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やべぇ電車

作者: けねお


 なんかあの車両すいてるな、と思った時点で私の運命は決まっていたのかもしれない。


 こんな退勤ラッシュの時間帯に、ひとつだけ車両がスッカスカなのも、電車が止まった際に中からおっさんが慌てて飛び出してきたのも、今思えば違和感の塊だった。


 だが連勤で堪えていた私の脳は、そんな違和感すら見過ごしてしまうほど疲れていた。


「早く死んでくださいヨォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 これは私の隣で立っている人の声。

 幸い私に向けて話しているわけではない。だが困ったことに彼は誰かに向けて話しているわけでもなかった。


「ねぇ死ぬしかないっしょこれェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」


 彼は唾を飛ばしながら目の前の非常ボタンへ向けて叫び続ける。もうこの電車に乗って五分以上経つが彼の咆哮は留まるところを知らない。見た目はまだ二十代前半。最初は酔っ払っているのかと思ったが、顔色も良いし呂律が回ってないわけでもない。至って素面で彼は非常ボタンにキレている。


 あぁ、春はまだ先なのにこういう人は出てきちゃうもんなんだなぁと、私は諦観しながらも次の停車駅まで我慢するつもりだった。


 だが。


「♪♬♪♪♬♪♪♬♪♪♬♪♪~♬♪♪♬♪♪♬♪~~♪♬♪~♪♬♪~~!」


 それは私の向かいに立っている人が出している音。

 車両が揺れる程ダンスをしている女性が目の前にいた。


 嘘だろ、と思わず小声を漏らす。この女性はさっきまでは向かいに座って静かに音楽を聴いていただけの普通の女性だったのだ。


 それがどういうわけか突然立ち上がり、体を大きく揺らしてキレッキレのHIP-HOPダンスを始めたのである。黒とピンクのジャージに派手なヘッドホンをしていて、動きやすそうな格好だなとは思っていたがまさか本当に踊り始めるとは思ってもみなかった。


 私は最初、彼女も変な奴がいる車両に乗り合わせて可哀想だなぁと同情していたのだが、この突然の奇行には驚いたし、勝手に裏切られた気分になっていた。


 横には非常ボタン恫喝男。

 前には急に踊ってみた女。


 それならと恫喝男と反対側に顔をそらし、少しでも奇行種たちが視界に入らないようにしようとしたのだが。


「……ンフッ……ヒヒ…………ブヒュッ……」

 シャカシャカシャカシャカパチシャカシャカシャカシャカシャカパチパチパチシャカシャカシャカシャカパチパチパチ……


 ――もう勘弁してくれ。

 反対側には一人分間隔を開けて、小太りメガネの大学生がカードゲームの束をパチパチ鳴らしながら独り言をブツブツ呟いていた。


 私も学生の頃カードゲームをしていたから分かる。あれはシャカパチといって、同じプレイヤーからえたく嫌われる行為だ。スリーブに入れているカードをぶつけ合い高速で音を鳴らす。授業中にペン回しをするのと同じ一種の癖だ。


 何がそんなに楽しいのか、大学生はもうずっとシャカパチを繰り返している。そして独り言を続けながら時折「ンヒーッ!」だの「ンファーーッ!」だの甲高い奇声を発するのだ。


 咆哮男とダンシングクソ女に比べるとまだ主張は乏しいが、シャカパチの一定のリズムとたまの奇声は私の耳にかなり残る。イライラが蓄積する。


 電車に乗っていて変な人に出会うことはたまにあるが、こんな自己主張の塊のような奴らが三人も、しかも私を囲うように存在しているのは何かのドッキリを疑いたくなる。あるいは天罰か。天罰を食らうほど日頃の私は素行が悪かっただろうか。むしろクソ上司に頭をヘコヘコ下げながら終電間近まで頑張っている方ではないのか。なぜ定時に退勤できた日に限ってこんな目に合うのか……。


