王都の風景 ~夢見る瞳~
明日はグレイフォードのお嬢様の成祝祭。
実は私は一度だけ、お嬢様に会ったことがある。
普段お嬢様はお屋敷の敷地内から出ないから、いくら同じ区域に住んでいたってお目にかかれることはないんだけど、あの日は違った。
私の家は結構大きな商会で、貴族ではないけれど富裕層。
王侯貴族とのパイプが太く、グレイフォード家も古くからのお得意様なのだ。
お嬢様が生まれてから、何故か額縁の注文が多くて、お父様は度々品物を届けに行っていた。
公爵夫妻は気さくな方々らしく、受け取りだけの場合でも毎回直々に対応してくださるようだ。
お茶の時間に招かれるだけでも光栄なのに、お嬢様の様子を近くで見られることもあるのだと自慢していた。
ある日、お父様がとても慌てた様子で帰ってきた。
公爵夫人がお母様をお茶に招待したいと仰ったと言う。
お母様は驚いて開いた口が塞がらないようだった。私もびっくりした。
どうやら春に弟が生まれたことを知った夫人が、「ママ友」なるものの候補としてお母様を誘ってくださったらしい。
萬智還王国では、高貴な方々にも同じ年頃の子を持つ母親同士の交流会があるらしく、子育ての悩みや愚痴、親バカ談義で盛り上がるそうだ。
イーセー王国でも、庶民のコミュニティに似たような集まりがあるようだが、互いに子供たちを預かり合ったり、経験者が相談に乗ってアドバイスをしたりなどと、「地域の助け合い」の色が強いため少し違うらしい。
そもそも「ママ友」の概念がない国で、まだ気心の知れた友人がいない夫人は、大層控えめに提案なさったそうだ。
少しの期待と不安が混ざった優しい瞳に、お父様はどうにかお力になりたいと、その場で承諾してしまったようだ。
夫人は産後のお母様を気遣い、お茶もお菓子も持参して我が家にいらっしゃると仰ったが、流石に丁重にお断りして、こちらが赴くことに決まったが大丈夫かと言うお父様に、我に返ったお母様は
「あなたそれで大正解よ!どう考えても奥様の方がお辛い筈だわ。私はもう産んでから半年も経つんだし、二人目だもの。平気に決まっているわ」
口の開閉ができるようになった。
お母様も臨月ギリギリまでお父様の商談に同行していたため、公爵家の方々の人柄はよく知っている。
大貴族のお茶会に参加することへの不安は無いようで、寧ろお父様が語る夫人の様子が目に浮かぶと涙ぐんでいた。
お母様は夫人と仲良くできるチャンスよりも、寂しい思いをしているかもしれない夫人に少しでも楽しんでもらえる可能性の方を期待していた。
私も同じ気持ちで、その役目を得たのが自分の母であることがとても嬉しかった。
それから、月に一度の「ママ友会」が恒例になり、六度目のこと。
その月は弟の誕生日があり、当日の出席は流石にまずいということで、前日に夫人が我が家を訪ねてくれたのだ。
「ごめんなさいね。準備が忙しいでしょうけど、どうしてもカーティスの成祝をしたくて」
夫人はそう言って、弟への祝いの品となんと私へのお土産まで取り出した。
それまでママ友会へはお母様と弟だけが参加していたので、夫人とはその日が初対面。
本物のリンカ様を前に、失敗せずにご挨拶ができただけで達成感と幸福感に満たされていた私は、驚きのあまりいつかの母のようになっていた。
「会えて嬉しいわエレン」
最初の挨拶のときにも言ってもらえた台詞だ。
視線を合わせて頭を撫でてくれる夫人が、本当にそう思ってくれていることが伝わって、少し泣きそうになった。
「貴女のお母様から、とっても賢い子だと聞いているわ。物語が大好きなのよね?」
彼女の前でお母様が私を褒めてくれていること、何よりそれを皆の憧れのリンカ様から伝えられたことに照れて真っ赤になりながら、必死に頷いた。
開けてみて。と言われて慎重に包みを外せば、中身は少し難しそうな小説だった。
「貴女はきっと沢山の本を読んでいるだろうから、何を贈ろうか迷ってしまったの。少しお姉さん向けの本だけど、中等部に上がる頃には読めると思うわ。まだ珍しい女流作家の作品で、とてもお勧めなのよ!」
そう教えてくれた夫人の瞳はとてもキラキラしていた。
さらにすぐに使えるものとして、とってもきれいな銀細工の栞も頂いた。
空を飛べそうなほどに嬉しくて、思わず満面の笑みでお礼を言ったら、夫人もこぼれるような笑顔を見せてくれた。
すっかり緊張がほぐれ、夫人以外の存在が視界に入るようになった。そして気付いた。
夫人の後ろの女性がお嬢様を抱いていたのだ。
夫人がお母様にも同じように弟へのプレゼントの説明をした後、お茶会が始まった。
お嬢様はとてつもなく愛らしかった。
夫人の膝でお座りをしているお嬢様。
弟と一緒にハイハイをするお嬢様。
夫人の腰掛けるソファにつかまり、立ち上がって夫人に何やらうにゃうにゃと話しかけるお嬢様。
