嫁ぎ先改め⋯⋯
「荷物がずいぶん少ないけれど、あれで本当に全部なの?」
「侍女がいないのは後から来るってことかな?」
「リリアか。素敵な名前だね」
先ほどから案内の最中でたくさんの質問を受け、一つ一つ答えてはいるものの返答に困るものもあり少々気疲れしてきた頃、最終目的地らしい応接室へと到着した。
ここまでの案内をしてくれたのは、辺境伯の弟だというサーシス様だ。辺境伯ご本人はお忙しい方のようで、今も視察に出ているため実際に会えるのは明日以降になるとのことだった。
促されて中に入り、勧められるままソファに腰掛ける。
馬車でそれなりにダメージを受けていたはずのお尻がそれほど痛まないのは、ソファが質の良い物だからだろうか。
よく見ると、部屋のインテリアは華美すぎず程よい上品さを思わせる物でまとめられており、かなり値の張りそうな物も置かれていた。
辺境伯は思っていたよりもかなりな資産家なのかもしれない。
メイドがお茶を運び終えて退室したタイミングでサーシス様は「さて、それじゃあ契約内容を改めて確認しておこうか」と仰った。
え? 契約⋯⋯?
「ファマシー子爵としかやり取りしていなかったからね。僕の杞憂なら良いんだけれど、先ほどの様子を鑑みるにリリア嬢へ内容が正しく伝わっているか少し不安になったんだ」
婚約ではなく『契約』という言葉に戸惑う私の表情を見たサーシス様は苦笑しながら契約内容について話し始めた。
契約内容は要約すると至ってシンプルだった。
一つ、辺境伯の病に有効な薬を作ること。
二つ、この邸から一歩も出ないこと。
三つ、雇用期間を終えた後も決してこの邸で見聞きした事を外部へ漏洩しないこと。
「これらが貴女のお父上と交わした内容なんだけれど⋯⋯、どうやらその表情を見るにきちんと伝わっていなかったようだね」
父は、思っていた以上に私が煩わしかったのだろう。これではまるで身売りと同然だ。
嫁ぐとはよく言ったもので、確かに私はこの辺境伯の邸で衣食住を保障されながら長期間過ごす事になる。雇用期間は最低一年。薬の効きや症状の緩和状態によって期間は変動するとのことだった。
嫁ぎ先と聞いていたのに実際に来てみれば、まさかの雇用先というとんでもない状況に頭が痛くなる。こんな私でもお嫁にと娶ってくださる事を有難く思いながらやって来たというのに⋯⋯。
「因みに、雇用期間一年分の給金半額を前払いで契約が成立したんだけれど、その辺りの事情も知らない⋯⋯みたいだね」
サーシス様から聞かされる発言は、取り繕えていなかった表情へ更に追い討ちをかけるようなものだった。私はもう思考を放棄してしまいたい、と衝動に駆られつつも肝心な事を確認するために口を開いた。
「⋯⋯あの、つかぬ事をお伺いするのですが、辺境伯様が近々ご結婚されるといったお話はありますでしょうか?」
「へ? 兄さんが結婚? いや、そんな話しは今のところ無いかな」
何で今そんな事聞くの? といった様子で心底不思議そうなサーシス様の返答に、私は自分の今置かれている状況が予想以上にまずい物だという事を理解した。
やはり、嫁ぐという話しは私に対する嫌がらせを含めた父の大嘘で、シュレイン様との婚約を破棄された私を体良く厄介払いしたいが為に辺境伯と契約を結んだのだろう。
しかも、実情を知った私が逃げ出せないようにちゃっかり前金を支払わせている辺り用意周到である。
「さて、リリア嬢。以上の話しを踏まえて一応の確認をするけれど、この仕事請け負ってもらえるかな」
サーシス様の問うような口調とは裏腹に、もちろん受けるよね? といった心の声が聞こえて来そうな笑顔で見つめられた私には「はい、もちろん」と答える以外選択肢は無かった。
この時点で、嫁ぎ先改め雇用先であるこの辺境の地で生きていく為にも、目下お金を貯めるという事が私の最優先事項となった。ファマシー家の縁を切られた私には行く宛も無く、令嬢でも無くなった私は無一文で平凡なただの女である。
取り敢えず、仕事が無くても困らないだけの収入を得る為に、雇用期間を短縮されないよう辺境伯の病状に効く薬作りを頑張らねばと意気込んだ。
「うんうん、なんだかよく分からないけれどやる気に満ち溢れているなら重畳。それじゃあよろしく頼むよ、」
──魔女令嬢さん。
こうして、魔女と呼ばれる私が辺境の地で奮闘する日々が始った。