58.消滅か、それとも……
夜、リヒト様が寝静まったころ。窓辺に立って自分の手足を見下ろしてみるというのが、最近のわたくしの日課になっているのです。
(昼間は、大丈夫だとお伝えしましたけれど……)
例えば、普段は見えないスカートの中の足先だとか。
例えば、最近は常に後ろに隠している指先だとか。
そういった、ところが。
『徐々に、透けてきているように見えるのですもの』
本当にわたくしがアルージエ辺境伯の娘だったとしても。果たしてこの変化は、どういった結末を迎えるものなのか。
消滅か、それとも……
『目覚めが、近いのだと……。前向きに、捉えるべきなのでしょうね』
そうであれば、良いのに、と。思ってしまうわたくしは、実はリヒト様のお傍を離れている時に、聞いてしまったのです。
これでようやく、第一王子に婚約者が出来るだろう、と。
そう話していたのは、通りすがりのお名前も存じ上げない貴族の方々でしたけれども。そのお顔は晴れやかで、とても嬉しそうでしたわ。
(当然ですわね。唯一の王位継承権を持つ王子の慶事は、国を挙げてのお祝い事ですもの)
けれどその候補に、わたくしは入ってすらいないのでしょう。
だってわたくしは、幽霊令嬢。たとえ本当にアルージエ辺境伯の娘だったとしても、王族に嫁げる状況かどうかも定かではありませんもの。情勢的にも、身体的にも。
(嫌な女……いえ、嫌な幽霊ですわね。国の慶事を、リヒト様の婚約を喜べない、だなんて)
いっそのことリヒト様の婚約が決まってしまう前に、消えてしまいたいとさえ思ってしまうほどには。
『重症ですわね、わたくしも』
こうしてお傍にいられるのは、わたくしが幽霊だから、ですのに。今はそれが、とても悲しくて悔しくて。
けれど誰かを呪いたいとは思わないのです。そんな力もありませんけれども。
『リヒト様……』
もしもある日突然わたくしが消えていたら、悲しんでいただけますか?
いえ、悲しんでは下さるのでしょう。前にお約束した通り、探しても下さるのでしょう。
それならば本当に、アルージエ辺境伯の娘であったらいいのに。そうすれば、目覚めてすぐリヒト様にお会いできるのですから。
(けれど)
もしもそうでなかった場合には?本当に、既に死した身なのだとしたら?
その時には、どうなるのでしょうね。リヒト様がご存命の間に出会えるのか、それとももっと先の、リヒト様がリヒト様でなくなってしまってからになるのか。
ただ、どちらだったとしても。
『わたくしは、もうお傍にはいられませんわね』
笑おうとして歪んでしまった表情は、窓のガラスには決して映りませんけれど。きっとどなたにも見せられないようなものだったことでしょう。
ましてやリヒト様になど、決して見られたくないような。
『……いいえ。今から悩んでいても仕方がないですもの』
どのような形になったとしても、なるようにしかならないのですから。
既に様々な思惑が終わりを迎え、最後の大きな仕上げを残すのみとなっているのです。全ての歯車は既に、正しくかみ合った状態で回り始めているのですから。
『わたくしはわたくしに出来る事を、最後までやり切るだけですわ』
アルージエ辺境伯が私兵を連れてバッタール宮中伯邸に乗り込むのは、明日の朝一番だと聞き及んでおりますもの。きっとそこからは、怒涛の展開となることでしょう。
そこにまだ、わたくしが存在していられるのか。リヒト様のお傍にいられるのかは、今はまだ分かりませんけれど。
それでもこうしていられる時間が終わってしまう、その最後の最後まで。幽霊のわたくしが消えてしまうその瞬間までは、ずっとリヒト様のお傍にいたいのです。
『幽霊でも、恋の一つくらいするものですわ』
それを証明した初めての存在が、わたくしかもしれませんわね。