時飛ばし発動 ~ナレさん復職~
「ヴィオラ」が誕生してもうすぐ一年。すくすくとそれはもう順調に成長している。
寝返り、ハイハイ、つかまり歩きもクリア。
現在彼女は独り歩きに挑戦しているのだが、両手を離した状態で足を上げるという動作がどうにもうまくいかないようで、その場で背伸びを繰り返している。
早く己の体を使いこなそうと日々努力している彼女は、そのストイックさで同月齢の赤子よりもやや早いペースで様々なことを習得している。
凄い凄いと褒めそやす大人たちに、ヴィオラは満面の笑みを向けてご機嫌のようだが、そもそも普通の赤子は彼女のように明確な目標を持っているわけではない。
土俵が違うのだ。張り合おうとすな。
ヴィオラはまだ気付いていないようだが、彼女が生まれたのはグレイフォード公爵家。
イーセー王国設立当初から存在する、由緒正しい家柄である。
王家の血を濃く受け継いでおり、直近では二代前の公爵が当時の第三王子であった。
しかしヴィオラは、父親や祖父の人柄から「侯爵」の方だと予想しているようだ。
「公爵令嬢なんて大層な役柄、私には向いていないわ。きっと私には、そこそこ威張れる権力はあっても小物感がぬぐい切れない程度の悪役令嬢がぴったりなのよ。」
などと宣っていたが、残念ながら「フラグ発言」の存在を見落としている。
そういう星の下に生まれ落ちたのだろう。
グレイフォード公爵家の現当主はオスカー・ローウェル。ヴィオラの父である。
どうやら結婚を機に、先代のチャーリーから爵位と職務を押し付けられたようだ。
実質引退したはずのチャーリーだが、現王からの信頼が篤いことから呼び出しも多いため、領地には戻らず王都に新しく用意したグレイフォード家の別邸(本邸から徒歩二分未満)で妻と暮らしている。
呼び出されずとも気まぐれに登城しては口を挟んでいるらしい。
とまあこの世界におけるヴィオラの立ち位置がどんなものなのか、それを語るには少し堅苦しい設定解説が不可欠になるため、今はこの辺にしておこう。
追々うまいこと会話文らへんに紛れ込ませてほしいところである。
「まあ! 歩いたわ! みんな、今の見た?」
「勿論ですとも!」
「流石お嬢様! なんと高貴な歩みでしょう」
今まさに一歩踏み出したヴィオラである。
両手を斜め上方に突き出して、その記念すべき高貴な一歩を最後に固まってしまっているが。
どうやらこの後の体重移動がうまくできないらしい。
はたして歩いたと言えるかは怪しいところだが、赤子にとっては大きな一歩である。
騒ぎを聞きつけた屋敷の者たちは大喜びで、厨房は夕食のメニューをお祝いのための特別なご馳走に変更し、メイドたちは祝賀の飾りつけや画家の手配に勤しみ、執事は下僕に公爵への報告書を託した。
因みに公爵の育児休暇はひと月しか取れなかったため、毎日泣く泣く城に通っている。
この国では希望すれば半年から一年の休暇を得られるが、要職であるほどそれは難しい。
ひと月分の仕事を先回りで熟し、可能な限り在宅勤務に切り替える。持ち出せない仕事は期限ぎりぎりまで溜め込み、復帰後の自分に激務を強いることでようやく手に入れたひと月なのである。
実際のところは育休でも何でもない。
愛妻家・子煩悩の貴族ほど出世するのは世知辛いが、人選に問題がないということだろう。
家族を蔑ろにする者ほど欲深く利己的だ。というのは一個人の勝手な偏見だと言っておく。
公爵不在の間チャーリーが一時的に仕事を代わってはどうかという至極最もな提案をした者も居たようだが、その者はきっとチャーリー本人をよく知らないのだろう。
あの仕事好きな翁が何のために嫁を貰うと同時に半隠居したのかは、一年観察しているだけでも充分わかるのだから。
さあそんなチャーリーも騒ぎを聞いて駆け付けて来た。妻のサマンサも一緒である。
どうやら二人は趣味の庭いじりをしていたところらしく、ラフな服装だ。
「ヴィオラや! おじいちゃまが来たぞ~」
「御機嫌よう琳佳。こんな格好でごめんなさいね。」
「気になさらないでお義母さま。さあお二人とも、ヴィオラはこちらよ。早く褒めてあげてくださいな」
未だに例の姿勢で固まっている孫を発見した祖父母はメロメロである。
