入ってくる。

 客入りはそれなりにあった。

 騒がしく感じない程度の話し声があちこちから聞こえる。カウンターでは静かに酒を飲んでいる人の姿も見えた。


「いらっしゃい」

「! ……ああ、マスターか」


 店の奥から声を掛けられ、そこに知り合いの顔を見つけ少しほっとする。

 マスターは、白いシャツの上に黒いベストを身につけ、バーテンのような格好をしていた。

 手振りで案内され、カウンターの端の席に座る。


「来てくれたのね」

「ようやく仕事が片付いてな」


 っと。

 脱いだコートを隣の席に置こうとした直前、背後に目立たない色のハンガーがあることに気づき、そこにそっと掛けた。

 座って一息ついて、辺りの様子を伺う。

 カウンター席に女性が一人で座っていた。

 そこにグラスを持った男性が近づいていき、隣に座った。そしてしばらくすると、二人はそっと席を立って店を出て行く。……なるほど、なるほどね。


「何がいい?」


 マスターの渋い声。

 ここは俺もクールに返事をしよう。


「お任せで。――いや、俺をイメージしたカクテルを一つ」

「…………」


 俺の声にピタリと動きを止めると、マスターは意味ありげな視線をこちらに寄越した。

 ふっ。決まったな。


「……あのさ、」

「ん、何だ?」


 やがてマスターは動きを再開し、ニッコリと笑った。

 そして言った。


「こういう店、初めて?」

「……………………は、はぁ? そそそそそそんなんじゃねぇし」


 一体、今のどこをどう見たらそういう感想が出て来るのか。訳が分からん。


「その動揺の仕方……あらあら。あらあらあらあらあら。やっぱり、頑張って背伸びしてきちゃったのね~?」

「だ、だから、ちげーって!」

「良いのよぉ、否定しなくて! 可愛いじゃないのぉ〜」

「……」


 顔が熱くなっているのが自分でも分かる。店内が薄暗くて良かった。

 ……どうやらバレているらしい。

 俺が本来、こんな洒落た所に来るような人間じゃないってことが。


 クソっ。

 なんか周りの客からも生暖かい目で見られている気がするぞ。

 それにしたって、わざわざあんなふうに言うことないだろう。みんな最初は初めてなんだ、それを揶揄うなんて……。

 俺は怒ってもいいんじゃないだろうか。


 ……いや待て。

 俺はクールな男、芹沢圭一(せりざわけいいち)

 思い出せ、こんな瞬間にこそ出来る、イカした注文の仕方がネットに書いてあっただろう。……そうたしか、こんな風だった。

 俺は息を吐き、アンニュイな表情を作った。


「――マスター。今の気持ちを表現したカクテルをくれ……」

「……かしこまりました」


 マスターはフフっと意味ありげに微笑んだ。そしてカウンターの奥の棚に並ぶ酒……ではなく、席からはよく見えないが、その下の冷蔵庫から何かを取り出した。

 やがてトクトクと何かを注ぐ音がして、綺麗なグラスを差し出される。


「どうぞ」


 半透明の器を満たすのは、白く濁った怪しげな液体。

 俺は視線で尋ねたが、マスターはチッチッチッと舌を鳴らして首を振った。飲んでみろ、ということらしい。


「…………っ」


 意を決して一口あおる。


「ッ」


 独特な甘みと、口内を突き抜ける刺激に思わず口元を抑える。喉に絡みつくような後味も強烈だ。


「どう? ……………カルピスソーダのお味は」


 マスターはまるで自分今粋なことしてるぜ、と言わんばかりの微笑みを浮かべている。……いや待て落ち着け俺。判断を下すのはまだ早い。


「…………その、心は?」


 震えそうになる声を必死に抑えて問うと、マスターはニヤリと笑った。


「場違いなお子様は帰ってママのミルクでも飲んでな!」


 マスターはピッと中指を立てた。なんて奴だ。


「……じゃあ、廻によろしく伝えといてくれ……」


 俺はもはや怒る気力すら無く、半ば泣きながらふらつく足で立ち上がり、二分前くらいに通ったばかりの扉へとよたよたと歩いていく。


「ごめんなさい、ついからかっちゃったわ。冗談よ」


 その途中で慌てた様子のマスターが引き止めてきたので、よろよろと引き返し、席に腰を下ろした。


「……次やったら、その手に持ってるシャカシャカするやつで、カルピスソーダを全力でシャカシャカした後に顔面にぶちまけるからな」

「ごめんって。反省してるわ。ちなみにこれシェーカーね」


 謝罪しながらニヤニヤを止めないマスターを横目に、俺はグラスに口をつけた。

 乳酸菌由来の懐かしい味がした。…………うん。……まぁ、カルピスソーダに罪は無いな。


「はいじゃあこれ、割と飲みやすいお酒。他に何かあてが欲しかったら廻に言って」


 手際よく別のグラスに注いだ酒を俺の前に置いたマスターは、そう言って去っていった。

 ……ふん。まぁ普通に美味い。

 そうして酒とカルピスソーダを楽しみながら店内の様子を観察していると、しばらくして背後から声を掛けられる。


「何か頼む?」


 見ると、そこに居たのはシャツの上から黒いタイを結んだ廻。

 厚めの化粧をしていて、この前の帰りの時とはやはり随分印象が違う。

 闇に溶けていきそうな黒い髪、メイクに彩られた夜色の切れ長の瞳は、ゾッとするほど綺麗だった。


 実際、店の洒落た雰囲気にも抜群に合っていて、普通の男なら歯の浮くような台詞の一つでも言いたくなってしまうところだろう。


 しかし、今の俺は普通じゃなかった。

 近年稀に見るレベルにやさぐれた俺は、マスターにからかわれた分を廻にぶつけることにした。

 悪いな廻、恨むならマスターを恨んでくれ……!



「じゃあすいまっせん! 唐揚げ定食で!!」



「はい、唐揚げ定食一つ」


 ヤケクソ気味に言った俺の言葉を、澄ました声で復唱した廻。


「……あるのか?」


 逆に俺が聞き返してしまった。

 他の席の様子を見るに、この店が提供するのは酒と少しのつまみで、絶対出来ないと思って注文してるんだけど。


「分かんないけど、作れるんじゃない」


 廻は気にした様子もなく、厨房の方へ入っていった。


「何このオーダー?」

「え、唐揚げ定食」

「それは分かるわよ。うち、定食屋じゃないんだけど」

「え、じゃあ、作れない?」

「……やってやろうじゃないの。でも廻、あとで説教ね」

「え、何で?」


 厨房に近い席だったので、奥でのマスターと廻の会話が漏れ聞こえてきていた。

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