60.さよならのキスを、あなたに
「尋問に、立ち会ってみるか?」
『え……?』
夜。お部屋に戻られたリヒト様が眠る直前、わたくしにそう問いかけてこられたのです。
『どうされたのですか?』
「理由を知りたいと、言っていただろう?」
『まぁ!』
聞かれていたんですの!?
リヒト様からは離れていたので、まさかそのお耳に届いているとは思ってもみませんでしたわ。
けれど……。
『いいえ、リヒト様』
リヒト様が直接尋問されるのならともかく、別の方によって淡々と進められるだけのそれに立ち会ったところで、あまり意味はないのです。
『わたくしが知りたいのは、もっと根底にあるものなのです。尋問中に感情的になるようなお方には、思えませんもの』
怒り、憎しみ、悲しみ、絶望。きっとそんな負の感情ばかりが渦巻いているであろうその心を、赤の他人にぶつけるような性格ではないのでしょう。
だからこそ、標的を絞っていたのでしょうから。
「確かに、な。ある意味、貴族らしいのかもしれない」
『えぇ、わたくしもそう思いますわ』
バッタール宮中伯は、自らの信念に基づいて行動されていたのですから。
ご自分の感情を全て隠し、けれど裏では手をまわして。着実に堅実に、復讐すべき相手を破滅に追い込んでいたのですもの。
「だが仕事はしっかりとしていた。優秀では、あったんだが……」
『そこを嘆いていても仕方がありませんわ。それにわたくし、リヒト様に害が及ぶことをよしとする方を許すことは出来ませんもの』
「そこだ。私が分からないのは、なぜアプリストス家だけではなく王家まで狙ったのか」
『ご家族が亡くなられたのは、どこの夜会でのことでしたの?』
「王家主催の夜会だが、本当に狙われていたのは当時の国王陛下だったと私は聞いている」
『ということは、逆恨み、でしょうか?』
本来ならば命を落とすはずではなかった家族を奪われたのだという、その憤りを向ける明確な相手として。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。……正直、父上ですらまだ若い頃の話だから、正確には何も分かっていないんだ」
『それは……ご本人の口から聞きだすしか、理由など分かりようもありませんわね』
「かもしれない」
こればかりは、推測しても仕方のないことですものね。
人の心の内は、誰にも分からないものですわ。
「だが、まぁ……そこは明らかに、するべき、だな……」
『まぁまぁ、リヒト様。無理をして起きている必要はありませんわ。明日以降もまだ忙しいのですから、今日はもうお休みください』
「あぁ……悪い。流石に、疲れたみたいだ……」
えぇ、えぇ、そうでしょうとも。あんなにも忙しいのは、バッタール宮中伯がアプリストス家を告発したとき以来ですもの。
いえむしろ、今回は直接的に色々と関われるようになった分、以前よりもさらに忙しそうに見えましたわ。
「お休み、トリア。また、明日……」
『えぇ、リヒト様。お休みなさいませ』
案の定、眠そうなお声でお話しされていたリヒト様は。僅かな静寂の後、すぐに穏やかな寝息を立てはじめられたのですから。
余程、お疲れだったのでしょうね。
ただ……。
眠るリヒト様のベッドのカーテンは、開かれたまま。ようやく安心して眠れるようになったからこその、うっかりなのでしょう。
そう。安心、できる場所になったのです。
『わたくしはもう、必要ありませんわね』
リヒト様のお話し相手は、大勢いますもの。一日のほんの僅かな時間にしか会話を交わさないような幽霊は、もうお傍にいる意味がないのです。
その、証拠に。
『……消えて、いますわね』
指先が、足が。徐々に徐々に、闇に溶けて消えていっているのです。
僅かに光を残しているように見えるのは、わたくしの目の錯覚なのか。それともこれが現実なのでしょうか?
『リヒト様……。申し訳ありません、リヒト様。わたくしには、先ほどリヒト様が仰っていたその明日は、もう来ないのです』
けれどきっと、これで良いのです。役目を終えた幽霊は、消えてしまうのが一番ですもの。
本当は、記憶からも消えてしまう方が良いのでしょうけれど。わたくしの心は、リヒト様に覚えていて欲しい、と。そんなことを思ってしまっているのです。
『触れられないのですもの。最後ぐらいは、許してくださいませ』
もう体は腰のあたりまで消えてしまっているのが見えますけれど、わたくしにはどうしようもないことですから。
それよりも、最後の最後に。不可能だと理解しているからこそ、叶えられない幽霊の想いを、告げさせてください。
『リヒト様……。お慕いしておりますわ』
さよならのキスを、あなたに。
触れられない唇に、自らのそれを重ねるように。
『さようなら、リヒト様』
最後は笑顔で、お別れいたしましょう?
リヒト様には見えないでしょうけれど、それでもいいのです。
最後の最後、わたくしが光の粒になって消える姿など、知らないままで。
きっとわたくしが消えた後には、本当の静寂だけがリヒト様を包むのでしょうから。