48.堂々と動けるのは、幽霊の特権ですわね
「お帰りなさいませ」
「報告は?」
「本日は特にございませんでした」
「そうか。それなら後で」
「かしこまりました」
あら?あらあらあら?一体どういうことでしょうか?
バッタール宮中伯よりもお年を召しておられるように見受けられるのは、あの方が家令だからなのでしょう。遅いお戻りでも、あの方だけは常にお出迎えにいらしておりましたもの。
けれどそれ以外の方のお出迎えがないのは、今までが遅い時間だったからではないようですわね。バッタール宮中伯がそこを気にされないあたり、こちらではこれが日常なのでしょうが。
『何ですの?その二人だけが分かっているかのようなやり取りは。逆に怪しすぎますわ』
そもそも何の報告なのでしょうね?
ここはご自宅なのですよ?それなのにここで詳しいお話をせずに、後ほどどこか別の場所で、なんて。
『確かにお戻りになったばかりですけれど、それまでの間にお話しすることは出来るはずではありませんか?』
にもかかわらず、バッタール宮中伯も家令も一言も話さずに廊下を歩いていらっしゃるなんて。
『怪しすぎますわ!』
このお屋敷の中にいればいるほど、わたくしの勘が怪しいと告げてきますの。
ほとんどのお部屋が使われていなかったとしても、全てのお部屋の家具に白い布がかけられているだなんて……そんなこと、普通あり得るのでしょうか?
バッタール宮中伯のお屋敷にお邪魔してからというもの、何人かの使用人の後ろをついていったのに。わたくしが見た中で唯一家具に白い布がかけられていなかったのは、バッタール宮中伯がお使いになっているであろう夫婦のお部屋だけでしたわ。
他のお部屋は簡単な掃除だけがされているようでしたし。そもそも家具も使用できる状態なのか、怪しいところですわ。
『朝から始めているというのに、バッタール宮中伯がお戻りになられるギリギリになってもまだ、お屋敷内部の点検やらお掃除やらが終わっていないのも、人手不足のせいでしょうし』
それもおかしな話なのですけれどね。
それとも何か理由があって、相当切り詰めた生活をなさっておいでなのかしら?
もしもこれで少しでも民たちのためにと寄付をなさっておいでなのだとしたら、それはそれで素晴らしいことなのですが。
『万が一そうだとしても、このお屋敷の中で働く方々の表情は暗すぎますし』
国のため、寄付のためという理由であれば、もっと明るい表情でお仕事をされていてもおかしくないと思うのですが?
誰一人として、そうではないのですよね。残念ながら、見事なロマンスグレーをお持ちの家令ですら。
『それにしても……堂々と動けるのは、幽霊の特権ですわね』
これだけ目の前で、しかも何日にもわたって内情を探ることが出来ているのに、誰にも怪しまれないというのは。なかなかに、便利ですわね。
そしてやはり、リヒト様以外にわたくしの姿を見る事ができるお方はいらっしゃらないのですね。わたくしとしては、その方がありがたいのですけれど。
「旦那様、例の物を書斎にお持ち致しました」
「分かった。今から確認する」
バッタール宮中伯の夕食を眺めながら、色々と考え事をしていたのですが。食事が終わるタイミングで、先ほどの家令がバッタール宮中伯にそう告げたのです。
これはつまり、今からが本番ということですわね?
『さて、何が出てくるのか楽しみですわね』
真剣な表情で頷いたバッタール宮中伯の雰囲気が、一瞬だけ険しいものになったように思えたのは……きっと、気のせいではありませんもの。
となれば、かなり重要な何か、でしょうね。
もしかしたらそれは、リヒト様を脅かす材料の一つかもしれませんし。そうだとすれば、わたくし見逃すことは出来ませんわ。
『とはいえ毒薬などですと見た目では判別つきませんし、出来れば金仮面くらい分かりやすいものであって欲しいですわね』
机の上に金仮面が置かれる様を想像すると、あまりに面白い光景につい笑ってしまいそうになりますけれど。バッタール宮中伯と家令のお二人に置いて行かれないように、わたくしもその後ろをついていくのです。
もちろん歩いてではなく、浮いて、ですけれどね。