これでもかと褒めちぎられるも、ヴィオラの表情は渋い。
折角来てくれた二人に実際の動きを見てほしいが、どうしても二歩目が持ち上がらない為、素直に喜べないでいるようだ。
気が付いた琳佳が一度直立の状態に戻してやったことで、再び一歩を披露できた。
ギャラリーは大賑わいである。ヴィオラは漸くいつものどや顔をして見せた。
その後も画家が到着したり、オスカーが帰宅したりする度に新技を披露し、褒められた分テンションが上昇していったヴィオラは、最早「二歩目」を忘れてしまったようだ。
その代わり、踏み出した状態で固まることがなくなり新たに「スクワット」を習得した。
キャーーーと喜びながらお尻を上下させるヴィオラは確かに愛らしい。周囲の者のデレっぷりも相当だ。
そして遂に
「んおっ?」
記念すべき二歩目である。
皆が口々に褒める中ヴィオラだけがぽかんとしている。
実は先程から、彼女は無意識に一歩を繰り返していたのだ。
スクワットをする際、辺りに笑顔を振りまきながら揺れることで、一歩踏み出した状態から歩幅はそのままで体が正面に向く。
再び体重移動が可能になったヴィオラは「一歩」を披露する。
琳佳が何度も立ち直るのを手伝っていたことで、無意識のヴィオラは自力で体勢を戻していることを認識できていない。
一連の動作を繰り返し、スクワットを挟まずとも体重移動ができるようになった彼女は、「ちょっと反対の足も試してみようかな」というノリで出す足を変えたのである。
傍から見れば、非常にゆっくりではあるが連続した二歩であった。
「うちの子っ!天才っっっ!!」
「うむ、見事な工夫だな。可愛すぎる」
男性陣は故意の動作だと思っているようだが、「みんなが喜んでる」程度の理解力しか持たないヴィオラは
(もしかして、右足でしかできないって思われてた?)
まだわかっていない。
「あんよできたね~」
「上手だったわ~」
「「か~わいいわぁ~~」」
お見通しの琳佳とサマンサも穏やかにべた褒めする。
「上手」「すごい」「可愛い」については聞き覚えばっちりだ。
ヴィオラは満面の笑みでまた一歩踏み出した。
――――――――――
さてここで琳佳について説明しなければならない。
琳佳はオスカーの妻。つまりヴィオラの母。
イーセー王国から見て、海を渡った南に位置する萬智還王国の王家出身で、現萬智還国王の孫にあたる。
王女の称号は持たないが、オスカーと出会う以前は王族の一員として幼いころから活躍していたそうだ。
公務でイーセー王国を訪れた際に、次期公爵として同席していたオスカーに一目惚れした彼女は、滞在期間中彼に猛アタックを繰り返し見事射止めた。
当時数多の令嬢に言い寄られるも誰にも靡かず、「鉄壁令息」「笑顔の要塞」「高嶺の推し」「社交界の共有財産」「男色妄想フリー素材」「そんなところも素敵」などと称されていたオスカーだったが、五つ年下の琳佳からの好意に戸惑いながらも骨抜きにされていく様は、多くの者の母性を擽ったそうだ。
琳佳に対する一部の嫉妬と多くの「いいぞもっとやれ」、さらに小説や絵本、芝居や歌劇などの創作物の題材になったことで大衆の応援も巻き起こり、彼女はイーセー王国の生ける伝説となった。
今では理想の夫婦像として貴賤問わず人々の憧憬の的である。
王都の子供たちから世情に疎い地方の農民まで、イーセー王国に住んでいれば一度は「グレイフォード公爵夫妻」の名を耳にするだろう。
元々王侯貴族の間で盛んだった寄付や奉仕活動はもちろん、萬智還王国発祥の「チャリティー」の概念を広め、精力的にイベントを開催していることでも有名である。
その存在をきっかけに、各国民のプライドが高いクワトロガル大陸の少々閉鎖的な考えが変わったとも言われている。
大陸内での異文化尊重をはじめ、海外人への苦手意識の緩和や女性の活躍がここ数年で大きく進んでいるのだ。
彼女の影響力はイーセー王国に留まらず、大陸全土からの好感を集めており故郷萬智還での人気も未だ衰えていない。
そんな琳佳の第一子に、桁違いの注目が集まることは火を見るよりも明らかだ。
…………が、当の本人は未だ何も知らない。