現場そして ~すべての始まり~
「やあ若紫」
「いい加減にしてください」
見事なハーブ園の一画。
1:9の決して成功とは言えない和洋折衷のこの空間で、燕尾服を纏ったウサギ頭の男 ――引き締まった長身に爽やかなイケボを装備している―― が少女に微笑みかける。
対する少女は男を冷ややかに一瞥すると、再び手元の小説に目を落としてしまった。
「今日は何を読んでるの?」
「私は娘を産みました」
「ブックカバーまでしちゃって。君は秘密主義だったのか」
「理想の世界観のためにこの姿をしてはおりますが、『若紫』の呼称は不適切です。というか不愉快です」
「いつも思うけど、その衣装暑くないの?」
「ほかの装いを貴方に見られたくないので我慢しているのですわ」
ついに会話がかみ合った。
ただし少女は男の質問に答えたわけではない。挨拶代わりの盛大な嫌味を放ったのだ。
決して根負けなどしていない。
「15年ぶりだね。久しぶり」
「つい最近ではないですか」
少女は本を閉じ、男と向き合った。
「相変わらず君は美しい」
「下界の小説を読んでいたのです。ここのところ転生ものが流行っているようですの」
「僕が光だったら君だけを愛すよ。義母の容姿に係わらず」
「カバーは紫輝の新作ですわ。猫の柄がとても愛らしいでしょう?」
「僕は猫より兎の方が可愛いと思うのだけど」
「兎と言えば、彼らはとても効率的な食生活をしているようですね。なんでも排泄物を――」
「転生がなんだって!? とても興味深い話だ!」
「「…………」」
「……リサイクルは持続可能な世界のためにできる、最も重要な取り組みの一つだと存じますわ」
男は少女を口説くことを、そして少女は男をおちょくることを諦めた。
「転生、というと君たちの言うところの輪廻転生を描いた物語かい? 悪事を働いたものが人間になれず、蜘蛛になるとか」
「輪廻転生の概念はあまり関係がないようです。前世の記憶を持った状態で別の人格に生まれ変わることを転生と表現しています。主に魔法が使える異世界や、創作物の世界が舞台なのですわ。」
「なるほどね。他の者が持っていない知識を利用して活躍したり、成り上がったりするのかな?」
「所謂『知識チート』ですね。そういったジャンルもありますよ。私がよく読むタイプのものでは創作物の世界に転生して、情報を基に未来を変えるための行動をとることが多いです。」
「決まった未来を知っていれば、確かに行動次第で回避することが可能だね。それが悪い未来ならなおさらだけど、もしも失敗するたびにやりなおして、様々なパターンについて分析や要因究明ができたら面白いだろうね」
少女は首を傾げ、一度喉を潤す。
「……詳しくはないですが、そのような展開の作品もありますよ。貴方が言う程割り切った描写ではないと思いますが」
「舞台となる創作物について詳しくない主人公はどうするんだい?」
「そうですね。他の転生者と出会って情報を得たり、知識を利用しようとした別の転生者が失敗したりして主人公が幸せになります。同じパターンで主人公は転生していないキャラクターの場合もありますわ。」
ここではじめて、用意された茶に口を付けた男は、こちらの様子を窺いながらもそろそろ二つ目の籠がいっぱいになりそうな侍女に向かって片目を瞑った。
この庭ができたばかりの頃は、慣れぬ香りと風味に戸惑い美味しいとは感じなかったものの、今ではすっかり少女が育てるハーブの虜なのである。
「君の読んでいるジャンルが大体わかったよ」
「貴方とは徘徊区域が違うことがわかりました」
「下界の流行は概ね耳に届くのさ。分け隔てなく知っていると言ってほしいね」
「では私の好きなジャンルで、目に留まったものはございますか?」
「どれも似たようなものだけど、ゲーム内で手に入れた能力やアイテムがそのまま魂に組み込まれているという作品には興味を惹かれたよ。主人公が強すぎて本気を出せないなんて最高だね。確かサポートキャラの平民と序盤から相思相愛で物語が始まって、所謂テンプレ的なもどかしい恋愛描写がない点も読みやすい」
「『おれつえー』もお好きなようで。私は両片思いなどのテンプレ恋愛も大好きですが、その作品が最高だという点には同意しますわ。斬新な設定に伏線も凝っていて、読者に飽きさせず且つ自然な流れで起こる怒涛の展開がとても素晴らし―――― っ、とにかくいつか完結するのを楽しみにしておりますの」
(おほん。まあ、映像化されていないものもご存じなのは意外ね。好ポイントだわ)
ちょうど先日、一年以上振りに更新されて歓喜したばかりの作品と思しき話題が出たことで、目を輝かせてあれこれと語りかけた少女は我に返り、一度視線を逸らしてクッキーを頬張る。
ローズマリーが練り込まれたそれは侍女お手製で、少女の大好物である。渋くなりかけていた表情も自然と緩んでしまう。
……たいていの美味しい食べ物は彼女の大好物だが、それはそれ、これはこれ。なのだ。
少女の様子を楽しそうに眺めていた男も、ふんだんに使われたハーブとバターの香り、なにより目の前で幸せそうに味わう姿につられて、ひとつ手に取る。
男もまた、このクッキーが好物なのだ。
もっとも、男にとってこの庭で口にするものは、ほとんどが好物といえよう。
新ジャンル開拓による初めての味わいや、少女が珍味と言える属性のものにハマっている時期などは例外である。
ところであまりにもピンポイントすぎる先の発言だが、そういったことは出会ってこのかたままある上、最初の疑問から三百年を過ぎたあたりで、少女は常人との会話がどんなものだったかを忘れた。
つまり少女にとって会話相手が異様に察しがよかったり、目覚めたばかりの趣味の話に難なくついてこられたりするのはいたって普通のこととなっているのだ。
故にこのウサギ頭への警戒心をなくしてしまったことも仕方がない、と言っておこう。
二人は暫し会話を休憩し、茶と菓子を楽しむ。
やんごとない雰囲気を纏う美しい二人の、この静かな一瞬を切り取れば、まるで恋人同士を描いた絵画のよう―――― には見えない。
なにせ片や世界観にそぐわぬかぐや姫であり、対する餅つき兎……ではなく、懐中時計を手に走り去って行きそうなメルヘン兎は、世界観に馴染んではいるものの、頭上のパラソルが全てを台無しにしている。
(実際にプレイしたことはないけれど、乙女ゲームの世界ならヒロインは間違いなく彼女でしょうね。私は陰湿な悪役令嬢。小説の中ならヒロインに『ざまぁ』するのがセオリーだけど、まったく勝てる気がしないわ。攻略対象には見向きもされなくても、せめてやたら格好いいモブだけは本当の私を愛してくれたり、追放された先で美少女小説家として平民の人々に受け入れられたりして幸せになるパターンがいいわね)
くるくる表情を変えながらスイーツを味わっていた少女は、途中から表情をぐるぐるさせながら何事か考え込んでいた。
(ああでも、やっぱり『ざまぁ』は醍醐味よね。小説の中でくらいぎゃふんと言わせてやりたいわ。いいえ、そもそもヒロインが愚かでなければ成り立たない。賢くて立ち回りも上手く、脳みそお花畑でもないヒロインに勝つには一体どうしたらいいの、、?)
柔らかな風が向きを変え、ハーブの香りをテーブルへ運ぶ。
――――何故か、嫌な予感がした。