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 俺の話が終わると、じっと聞いていた佐伯は顔を傾けて、こちらの様子を伺うようにした。


「……終わり?」

「ああ。これで全部だ」

「その幼馴染さんが、運命の人?」

「……ああ」


 俺が信じていた運命は、そうしてあっけなく終わった。


「だって、彼女だったはずなんだ。幼馴染だったし、仲良かったし、きっと上手くいくはずだって信じてた」

「……好き、だった?」


 差し込まれる透明な声。記憶の中とよく似たそれが、心の中のかつて大事にしていた部分にするりと触れた。


「好きだった。ああ、好きだったさ。当たり前だ」


 好きだった、と繰り返す時、胸の奥が、僅かに当時の高鳴りを覚えている気がした。

 彼女との日々が、少しだけ蘇る。たまに焼いてくれたケーキの味。用意だけして、結局渡せなかった十六歳のプレゼントの包装紙の色。


「……でもな、好きなだけじゃ意味なかったんだ」


 そんなのを心の奥に全部押し込めて、俺は話を続けた。

 思い出しても意味のないことだ。


「変わらない人なんて、いないんだから。こっちが何を考えていても、関係ないんだ」


 具体的な反省点を言えば、俺の押しが弱かったとか、慎重になりすぎたとかそんなことになるんだと思う。でも、大事にしたかったし、その思いは伝わっているはずだと思い込んでいた。


「だから、もし君も関係を続けたい相手がいたら、ちゃんと言葉にして、伝えないとダメなんだ。覚えておいて」

「……うん、分かった」


 佐伯は素直に、こくりと頷いていた。

 それを見て、俺は紅茶で喉を潤した。


「悪いな、こんな話聞いてもらって。……そろそろ夜も遅い、君は明日は仕事ないのか?」

「仕事はない。あと――――」



「廻って呼んで。君じゃなくて」



 カウンターの上に組んだ手の上に頭を乗せて、廻がこちらを見ていた。

 ……過去の経験から言葉にした方がいいことは学んだが、放たれた言葉の意味を汲むことは、また難しい。

 こちらを覗く彼女の瞳から、何を考えているのか読むことは出来なかった。


「アドバイス、活かしてみた」

「…………ああ、そう」


 少しだけ、忘れていた感情を思い出した気がした。

 かつて経験した最初で最後の恋の話をしたから、だろうか、それとも……と、浮かんだ思考を慌てて追い払った。

 過去の話をして、気分が変になっているだけだ。そうに決まっている。



---



「眠いし、シャワー浴びてくる」

「ああ、それなら俺はもう帰るから」

「いい。別にそれは」


 俺の呼び掛けに首を横に振りつつ、すたすたと店の奥に入っていく廻。どうやら奥には階段があるようで、トントンと階段を上っていく音が聞こえた。


「悪いわね。勝手な子で」

「別に構わねぇよ。下手に気遣われるより楽だ」

「そう言ってくれると助かるわ。……もう一杯くらい飲んでいく?」

「ああ、貰うわ。お代は俺の上腕二頭筋で勘弁してくれ」

「まず上腕二頭筋ってどこか知ってる?」


 マスターが差し出したボトルからとくとくと琥珀色の液体が注がれていく。


「ここに二人で住んでるのか?」

「ええ。……片親だし、おまけにこんな怪しげな店やってるものだから、随分苦労を掛けたと思うけど、存外ちゃんと育つものね」


 そう言って廻の消えた店の奥を見つめるマスターの優しげな視線からは、深い愛情が見て取れた。


「ま、子は親に似るって言うしな」

「あら。嬉しいこと言ってくれるじゃない」

「ま、反面教師って言葉もあるけどな」

「あら。傷つくこと言ってくれるじゃない。お礼に私の上腕二頭筋の素晴らしさを見せてあげる」

「これがッ……上腕二頭筋ッ……!!」



---



 それから少し話をして、そろそろ帰ることにする。マスターが店の前に見送りに来てくれた。


「ありがとう、世話になった。……また来るよ、今度はただの客として」

「勿論、歓迎するわ。廻も喜ぶんじゃないかしら」


 ああ、でも。と付け加える。


「念のため、少し人相を変えた方が良いかしら」

「? どうして」

「どうしてって……貴方ね、この店に来たきっかけを忘れたの?」

「あ」


 俺が間抜けな声を上げると、マスターは呆れたように腕を組んだ。


「全く……分かったならいいけど。あの男たちに目を付けられないように、そうね、その長い前髪でも切ったらどう?」

「髪か……」


 仕事柄、特段髪を切る必要もなくここまで伸ばしてしまったが、流石にそろそろ切ろうかと丁度思っていたところだ。


「あー、分かった。そうするよ。……タクシーがもう少しかかりそうだから、先に入っててくれ。冬の寒さは、体に悪いだろう」

「別に構わないわよ、それくらい。鍛えているし」


 実際、マスターは俺より寒さに強いかもしれないが。性別不詳のマスターを冬の寒空にいつまでも置いておくのもはばかられた。


「……お気遣いありがとう。じゃあまた、待っているわ」

「おう」


 そんな風に別れを告げ、マスターが入っていった店の扉が閉まるのを見届けた。


「はぁ。長い一日だったな」


 息を吐いて、それから冷たい空気を肺に吸い込む。

 仕事して、呑み歩いて、酔っ払いから女の子を助けようとして、巨人と女の子に助けられて。その二人と話して。


「……ま、でも、」


 悪くない一日だったな。

 少なくとも、ここ数年の中じゃ一番の日かもしれない。

 一応俺のお陰で人を助けられて、気の合いそうな奴と会えて、おまけに酒を飲む店まで見つけられた。

 と、徐々にこちらに近づいてくる黒い車体を見つける。

 タクシーに手を挙げ、開いた後部座席の扉に手を掛け、乗り込もうとしたその時。

 ぎい、と店の扉が再び開く音がした。


「あ、まだいた」

「悪いな、わざわざ見送りまで――」


 廻の声がしたので、俺はそちらに振り返る。

 そこにいた人物を見て、時が止まった。



「……………は、」



 シャワーを浴びてきたのだろう、油断したようなスウェット姿で出て来た女性。


「…………どういう、ことだよ……」


 佐伯廻。

 メイクを落とした彼女は、記憶の中の初恋の少女の姿に酷似していた。


「ねぇ」

「っ!」


 こちらに寄ってきた少女が首を傾ける。

 サラサラと零れた髪が、ゾッとするほど艶めいていて。


「大事な話、教えてもらったお礼に、私の持ってる秘密を教えてあげる」


 未だ呆然とその姿を見つめている俺の中に、彼女の声が入ってくる。


「私、本当はマスターの子供じゃないんだ」


 その言葉の意味が、よく理解できない。


「これが私が持ってる、いちばんの秘密。……またね、ヒーローさん」


 口元に人差し指をあて微笑んだ彼女は、パタパタと店へ入っていった。


「…………」

「あの、お客さん。乗らないんですか?」


 タクシーの運転手に声を掛けられる。

 冬の空の下には、俺だけが取り残されていた。



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