25.ここにうってつけの人間がいますよ!さぁさぁ!
「はぁ、まったく……」
珍しく自室でワインを傾けていらっしゃるリヒト様は、いつにも増して饒舌で。けれどその涼やかなお声で紡がれるのは、どす黒い人々の闇ばかりなのです。
「私が邪魔だというのであれば、フォンセをもっと教育すればいいだけだろうに。あれが私に教師を押し付けたから、無能なまま育っただけじゃないか」
『まぁ。教師を?』
「おかげで私は何不自由なく、最高級の学びを得られたわけだがな。そこだけはフォンセに感謝するべきかもしれない」
そう言ってもう一口と、傾けたグラスから赤い液体がリヒト様の口の中に消えていきました。
お顔は全く赤くならないですけれど、結構な量のお酒を召されておいでなのですよね。大丈夫でしょうか?
「だがまぁ、それを生かす場所もなければ話す相手もいない。無意味な知識だな」
『そんなことはありませんわ!今後必要となる場面が必ず訪れるはずですもの!』
「はは。だと良いが、な。……こんな些細な愚痴を延々と聞いてくれるような相手すら、私には存在しない。そんな私に、知識が必要になる場面など――」
『まぁまぁ!何を仰いますかリヒト様!愚痴ならば、ここにうってつけの人間がいますよ!さぁさぁ!』
あ、いえ。人間といいますか、幽霊ですが。
まぁ、細かいことはこの際気にしないでおきましょう!
「…………君が……?」
あら?
一人で納得している間に、リヒト様が意外そうな顔をしてわたくしを見上げていらっしゃいましたわ。
『まぁ!心外ですわ、リヒト様。わたくしはリヒト様にしか見えない幽霊ではありませんか。わたくしこそ、リヒト様がいらっしゃらなければ存在意義が分からなくなってしまいますのよ?』
「いや、そこまでではないだろう?」
『いいえ。他の方には認識できない存在である以上、わたくしにとってリヒト様は唯一無二なのです』
この方がいらっしゃらなければ、今頃わたくしはただの彷徨う幽霊になっていたことでしょう。いえ、彷徨う幽霊が実際にいらっしゃるのかどうかは存じ上げませんが。
何せわたくし、他の幽霊様にお会いしたことがないのですもの。
「トリアは、私を必要としてくれるのか?」
『当然ですわ!!』
「……そう、か」
『ッ!?』
一瞬、ランプの明かりで照らされたリヒト様の御髪が、淡い光を湛えながらさらりと揺れて。
そこに浮かび上がった笑みは、その光のせいか陰陽が強く浮き彫りになっているというのに。
(本当に……まるで、絵画のよう……)
美しすぎるそのお姿に、思わずほぅとため息が零れてしまいます。
わたくしが一人占めしてしまうのは、本当に許されることなのでしょうか?
「トリア?」
『は、はい。どうされました?』
不思議そうにわたくしを呼ぶリヒト様のお声に、つい胸が高鳴ってしまいます。
おかしいですわね。わたくし、肉体はないはずなのですけれど……。
「少しだけ……本当に少しだけでいい。くだらない私の愚痴に、付き合ってくれるか?」
『もちろんですわ!朝までだってお付き合い出来ますわよ?』
「ふふっ。朝まではかからないさ。私が眠くなってしまうからな」
わたくしは幽霊ですもの。眠くはなりません。
ですがそれだけで笑ってくださるのであれば、きっとそれで十分なのでしょう。
(普段よりも弱っていらっしゃるように見えるのは、きっとワインのせいなのでしょうし)
それが本音なのだとしても、お酒の力がなければリヒト様は話してくださらないでしょうから。そういう、お方ですもの。
だからこそ、こういう時は頼って頂かなければ。
(最初に申し上げた通り、わたくしは話し相手にはうってつけですから)
わたくしほど、秘密も愚痴も機密事項も全て他人に漏らさないような存在、いませんでしょう?
だってわたくしは、リヒト様だけが認知できる幽霊なのですから。