35.発想だけではなく、前提そのものから、ですか
『一体先ほどのあれはなんだったのですか!?』
リヒト様の執務室に戻り、誰もいなくなったことを確認してからのわたくしの第一声がそれでした。
だって!仕方がないではありませんか!!
あれは誰がどう聞いても、ただの家族団らんですわ!!どこが情報交換なのですか!!
「絵画のくだりのことを言っているのなら、あれら全てが私たちの情報のやり取りだ」
『あれがですか!?』
いえいえ!意味が分かりませんわ!!
どう考えても雑談でしたよね!?
「あのやり方を考えたのは母上だが、今までこれで誰にも気付かれたことはない」
えぇえぇ、ないでしょうね。どうやったらあの内容から情報の交換をしているという発想に辿り着くのか、疑問ですもの。
「まぁ要約すると、発想だけじゃなく前提そのものから違うかもしれない、と。そういうことだ」
『発想だけではなく、前提そのものから、ですか?』
どういうことでしょう?
「失敗した絵の上から新しい絵をというのは、最初の計画が失敗している可能性が高いことを示唆している」
それで示唆しているのですか!?
「その上で、父上は王族の肖像画の下にも、何かしらが書かれているかもしれないと口にした」
『そう、でしたわね』
治世に対する文句が、と。そう仰っておられましたわね。
「つまり、見えている絵の下に失敗した絵があるだけじゃなく、更にその後ろにも何かがあるかもしれない、と」
『真意が……何重にも隠されている、ということですか?』
「おそらくは。父上があんなにもうまく伝えられるはずがないから、これも母上の入れ知恵だろうがな」
陛下……息子であるリヒト様から、酷い言われようですわよ……?
『いえ、それ以前に、ですわ。言われなければというよりは、言われてもまだ信じがたいのです』
「それでいいんだ。現にあの会話を聞いて、誰がそんなことを伝えていると想像できる?」
『できませんわ。どんなに想像力が豊かでも』
そもそも飛躍しすぎですもの。
「だから、だ。何より父上の趣味が絵を描くことだからこそ、誰も疑わない」
『疑いようがありませんものね』
そこまで疑っていたら、もう何もかもを信じられなくなりそうですわ。
今のわたくしのように。
『けれどリヒト様は、何をお伝えになりましたの?』
「私か?画家に会って直接聞いてみたい、と」
『いえ、ですから――』
「画家を黒幕の人物に置き換えて考えてみるといい」
『画家を、黒幕に?』
画家に、直接会って聞いてみたい。
黒幕に、直接会って聞いてみたい。
『……あ』
「気付いたかい?」
『それは、つまり……』
絵を描くことに失敗した画家も、絵を描く前に何かを書き込んだかもしれない画家も。
そして直接会って話を聞いてみたい、そういった機会を設けたいと思っている画家も、全て。
『最初から最後まで、黒幕の人物についてだけを、お話ししていらっしゃったのですか?』
「そういうことだ」
いえ、あの。リヒト様そんな、得意気な顔をされて頷かれましても、ですね?
わたくし、その前提を知りませんもの。気づけるはずが、ありませんわよ?
確かに人ではなく幽霊ですけれども、わたくしは善良なる普通の幽霊ですの。いくら何でも、そこまでは推測できませんわ。
「まぁ、失敗した絵に関しては、私の暗殺かもしくは生まれて来たことそのものか」
『そこになるんですの!?』
「あぁ。だから母上が言っていただろう?画家に直接聞いてみないと分からない、と」
『先に問いかけたのはリヒト様だったと記憶しておりますが!?』
「私は十中八九それだろうと思ったからな。否定されなかったということは、まず間違いないだろう」
お、恐ろしいですわね……。王族というのは些細に思えるあんなやり取りからも、そこまで意図をくみ取らなければならないのですね。
「トリア。君が普段何を考えているのかは分からないが、今ならば分かる。その上で言わせてもらうが、普通はそんなことはないからな?」
『あら?わたくし、声に出していましたか?』
「いいや。ただどう考えても、驚愕の表情だったからな。今までの流れからして、何となくその表情になる理由は想像できるだろう?」
『まぁ』
「こんなやり取りは特殊すぎる。確かに私にとっては本来あるべき普通という物が存在していないが、それでも今の状況がおかしいことは理解しているからな?」
そこには、ちゃんと気付いておられるのですね。
けれどだからこそ、なおさらこのままではいけないと思うのです。