 仕事疲れとはまた違う疲労感がどっと押し寄せてくる。車両を変えようにも体の倦怠感が勝って私の足は全く動こうとはしない。こんな奴らがいるのではほかの乗客もこの車両には乗らないわけだ。心なしか気分も悪くなってきた。私は短く嘆息し、少しでも気を紛らわせようと伏し目がちに車両全体を見渡し――


 ……いや、いる。他にも乗客がいた。

 私の座っている場所からだいぶ離れた斜め前。車両連結部分近くのドア側の席に女性が座っていた。


 女性はサンバの恰好をしていた。


 金色のよくわからない装飾品が女性の大事な部分のみを隠し、それ以外の肌は全部露出している。さらに頭には孔雀の羽をあしらったド派手な冠をかぶっていて、ドギツイ化粧をしているせいか目鼻がM○tt並にくっきりしすぎている。いつからここはブラジルになったんだ。


 まさかこいつも踊るのか……? と警戒したが、この女性はただ椅子に座り、ちらちらとこちらの様子を窺っているだけだった。表情も心なしか不安そうに見える。


 よかった……! 恰好はヤバイけどこの女性はまだまともな方だ……!


 変な奴らに囲まれて私もおかしくなっていたのだろう。彼女が辺り一面の砂漠にぽつんと咲く一凛の花のように思えた。この異常空間において彼女は私の心のオアシスになっていた。


 そういえば今日は十月三十一日――ハロウィンだ。渋谷のハロウィンパーティーか何かに向かう途中なのかもしれない。普段着なわけがない。


その考えが浮かんだ時、私は妙に納得した。

隣で大声で叫んでいる男も、目の前のロボットダンスを踊り始めた女も、アニメの美少女スリーブを私に見せつけるようにシャカパチする学生も、全員ハロウィンの空気にあてられたせいなのだ。


 フッ、と微笑が漏れる。なんだか肩の荷が軽くなった気がした。そんな考えに辿り着く私は間違いなく疲れていた。


「♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬♬!!」


 突然、ダンス女が強く地面を踏み鳴らした。思わず意識がそちらに向かう。女のダンスはより一層激しさを増してきた。彼女の荒々しいリズムと私の心の鼓動がシンクロする。ラストスパートに入ったのだと直感した。


「頑張れよォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!! お前ならできるってェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」


気づけば隣の男の叫びは罵倒からなぜか応援に変わっていた。それを聞いた私にもよくわからない力が湧いてきているように思うし勘違いかもしれない。とにかく私の気分も高揚し始めていた。


「ンフッヒヒンヒーッブヒュッンファーッブヒュッンフッンフッヒンヒーーッ!!」


キモオタの鼻息はより荒ぶりシャカパチ音も芸術の域に達しようとしていた。最初は耳障りだったが今ではモーツァルトも泣いて喜ぶ神の旋律と化している。そんな気がする。


 何より私自身に変化が訪れていた。彼らと謎の一体感を急に感じ初めていたのだ。気分は高揚し霞んでいた視界がクリアになった。世界は色彩を帯びて心地よい幸福感に包まれる。仕事の疲れがたちまち吹っ飛んでいく。


 この一体感に遅れてはならない!

 なぜなら今日はハロウィンだから!!


 私は心沸き立つ衝動のままに立ち上がり雄たけびを上げようとして――


 口から黒い粘液の塊をゴボッっと吐いた。


「……ぁえ?」


 自分の身に何が起こったのか、理解するより早く、私は意識を手放した。





 今日はハロウィンだったから、誰よりも目立つ格好をしてやろうと私は思っていた。


 それも始まる前から目立っちゃうぞと、家を出る前から衣装を着こみ、そのままの恰好で電車に乗った。当然周りからは不審な目で見られたが、渋谷に行く前から酒を浴びるように飲んでいた私には全く気にならなかった。私は無敵だった。


 気が付くと、私の周りには誰も乗車していなかった。最初はこの珍妙な格好を見て関わるまいと電車に乗った人が皆車両を変えたのだと思っていた。それはそれで良い気分だと酒にも自分にも酔っていた。