どの瞬間も可愛いの供給過多を起こしていて、目が焦げそうなほど見つめてしまった。
弟は数回の交流で既に認知されているらしく、
「かー!」や「かー、ち」
などと呼ばれていて、弟も時々夫人やお母様の口ぶりを真似して
「びー」
と呼ぶ光景が最早天国に見えた。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、お茶会はお開きになったが、最後にお嬢様が
「ねーえ!」
私に向かって呼び掛けてくれた。しかも天使のスマイルをセットで。
一生忘れないだろう。公爵夫妻が額縁を大量に購入する理由が分かった。絶対に魔法を習得しよう。
最近「ねぇね」と言えるようになった弟が、今日も何度か私に向かってそう呼ぶのを聞いて、私のことだと理解したのだろう。お嬢様賢すぎる。
弟のおしゃべりが月齢のわりに上手なのは、お嬢様の影響でもあると思う。
公爵夫人を間近で見れたこと、沢山お話したこと、また会う約束をしたこと。
クラスメイトのご令嬢たちでさえ羨むような、夢のような時間の余韻で、その日は全く眠れなかった。
そして、既に皆に愛されながら、誰もまだその姿を知らない公爵家のお姫様と過ごした思い出。
特別に会えたことは言ってはいけないけど、世界中に自慢したいような、誰にも教えたくないようなそんな気持ちを、この三か月ずっと抱いていた。
遂に明日、お嬢様のお披露目である。
記念品の類の制作・販売は全てうちの商会に任されているため、私用に五セットほど取り置きしてもらっている。
ずるいと思われるかもしれないが、イーセー王国の人口の三倍以上は用意できたみたいだから決してずるくない。
三年分のお小遣いからきちんと自腹で払ったし。
成祝祭の会場設営は今日の昼から始まる。
王都の民がこれまで各自少しずつ準備を進めてきたが、本格的な作業を前にいよいよ皆の実感が湧いてきたようだ。
今朝は早くから(正確にはここ一週間ほどずっと)街全体が浮足立っている。
私も早くから目が覚めてしまって、休日で学校がないのをいいことに所属地区の会場へ向かった。
皆考えることは同じようで、広場には大勢が集まって作業用テントや給水所を用意していた。
祭りの準備をするために必要なものを前もって用意することにしたらしい。
それにしても早すぎるような気がするが……。
まだ薄暗い西の空に視線を向けながら、あれもこれもと進めるうちに午前中で全部終わってしまうんだろうなと考えていたら、この地区を担当するうちの従業員達が声を掛けてくれた。
なにか手伝うことがないかと聞いたら、やはりほとんどの作業を終えていたらしく、一緒に地区のみんなのために軽食を用意しましょうと提案してくれたので、一度戻ることにした。
グレイフォード家の屋敷の裏門を通りかかると、何やら人だかりができていた。
朝の郵便と、配達業者の出入りに便乗して、近隣の人々が挨拶をしに来ているらしい。
対応しているのは使用人なのだろう。「おはよう」「いい朝だね」「明日が楽しみで、寝てなんかいられないよ」「準備の準備をしていたんだ」「準備の準備ってなんだい?」などといった会話が聞こえる。
ジョイじゃないか!と片手を上げた従業員―― トムが、私を抱き上げて右肩に乗せてくれた。
彼は背が高く、先程まで全く見えなかった使用人の姿を捉えることができた。
まだ幼そうに見えるが上等な制服を着た使用人は、トムの友人らしい。
「うちのお嬢さんだ」と紹介されて会釈すれば、「よろしくね」と彼は微笑んだ。
人々の輪から抜ける際、一度ジョイの方を振り向いてみた。
彼は別の人と話していたけど、すぐに目が合った。
思い切って小さく手を振ってみたら、彼はニカッと笑って大きく手を振り応えてくれた。
あの日のナニーや公爵夫人付きの侍女さんもとても優しかった。
公爵家の方々のお人柄が良いから、仕える人たちも素敵な人ばかりなのだろう。
憧れの公爵夫妻や、可愛すぎるお嬢様は勿論、グレイフォード公爵家全体に好感が持てる。
彼らのような大人になることを目標に。そしていつかは素敵なお姉さんになって、公爵夫人から頂いた小説を読もう。
まずは明日。再びお嬢様に会えるのだ!
はっきり見ることは出来ないかもしれないけど、記念品もあるしとても楽しみ。
素敵な成祝祭になるように、私は皆への差し入れ作りを頑張ろう。
ボリュームたっぷりのサンドイッチに、甘いスコーン。
他にはどんなものが作れるか、家の皆に聞いてみよう。
準備の準備がこんなに楽しいなんて知らなかった。
当日ただ参加するだけでも楽しいけど、ワクワクする気持ちをどんどん積み上げて、イベント全体をもっともっと満喫できる気がする。
私もお嬢様のおかげで新しいことを学べたってわけね!