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 俺は酔っ払いたちの一瞬の不意を突き、少女の手を引いて走り出した。

 そこからはもう、想像通りの展開。


「おい待てやおっさん!」

「ヒーロー気取りか! なめてんじゃねぇぞ!」

「はぁっ、はぁっ!」


 少女の手を引いてその場から逃げ出したものの、そろそろ限界が近い。

 男たちは酔っ払いとは言え、どうやら走り回れる程度の力は残っていたらしく、今俺たちは何とか建物の陰に姿を隠して息を殺している。


「……はっ、はっ」


 傍らの少女の息も上がっている。

 やべぇ。マジでどうする。酔っ払い達は相当キレてるし、今更謝っても許してくれる雰囲気じゃなさそうだ。

 ……なんとか金だけで許してくれねぇかなぁ。財布の中に幾ら持っていたか考え始めた、その時。



「――こっち! 入って!」



 背にしていた建物の影から声が聞こえた。


「……っ」


 躊躇したのは一瞬、少女の手を引いて開かれた扉に滑り込む。

 俺達が入るとすぐに扉が閉まり、直後バタバタと足音が聞こえてきた。


「おい! どこ行った!」

「見当たらねぇっす! ……この建物の中は!?」


 男たちの話声。

 きぃと扉の再び開く音。


「おい! 今、ここに誰か来なかったか!?」



「――あらぁ~~??」



「……ひッ、何だこいつ……!!」


 男たちが扉を開けた先には、巨人が立っていた。

 筋肉質な身体は天井に届かんとしており、低い声音はやけにねっとりとしている。

 その異様な姿に、男たちはすっかり威勢を削がれたようだった。


「人は来てないわよん。それで……どうかしたのかしらぁ? うちのバーへのお客さんかしら?」

「ど、どどどどうもしてねぇよ! おい! 行くぞ!」

「は、はい!」


 男たちの足音が遠ざかっていく。


「全く、人の顔見て逃げ出すなんて、失礼じゃないかしら。…………それで、あんたたちは何なの?」


 巨人はため息を吐いた後に、店の奥に隠れていたこちらに振り返った。



---



 それからしばらく。

 カチャカチャと食器の触れ合う音で、思考の海に沈んでいた俺は現実へ浮上した。

 俺たちが逃げ込んだ先は、落ち着いた雰囲気のバーだった。


 薄暗い室内には目の前のカウンターの他に幾つかのテーブルがあり、どれもよく磨かれているのが吊り下げられた照明の暖かな光で分かった。

 既に営業時間は終わったのか客の姿は見えず、静かな空間にはゆったりとしたジャズミュージックが流れている。

 共に逃げ出した少女は既にこの場におらず、今俺は一人でカウンターの一席に座っていた。


「どうぞ」


 厨房から現れた巨人が、手に持ったティーカップをカウンターの向こう側から、俺の目の前にことりと置いた。

 ティーカップからは、ゆらゆらと白い筋が天井へと昇っている。

 この店の店長だという彼は一言で言えば、海外映画に出てくるギャングみたいな見た目をしている。


「災難だったわね。どこか痛むような言いなさい、手当てしてあげるから」

「お、おう」


 そして裏腹に言葉は優しい。凶悪殺人犯みたいな見た目なのに。


「……それはどっちかしら?」


 動揺した俺の曖昧な返事に、巨人は眉をひそめた。『今すぐお前を呪い殺してやる!』と言わんばかりの眼光。


「あ、いや無傷なんで本当に大丈夫ッス。自分ナマイキ言ってサッセン」

「何、その口調」

「いや、アニキに危ないトコ助けられて、ホントマジリスペクトっス」

「兄貴?」

「マジ兄貴ッス。自分、完全に兄貴の男らしさに惚れて……」

「姉貴の間違いでしょ?」

「勿論ッスアネキ! 言い間違えるこの悪い口め! このこの!」


 いや分かるか。

 だが、目の前の巨人の、カッと目を見開き「お前の生き血を啜ってやる!」とばかりの迫力に気圧され、俺は必死に自分の拳とキスをした。

 巨人ははぁ、とため息をついた。


「……敬語も要らないから、普通にしててくれる?」

「良いんスか……あ、いや良いのか?」


 俺が聞くと、巨人は苦笑した。


「良いわよ。というか別に最初から怒ってないわよ」


 ……もしかすると、普通に良い人なのか? 警戒を続けながらも強面の店長と話してていると、

 

