0101
「ねえ、警官のお兄さん。俺はさぁ、『死んでくれて嬉しい』ってあると思うんだよ」
自殺しそうな男性がレインボーブリッジの頂点の手すりに腰かけていると通報を得て現場に駆けつけてみるとそんなことを言われた。
「そんなことない。僕は君が死んだら悲しいよ」
「表面的だね、笑っちゃうくらい」
そう嘲笑う彼は、呑気にお菓子をつまんで音楽を聴いてスマホを弄りながら、時に野次馬に罵声を飛ばす。「俺を殺そうとすんじゃねえ」って。
けれども、彼が彼の姉にメッセージで感謝を伝えている時は途端に泣いていて、
「まだ生きたいんじゃないの?」
って僕がそれとなく聞いてみると、
「有終の美を飾ることができそうで、感極まって泣いちゃったんだよ」
と情けない顔で返された。「だけど、本当は泣きたくないんだ。笑顔で死にたいね」
と言ったその後には、鞄から何やらガサゴソと手探りでカッターを取り出して、自分の左手首を傷つけている。血が滴り、海に落ちる。彼はその痛みで泣いている。枯れてしまいそうなほど涙を流して、それを海水と同化していた。
そんな彼の言動は支離滅裂で一貫性に欠けるけれども、そのためなのか、彼がその矛盾に苦しめられていることがこの数時間でよく分かった。何もしてやれない僕に、彼は
「お前は、自殺を防いだ立派な警官ってレッテルが欲しいんだろ?」
って悪魔みたいに問いかけてきた。即否定するために言葉を放つが
「違う、本当に君を……」
「クレカやるよ、五十万しか入ってないけど。必死こいて働いたのに、一年で五十万しか貯蓄できねえとか、惨めったらしくて泣けてくるけどさぁ」
なんてそれさえも苦しげに嘲笑うんだ。クレカの番号は「0101」。覚えやすいだろ?、って、そんな、僕はこんなのいらないからさ、
「死なないで欲しい、お願い」
「いつまでそこにいんの?税金の無駄遣いすんなら、俺にその金を恵んでくれよ」
僕の懇願の言葉は届かずに、冗談めいた言葉だらけを彼は発して、馬鹿笑い。血の滴り落ちるピースサインと見下ろした暗い海と宙ぶらりんな足とで写真を撮る。「みんな、ありがとね」なんて独り言のように呟いてからインスタにでも投稿したのか、スマホを暫く眺めてから、そのスマホさえ投げ捨てた。
「ねえ、俺は死ぬ気でここにいるけど、ちょっとでも誰かが俺の背中を押したらそれは他殺になるの?」
でも、次には疑問を投げかけてくる子供みたいにそんなことを口にする。話し相手がまだ欲しいみたいに。
「たぶん、そうなんじゃないかな?」
「それじゃあさ、俺を殺してみてよ」
その五十万やるから、俺を殺せ。なんて、受け入れられるわけないと思った。
葬儀代とかにもしようと思ったんだけど、海の藻屑として流されるから「まあ、いっか」と、そこは楽観的に物事を捉える彼は、掴みどころのない人間で、目を離した瞬間、次の瞬間には、飛び降りてしまってるんじゃないかと不安に襲われる。ふと、消えてしまいそうな不安定な幻覚みたいな存在。
「死にたいんだ、死なせてくれよ」
誰にも期待しないくせに、誰かに願うようにそう言う。僕まで苦しくなってくる。そこで一本の電話が入った。僕の電話、彼女が事故して大怪我を負ったそう。
「今すぐに五十万振り込んで欲しいんだけど──」
気が動転した。愛しの彼女の声、事故、五十万、死にたがり、自殺、これは他殺?
何もかもがごっちゃごちゃになって、何もかも分からなくなってしまった。
縋るように僕が彼の背中を撫でるように触ると、彼は白い歯をニッと僕に見せてから、掴んでいた手すりを手放し、暗闇の中に消えてった。
僕は彼女と結婚した。あの五十万で彼女の手術は成功して、今の幸せがあるんだ。もうすぐで子供も産まれてくる。僕は心底思うことがあるよ。本当に、あの時あの場所にいた見知らぬ彼が、
「死んでくれて嬉しい」