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「で、あんたはいつもああいうことをしてるの?」
マスターの話が俺に向いた。
「ああいうこと?」
「人助け」
「しねぇよ。命が幾つあっても足りねー」
「じゃあなんであの子は助けたの? ……あ、もしかして。タイプだった、とかかしらぁ?」
マスターがからかうような口調で言った。
「え、そうなの?」
佐伯もこっちを見てくる。
「いいや。普通に必死過ぎて顔まで見てなかったし」
紅茶を一口飲んで、唇を潤す。
「……助けたのは、ただの気まぐれだよ。あいつら俺より若そうだったから、いっちょ説教でもして気持ちよくなってやろうかなとってな。年上であるという決して揺るがない事実を振りかざした説教が、一番気持ち良いからな」
やや引いた顔をしたマスターが丸太のように太い腕を組んだ。
「……あなた、中々良い性格してるわね」
「だろ? 鬱憤は自分より若い奴にぶつけて晴らすのが一番。訴えられないギリギリの線を攻めてこそのパワハラ」
マスターはため息を吐いて言った。
「それ、助けた子の前では言わなかったわよね?」
「言ってねぇよ」
「ならいいけど。真に受けたら、せっかく感謝していたのに可哀そう」
「彼女が感謝していたのは、ほとんどあんたに向けてだったけどな」
まぁ実際、颯爽と現れた筋骨隆々の巨人ほど頼れるものもないだろう。
「うふふ、かわいい子だったわね。また会えないかしら……」
うっとりしているマスター。俺も筋トレ、するか……。最近は運動とも、とんと縁がなくなってしまった。
「あら、何か適当に作ってくるわ。少し待ってて」
マスターが空になったツマミの皿を持って厨房の方に消えていったのを見ながら、先ほどの高校生のことを考える。
彼女は家出だったらしい。
迎えに来た親と泣きながら抱き合っていた様子を見るに、あまり非行少女という訳でもなかったようだ。
そんなことを考えていると、
「ねぇ、本当は何で助けたの?」
席に残っていた佐伯に聞かれた。
「いや、本当も何も、さっき言っただろって……」
「……」
初めは、適当に誤魔化そうと思った。
だけど隣に座る彼女を見て、言葉に詰まった。
夜の空のような瞳が、俺をじっと見つめていた。
……クソ。
吸い込まれるような錯覚がして、俺は目を逸らした。
「……重ね合わせてたんだよ、古い知り合いに」
助けた後によく見ると、似ても似つかない少女だった。
顔つきも、雰囲気も、全く違った。
合っているのは女子高校生という部分だけ。
「……」
「……なぁ、ちょいと長い話を聞いてくれるか」
そこで話を終わらせるつもりだったのに、どうしてか口は回り始めていた。
「おっさんの自分語りなんて、誰も求めちゃいないことは分かってるけど。質の悪いのに絡まれたと思ってさ」
佐伯がこくりと頷いたのを見て、俺は視線を目の前のティーカップに落とす。
今まで誰にも話したことがない話を、会って間もない彼女に話そうとするなんて、どうかしている。
でも佐伯を目の前にすると何故か、昔の記憶を呼び起こされる。
それに、丁度十六年だ。あれからもう一回分、人生を生きたのだ。
いい加減、笑い話にする頃合いだろう。
「運命の人って、信じるか?」
「……。分かんない、会ったことないから」
「はは。良い答えだと思う」
佐伯がふるふると首を横に振って返事をして、俺は笑う。俺も、佐伯くらいシンプルに考えられたら良かったのに。
運命の人。
あの日占い師に言われなくても、本当はその言葉は、頭の片隅にずっとこびりついていた。
俺はその言葉を、ずっと引きずってきたんだ。
「……俺には昔、幼馴染が居たんだ」
「家が近くて、親同士の仲が良くて、そのお陰で俺達はいつも一緒だった。朝から晩まで互いの家や公園で遊んだ。中学も高校も一緒で。周りが男女を意識するようになっても、俺達は一緒にいた。
意識しなかったわけじゃない。むしろ逆だった。お互いに意識していた、と思う。その上で、それまでと同じような付き合いを続けていたんだから、それが恋人って形になるのも時間の問題だと思っていた。けどな、いざ関係を変化させるとなると、怖かった。本当にそれが俺達にとって良いことなのかと悩んだりした」
「それが致命的だった」
「あいつはいつの間にか、先輩と付き合っていた。俺がそれを知ったのは余りに遅くて、その時にはもう手遅れだった。
とりあえず、良い噂は聞いたことがないような先輩だった。女たらしで、危ない連中と絡んでるなんて話もあって、何度か彼女に声を掛けているのは知っていたが、あいつだって噂のことは知っているはずだったんだ。万が一の可能性を考えて、出来うる限り調べたけど、脅されたりとか、そういう様子でもなかった。本当に単なる彼氏彼女の関係になったのだと認めざるを得なくて、ショックを隠して、俺は祝福した。……ただの幼馴染に出来たのは、それだけだった」
当時の気持ちを思い出す。
ただ苦しくて悲しくて、どうしようもなく胸が痛くて、一晩中泣き明かした日のこと。
それでも彼女の前では平気な顔をして、いつも一緒に歩いていた帰り道を、彼女が別の男と帰っていくのを見送った。
訳がわからなくて、全然納得出来てなくて、でも確実に何かが終わってしまったことだけは分かっていた。
「そのうち向こうが距離を取ろうとしているのを感じた。俺はもう、どうやって接していいか分からなくなった。そうして半年経ったぐらいだったか、あいつは引っ越していった。俺に連絡はなかった。親の仲もその時には疎遠になっていたから、どこに引っ越したかも知ることは出来なかった。……後から、あいつは妊娠したから引っ越したのだとか風の噂で聞いたことがあるが、それももはや確かめようのない話だ」