 だけど、それは違った。

 それを見た途端、一気に酔いが醒めた。


 私から少し離れた先に座っているサラリーマン。その人を囲んでいる叫ぶ男、ダンス女、気持ち悪い学生。


 そんなものより。


 サラリーマンの背後に憑いている、皮膚の爛れた巨大な赤ん坊の顔に、私の視線は釘付けになっていた。


 赤ん坊の顔は殆ど崩壊していて、所々血肉と骨が見え隠れし、本来右目があるはずの場所は真っ黒な孔になっている。対象的に左目はギョロギョロと忙しなく動きながら、血の涙を絶えず流していた。まだ歯が生える歳ではないはずなのに、成人男性と変わらない生々しく青白い歯がずらりと並んでいて、サラリーマンを今にも噛み砕かんとしている。


私は昔から、この世ならざる者が見える体質だった。

だから、アレがこの世のものではないことはすぐに分かった。


 憑かれている当のサラリーマンは赤ん坊に気付いていないようで、痩せこけ憔悴し切った顔をして自分を囲む人たちを不審な目付きで見ていた。

対して不審者達は、明らかにあの赤ん坊が見えている。だいぶ離れた私のところにまで強い瘴気を感じるのだから、あの赤ん坊が見えているのなら、不審者達は今、怨念の濁流の中にいると言っても過言ではない。

 だが彼らの表情にはむしろ余裕さえ感じられた。見てはいけないのに視線が吸い寄せられ、ガタガタ震えている私とは大違いだ。


 ふと、サラリーマンと視線がぶつかった。一瞬、彼の表情が驚きのそれになる。何をそんな驚いているのかと思ったがよく考えたら今の私は痴女同然の格好だった。そして同時に、背後の赤ん坊もぎょろりと私を捉えた。


「〜〜~~~~~ッ!!」


 悲鳴を押し殺すので精一杯だった。


 あまりにも……あまりにも深い闇。一瞬で意識を持っていかれそうになる瘴気。すぐに目を逸らさなければと思うのに、体は金縛りにあって全く動いてくれない。赤ん坊の左目に今にも飲み込まれる――。


 その時、ダンッ! と、ダンス女が一層強く足を踏み鳴らした。男と赤ん坊の意識が再びダンス女に向かう。私は溜め込んでいた空気を一気に吐き出した。無意識に息を止めていた。本能が、あの瘴気を吸い込んではならないと感じ取ったのかもしれない。


 その足踏みを合図に、罵倒男は急に応援を促す内容に変え、叫ぶ対象も赤ん坊に変えていた。キモオタくんもより一層手捌きが速くなりカードがぶつかる音を大きくしていく。赤ん坊は恐ろしく低い鳴き声を上げて苦しみ始めた。


 私は、ラストスパートに入ったのだと直感した。


 見れば、徐々にサラリーマンの顔に生気が戻っていく。それに比例するように、巨大な赤ん坊の顔も縮み、爛れた皮膚や失くなった右目が再生されていく。


 すっ……と、女性のダンスが急にスローダウンした。先ほどのロボットダンスとも違う。慈愛に満ちた聖母のような雰囲気を纏ったHIPHOP――思わず私も見とれていた。


 そしてゆっくりと、仕上げとばかりに、女性は告げる。


 成仏しなさいYO――。


 苦悶の表情だった赤ん坊は次第に表情に安らぎを取り戻し、鳴き声も収まり始め、そして……。


 最後にはきゃっきゃと嬉しそうに笑って、天へと昇っていった。


 瞬間、サラリーマンが立ち上がり口からドス黒い塊を吐き出して、崩れるようにまた椅子に座った。


 ……お、終わったの……?