「――お、ヒーロー」


 一人の女性が店の奥から現れた。 

 厚めの化粧の上からでも分かる整った顔立ち。

 黒くシンプルな、ドレスの如きワンピースは、この場所の落ち着いた雰囲気とよく合っている。

 彼女の名前は、佐伯廻(さえきめぐる)と言うらしい。

 彼女は俺の隣の席に腰掛けた。

 路地裏に追い詰められていた俺と少女を助けたのは、彼女の声だった。


「何か頼んだら。……マスター、タダにしてあげて」

「あんたはまた勝手なこと言って……、まぁいいわ。元からそのつもりだったし。その紅茶も気にしなくていいから」


 マスターと呼ばれた巨人がそう言い、俺は慌ててポケットの財布に手を伸ばした。


「そんなの要らねぇよ。助けてもらったのはこっちだ」


 危うく袋叩きにされるところだった。

 しかしマスターは首を横に振った。


「いいえ。私たちは最後に少し手助けしただけ。あの子を助けたのはあなたの功績よ、胸を張りなさい」


 そうかね。無計画過ぎたと思うが。


「まぁ、たしかに無茶ではあったかもね。私の前をたまたま通り掛かってくれて良かったわ」


 この人、随分なお人好しだな。


「あら、貴方に言われたくないわよ。けど、酔っ払いに絡まれてる人を見たら、助けてやりたくなるのが人情ってもんじゃない」

「こんな夜の街に人情なんてあると思わなかった」

「あら、人がいるんだから情もあるわよ。でもそうね、正直、危ないこともあるのは確かよ。今回に関しては良かったけど……」


 そう言ってマスターは俺の隣に座る女性に視線を向けた。

 視線の先の佐伯は、澄ました顔で手に持ったグラスを口に運んでいる。


「ん。助けられてよかった」


 その姿が異常に様になっている。絵になる女の子だな。


「そうね今回はね。でもね廻いつも言ってるでしょ、あんまり勝手なことしないでって」

「あー、うん。分かった」


 佐伯のまるで意に介していない姿に、マスターの額に青筋が浮かんだ。


「ほんとに分かったの!? 後先考えずに無茶しないでって、いつも言ってるでしょ!」

「うん。ごめん」


 マスターは大の大人でも腰を抜かしてしまうような剣幕だったが、佐伯は謝ったものの、何も気にした様子もなく適当に頷いていて。


「…………ハァー」


 マスターはやれやれと額に手を遣った。

 その様子からして、どうやらこんなやり取りは彼女ら親子にとってよくあることらしかった。


「ごめんなさいね。助けなきゃ良かったって思ってるわけじゃないの。ただ、この子が勝手に動いたから」


 マスターの心配は最もだ。暴漢に襲われている奴を助けに入るのは、下手したらそいつも危険な目に遭いかねない。まして、それが自分の子供なら心配するのは当然だろう。……子供。


「似てないでしょ」


 佐伯が俺の考えていることを見透かしたように言った。

 実際、筋骨隆々のマスターと、触れれば折れてしまいそうなほど華奢で薄い彼女が、果たして同じ人類であるのか俺は疑っていた所だった。もう少しで知恵袋で質問する所だった。


「筋肉が足りないのよね、筋肉が。筋トレしなさいって言ってるのに」

「やだ。めんどい。ドラマとか見たいし」


 その言葉に、自分の爪を見ながら返事をする彼女。


「ハァ〜、これよこれ」


 マスターはため息をついたが、それ以上の言葉は無かった。もう慣れているのだろう。


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