24.名前を下さい
『リヒト様リヒト様、以前の毒入りチョコレートの件を覚えていらっしゃいますか?』
「ん?あぁ、覚えている。それがどうかしたのか?」
『あの時の貴族たちが話していた会合とやらが、今度開かれるそうなのです。場所と日時を話していたのですが、どういたしましょう?』
「…………そこまで知られているなどとは、向こうは夢にも思わないだろうな」
わたくしの姿が見えないのですから、仕方がないのですよ。さすがに夢の中に、知りもしないわたくしは出演できませんもの。
「カーマを行かせるわけにはいかないからな。それとなく父上と母上にも伝えておこうか」
そう言いながらどこかから引っ張り出してきた古い紙に、何かを書きつけ始めるリヒト様。その目がこちらに向いて、促されるままにわたくしは見聞きした情報をお伝えする。
こんな日常が当たり前になってしまうほど、わたくしはリヒト様と共に生活しているというのに。
「本当に、君の存在は私にとっては有益だが、彼らにとっては脅威でしかないだろうな」
楽しそうにそんなことを口にするリヒト様に、わたくしはついつい恨めしそうな目を向けてしまうのです。
だって……だってこの第一王子様ときたら、未だにわたくしのことを「君」としか呼んで下さらないのですよ!?
『リヒト様!』
「うわ!?な、なんだ急に??」
『これだけ長い間いるのですから、いい加減名前を下さいませ!!』
そう。わたくしは最近そのことが不満だったのです。
思わず目の前に飛び出してしまったとしても、仕方がないではありませんか。
「名前、って……。いや君、自分の名前も思い出せないんだろう?」
『そうですけれど!』
「それなら私が勝手に呼ぶわけにもいかないじゃないか」
『仮の名前でいいのですよ!ニックネームのようなものですわ!』
「ニックネーム、ねぇ」
だってだって!!名前が分からないからずっと名無しなんて悲しいではありませんか!!
ニックネームでいいのです!むしろ物語の中のコードネームのようなものでもいいのですよ!!
『とにかくわたくしは、ちゃんとした名前で呼ばれたいのです!リヒト様が誰からも常に第一王子と呼ばれるようなものなのですよ!?』
「それは…………確かに、ちょっと嫌だな」
想像したのでしょうね。その美しいお顔を歪めていらっしゃるので、きっとわたくしの今の気持ちも分かって下さったことでしょう。
その証拠にリヒト様は、少しだけ首を傾げて顎に手をあてて、真剣な表情で考え事をし始めました。
「名前、か。そうか、名前……名前、ねぇ……」
いえ、そのように難しく考えすぎなくてもよいのですが?
適当につけられるのも嫌ですが、悩ませすぎるのもなんだか悪い気がいたしますもの。
『あの、リヒト様……』
「そう、だな。トリア、なんてのはどうだろうか?」
『トリア?』
「私に必要な者かそうでない者かを、君は選別してくれている。だから、トリア」
『トリア……トリア、トリア……』
リヒト様の口から出てきた、リヒト様が考えて下さった名前をわたくしも口に出して反芻してみます。
不思議なことにどこかしっくりとくるその名前は、呼ばれればわたくし自身のことだとすぐに認識できるような気がして。
「……なんだ、不満か?不満だっていうのならもう――」
『いいえ!いいえ!!気に入りましたわ!!ありがとうございますリヒト様!!』
けれどわたくしの行動の意味を逆に捉えたリヒト様が、どこか不満そうに見上げて言葉を紡ぐので。わたくしは急いでそれを否定して、さらに満面の笑みでお礼を口にしました。
「っ……そ、それならよかった」
『うふふ。トリア、トリア。わたくしは今日からトリア、ですわね!』
「あぁ。これからもよろしく、トリア」
『こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ。リヒト様』
名前というのは、不思議ですわね。幽霊であるわたくしですら、どこか存在がハッキリとしたような気分になりますもの。
リヒト様から頂いたトリアという名前。これから大切にいたしますわ。