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異国妻は見た ~オスカーが泣いた日~ 後編


 ――――そんな気はしていたがやはり。一度私の前で思いっきり泣いたことで夫は涙脆くなったようだ。




 なけなしの育児休暇が終わり、ひと月ぶりの登城のために屋敷を出る直前。

 彼はごねた。



「行ぎだぐない゛ーーーー」



 玄関で私を抱きしめて動こうとしない。使用人たちの前にも関わらず泣き出した。

 皆が彼に同情の目を向ける中、従者のオースティンは


「旦那様の品性が家出してしまった」


 とため息を吐いていた。



 私としても、初回の優越感はどこへやら。

 ちょっと涙を安売りしすぎではないかと思わないでもないが、ヴィオラと離れたくない気持ちはよくわかるし、泣き虫な夫も大変愛らしい。


 短すぎる育休も、事情は理解しているが彼が可哀想だと思う。



 特に、彼から育児休暇の存在を聞いた祖国の従兄が同じ制度をゴリ押しし、

「不公平感をなくすために、決議から三年間は五歳未満の子供がいる者も同様の休暇の取得が可能」「上司が推奨することで下の者も休暇を取りやすく」

 などと十割自分のために付け加えたルールを根拠に、一番乗りで一年まるまる休むことを公表したばかりだから余計にやりきれない。



 行きたくないと泣く彼にかける言葉が見つからず、自身もひと月ずっと一緒だった夫が仕事に行くことに寂しさを覚えてしまった私が、じゃあお休みする?と言いかけた時


「旦那様。早く仕事を終わらせないとヴィオラ様と過ごせる時間が減ります」


 オースティンの一言で夫のスイッチが切り替わった。



「では行ってくるよ琳佳。なるべく早く帰るから待っていてね」

「ええ。行ってらっしゃい」

「疲れたら寝て待っていてもかまわないからね。無理だけはしないように」

「ありがとう。貴方もほどほどにね」

「愛しているよ。寝返りしたり喋ったりしたら連絡して」

「まだ首も据わってないわ」

「ごほん」

「…………行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 行く気にはなったもののなかなか動こうとしない夫にオースティンが咳払いをしたことで、漸く出発してくれた。


 行ってきますと言った顔がとても渋かったので、行ってらっしゃいのキスをプレゼントすればたちまちご機嫌顔になった。子供か。


 彼の目元は赤いけれど、先程のやり取りの間にオースティンが冷やしタオルを用意させていたのできっと大丈夫だろう。



 彼を見送った後、厨房へ向かった。

 行きたくない気持ちを抑えてひと月振りの仕事を頑張る夫にとびきりのご馳走を用意してもらおう。

 そうだ! 今日は久々にデザート作りに挑戦しよう。

 ヴィオラのお世話の合間に手伝ってくれるよう、ラングスターさんに頼んでおこう。などと考えたのだ。




 その日のデザートは大成功。夫はとても喜んでくれた。








 私が嫁いで二度目の晩秋。この国にははっきりとした四季があり、季節の移り変わりを楽しめる。

 ヴィオラは日々成長しており、カラフルだった木々がすっかり茶色くなり、それらの葉も残り僅かになってしまったある日、寝返りを成功させた。


 首が据わってから特に動きが活発になり、もぞもぞとよく動いていたけれど、もう少し先だと思っていた。


 この日ヴィオラは目覚めてからずっと機嫌がよく、体をひねる勢いが強かったので義両親と一緒に観察していたのだ。

 ちょうど私達の目の前で初めての寝返りをして、一瞬ぽかんとしていたが、褒める声を理解したのかきゃらきゃらと笑っていた。可愛すぎる。


 すぐに城の夫に連絡し、依頼が多すぎて敷地内に住み始めた画家を呼んだ。

 因みにこの方はとある侯爵家の次男らしい。

 家督を継がないとは言え、身分のある方が我が家の古い納屋をアトリエに、使用人寮に寝泊まりしているというのはいかがなものか。



 帰宅した夫は完成したばかりの絵を鑑賞して、ヴィオラの寝顔と見比べては羨ましがっていた。

 絵はヴィオラの動きの一瞬一瞬を捉えていて、順番通りに見ることで実際の動きが伝わる。

 画家の能力もさることながら、この頃から既に新しい動きは何度も何度も繰り返し見せてくれていたヴィオラだからこそ、何枚も絵を描いてもらうことができたのだ。


 ヴィオラが起きたらまた見せてくれるわよと夫を宥めながら夕食の席に向かうと、お義父さまが悪戯っぽい表情で待ち構えていた。


「ヴィオラが寝返りをした」

「存じております」

「それはもう可愛かったのだ」

「そうでしょうね」

「褒めるほど喜んで、嬉しそうに何度も見せてくれてな」

「大人気ないぞクソ親父」

「はっはっはっはっは」


 おっと?てっきり悔しくて泣いちゃうかと思ったが。

 最後以外は冷静に流している。今日は大人だ。

 偉い偉いと内心で褒めていたのだが





「なにあれーーー。得意げにさあ!」


 お義父さま達が帰った後で泣いた。


「父上が辞めなければ私が見れたのにっっっ」


 まあ、確かにそれはそう。



 しかし、食後に皆で子供部屋に行き、起きていたヴィオラに寝返りを披露してもらった時はご機嫌だったのだ。

 さては甘えたいのかと思い至り、抱きしめて撫でてあげる。我慢してたのね、偉かったじゃない。と声をかけると泣き止みすり寄ってきた。

 ああ、夫は赤ちゃん返りの状態なのかもしれない。

 それにしても可愛すぎる。生まれたてからずっと見守っていたかった。





 同様の事件は何度か起きたが、「はじめて」を直接目にした時も泣いている。


「まぁ~、あっ!」


 ハイハイしはじめだったヴィオラが、私に笑いかけながらそう言った。

 それまで何となく「まー」と言っているように聞こえることがあったものの、夫はまだセーフだと言っていたのである。


 今回は流石に「ママ」で確定だろう。そう思って夫を盗み見ると――

 泣いていた。手で顔を覆って泣いていた。


「ヴィオラちゃんしゅごいねぇ。ママって上手に言えたねぇ。可愛すぎるねぇ」


 どうやら「ママ」に先を越された悲しさとヴィオラの可愛さとが綯い交ぜになっているようだ。

 こればかりは仕方がないのでそっとしておく。


「なんで父親はパパなのだろう。アアとかでよくない?言いやすい呼び方にしてほしかった、、」


 ダダなら呼びやすいのではないかと提案した時に、可愛くないからパパにしておくと言ったのは貴方です。




 それからしばらく経ったある日、遂にヴィオラが


「んぱっ!ぱー!!」


 「ぱ」と言えるようになったのである。それも彼の顔を見て。

 とにかく大喜びの彼は、感極まって泣いていた。

 ヴィオラは不思議そうにしていた。



 嬉しくても悲しくても悔しくても泣く。

 出会った頃には全く想像できなかった彼の泣き顔だけど、私の知る彼の表情はこれからも増えていくのだと思う。

 泣き虫で甘えん坊の彼も、完璧でスマートな彼も、時々品性がお留守になる彼も、私以外の女性にはしっかりと線引きを徹底している彼も、家族の前では子供っぽくなる彼も。


 彼の全てが愛おしい。


 そしてそんな彼と私の娘、ヴィオラも、何よりも特別で大切な存在なのだ。


連投です。前編の続きです。一気に読めば大丈夫な筈。

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