56.まだ全てが終わったわけではありませんよね?
わたくし自身かもしれない体と対面しても、何も得られなかったのですが。あまり長居しても仕方がないと戻ったころには、アルージエ辺境伯とリヒト様の間のお話は全て片付いていらっしゃったようで。
「では、また後日」
「はい。こちらでも準備を進めておきましょう」
「あぁ、頼んだ。色々と」
「承知いたしました」
決意を新たにされたのか、普段以上に凛々しい表情をされているリヒト様は、そのまま玄関ホールまで向かわれるので。
『わたくしも、ご一緒しますわ』
そう告げて。頭上を漂うのではなく、初めてリヒト様の隣に並んでみたのです。
なんとなく、ですが。まるでお一人で死地へと向かわれるかのように見えたので。いえ、今からお城にお帰りになられるだけなのですけれど。
(あぁ、違いますわね。ある意味、リヒト様にとってはあの場所こそが、戦場なのですから)
お住まいでありながら、片時も気を抜けないあそこは。きっとこの方にとっての、戦いの最前線だったのでしょう。
悲しいことに、生まれてからずっと。
「トリア?珍しいな、君が馬車の中で座っているなんて」
本来であれば従者が座るべき場所には、今は誰もいませんもの。
実はカーマ様が優秀だとご存じなかった何名かの貴族の方々が、もっと有能な人物をリヒト様にと仰ったせいで、現在本来の見た目と言動に戻ったカーマ様がその選定を行っている真っ最中なのです。既に前提が破綻した、おかしなお話ではあるのですが。
本当のことを知っていたわたくしは、あの時はつい笑ってしまいましたわ。だっていきなり優秀さを見せつけてくるカーマ様に、皆さん開いた口が塞がらない状態だったのですもの。
そしてだからこそ情報が漏洩しないようにと、本日の訪問はリヒト様お一人でとなったのです。
まだどこに、誰の息がかかった人物が紛れ込んでいるのか分かりませんからね。全ての人物が白だと確認が取れるまで、カーマ様は見張りの役目を請け負っていらっしゃるのです。
そう、だから、なのです。
『たまには生きている人のようなことをしてみたくなったのです』
わたくしは、リヒト様を裏切らない白なのだと。常にお側にいるのだと、せめて示しておきたくて。
「いや、だから。見て来ただろう?君は生きているんだ」
『けれどわたくし、何一つ思い出せませんでしたわ』
「……そう、か。人の記憶というのは、肉体の方にあるのかもしれないな」
魂に刻まれる、なんて言いますものね。つまり普段は魂に記憶は宿らないのかもしれませんわ。
けれどこの表現の仕方は、まるでそのことを知っているかのようですわね。もしかしたら、昔もわたくしのような体験をした方がいらっしゃったのかもしれませんわ。
だとすれば、もしかしたらわたくしは今この瞬間も覚えていられるのかもしれません。本当に、あれがわたくしであれば、の話ですが。
『それよりも、まだ全てが終わったわけではありませんよね?』
「あぁ。むしろここからが本番だな」
黒幕をどう追い詰めるのか。そしてどう白状させるのか。おそらくはそれらを相談されていたのでしょう。
もしかしたら、その後のことにまで言及していたのかもしれません。
『ところで、アルージエ辺境伯はいつ頃からバッタール宮中伯を怪しんでいらっしゃったのですか?』
「それが驚いたことに、父上が国王になられた式典で顔を合わせた時に、違和感を覚えたらしい」
『国王陛下の……?え、それはっ……どれだけ昔のお話なのでしょうか!?』
「そうだな。私も驚いた」
しかもその後、辺境伯としてのお仕事が忙しすぎて王都へと来られなくなったから、真相を探ることは出来なかったのだと。そのようにアルージエ辺境伯は仰っていたそうです。
「やはり周りに敵ばかりだと、正確な情報が手に入らないな」
『いえ、リヒト様。今回ばかりは、特殊すぎる案件かと思いますわ』
「そうかな?」
『はい』
そしてリヒト様の生い立ちも、です。
ですがもっと早くそれを知っていたとしても、なかなかに動くのは難しかったことでしょう。
「まぁ、まだしばらくは忙しいだろうな」
『そうですわね』
けれどこれでようやく、様々なものが終わりへと近づいているのではないのでしょうか。
そう、もしかしたら。わたくしがこうしてリヒト様のお側にいられる時間も。
(終わりへと、近づいているのかもしれませんわね)
確信はありません。
けれどどこか、予感のようなものがあるのです。
きっとこの時間も、間もなく終わってしまうのではないかという、予感が。