 私の疑問に答えるように、サラリーマンを囲んでいた不審者たちはそれぞれ動きを止めた。 ダンス女がヘッドホンを外し、小さく一息つく。ヘッドホンに流れていた音楽が、離れた場所にいる私にも聞こえた。


『摩訶般若波羅蜜多心経観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是……』


「……思ったよりも強かったわね」


 よく通る綺麗な声だった。赤ん坊の怨霊に気を取られていて気づかなかったが、ダンス女はモデルの如くスタイルの良い綺麗な女の人だった。


「俺の言霊はあんま効いてなかったみたいだな。途中から認識されていなかった感じするぞ」

「でも全くの無意味じゃ無かったわ。次郎が途中で謳縁オウ・エンに切り替えてからは劇的だった。ただ、赤ん坊の霊だったし、まだ言葉が理解出来ないから全体的には効能が薄かったんでしょう。これは今後の課題になりそうね」


 私は驚いた。叫んでいた時の男の声と、普通に会話している時の男の声があまりにも違うからだ。まるで映画の吹き替えを見ているようなちぐはぐ感がある。


「逆に三郎の釈迦破智(シャカパチ)は効果的だったみたいね」

「フヒッ……ぼくの釈迦破智は単純な音の繰り返しだからね……今日はお札の鳴りも良かったし……ヒュッポゥ……」


 そのまま三人は反省会をし始めた。面食らっている私のことなどまるで気にも留めてない。

……もしかして私の存在に気付いてない? そんなことある?


「あ、忘れてたわ」


 暫くして、ダンスを踊っていた綺麗な女性が私の方を振り返り、こちらに向かってきた。否が応でも緊張する。

「突然ごめんなさいね。私達こういうものです」


 そういうと、美人が慣れた手つきで懐から名刺を取り出し、私に渡してきた。


(株)令和ダンシングシャーマンズ 代表取締役 土御門一美


 彼女なりのギャグなのかな、と思ってしまった。


「さっきの赤ん坊は私の舞で完全に祓いました。あのサラリーマンにもこの電車にも、もう悪影響が出ることはありません」


 あれ舞だったんだ。と心では突っ込んでいても実際の私は彼女の存在感にただ圧倒されるばかりで、何も言えない。


「貴女も見える人ですよね? その体質のせいでお困りになったこともあるでしょう。こちらの電話番号にご依頼いただければ、どんな悪霊でも絶対に祓います。絶対です。我々に間違いはありません。料金は霊の規模によりますが、初回三十分は無料でご相談を承りますので、お気軽にご連絡ください」


 すごくしっかりした営業をされてしまった。私はただただ圧倒されて「は、はい」と一言返すのが精一杯だった。


「姉貴! そろそろ次の駅に着くぞ」

「三郎。人払いを解いて」

「フヒッ」


 メガネのオタク君が右手をかざす。するとたちまち、車両内のあらゆるところから美少女スリーブに入ったカードのようなお札が集まってきた。すべてのお札が右手に集結したのを確認して、オタク君はお札の束をカードケースにしまった。


「コイツ、もう食っとくぞ」

「えっ」


 その声に思わず反応し、叫んでいた男の人の方を見る。

 彼はサラリーマンの口から出てきた粘着質の黒い塊をつまみ上げ、一口に丸呑みしてしまった。ゴグリ、と異物が喉を通る音が聞こえる。その黒い塊からはまだ怨念が感じられただけに、彼の行動には驚かされた。

 しかし、呑み込んだ本人には特に異常はないみたいで、何事もなかったようにスマホを弄り始めていた。


「じゃあ、私たちはこれで失礼しますね」


 気が付けば、電車は駅に到着したところだった。ドアの向こうに帰宅を急ぐサラリーマンやOLの姿がずらりと並んでいる。


「ハロウィン、楽しんでくださいね」


 美人霊媒師ダンサーは私にそう告げて、声量の大きい男性とオタク君を連れて電車を降りて行った。


 私はしばらく呆けていたが、はっと気を取り戻し、慌てて電車を降りた。降りる際ドアに孔雀の羽が引っ掛かったので車内に置いていった。

 周りからの痴女じゃんうわ痴女だやばこいつ、という声を気にも留めず、私は駅のホームを見渡す。既にあの不審者だった三人の姿は見えなくなっていた。


 渡された名刺を改めてみる。

 令和ダンシングシャーマンズ……本社の所在地は銀座……。


「また、会えるよね……令和ダンシングシャーマンズ……」


 私は、彼女たちとの不思議な邂逅にちょっぴり心をときめかせて、ハロウィンパーティーへ向かった。


※実在する団体名、人物名とは全く関係ありません。

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