好ましい埃の匂い
純粋な凛とした佇まいとは違う、人を寄せ付けないような雰囲気がある。
俺の知っている同年代の人柄には当てはまらなくて、珍しいと思った。
とは思っても、ただの転校生だ。
俺には関係ない。
興味が切れて、それから俺は窓の外を眺めた。
始業式のために体育館に移動した。
俺には縁のない部活動の受賞報告、何の意味もなさない校長の長い話、照り付ける太陽、ようやくその苦しい時間も終わった。
俺は座ったまま何もしなかった。実に無駄な時間である。
後は帰るだけだ。
「さっきも言ったが、明日はクラス委員を決めるテストだからな。授業はないから弁当いらないし学食も開いていないからな。あと、遅刻するなよ。」
二葉高校にはこれでも進学校だ。
近いからというだけで受験した俺はそれを知らなかった。
もしかすると中学の担任が言っていたのかもしれないが、覚えていないということはそれほど気にならなかった、ということだ。
進学校だからと言って特に不便はない。
やたらと難しすぎる授業もなく、成績に特別厳しいわけでもない。
明日のテストでさえ、午前中に終われてとても嬉しいだけだ。
テストをしてまでクラス委員をしたいとは思わないかもしれないが、クラス委員になると学費が免除されたり、定期代が支給されたりする。
いわば特待生と同じだ。
しかし、元よりクラス委員を目指せるほどの学力もなく、ましてや目指そうという挑戦心もないので、いつも無難にテストを受けて終わる。
ホームルームが終わり帰るために昇降口へ向かって間もなく、藤崎先生に呼び止められた。
図書委員の話だった。
新刊が入ったのでその作業をしてほしいということだった。
新刊と言っても、有名な賞の受賞作や寄贈されたものだから、この学校の図書室にとって新刊という意味だ。
帰ろうとしていたのは確かだけど、想像できる外の蒸し暑さと図書室の冷房、冷えた埃の匂いを思えば返事は一つしかなかった。
特に用事がなかったとも言える。
藤崎先生から直接鍵を受け取り、図書室へ向かった。
小窓のガタガタと揺れる音と軽いカラカラした音をたてながらスライドドアを開けると、既に冷房がついていた。
まだそれほど涼しくはなけれど、先に藤崎先生がつけておいてくれたのだろう。できる先生だ。
図書当番を決めるのは学期初めの委員会だから今日の当番がいないのは理解できるけれど、なぜ自分がすると分かっていたのだろう。
不思議である。
カウンターの上にはハードカバーの本が十冊程度と、その半分くらいの文庫本が積まれてある。
カウンターの中に入りパソコンの電源を入れた。
ジリジリと聞こえるあたりだいぶ古い。
生徒の貸し借りを管理するだけだ。困ることはないだろう。
立ち上がるのを待つ間、一番上の文庫本を手に取って終盤あたりを開いた。
数行読んで純文学らしい印象をもった。
”呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。”
作者の考える人間像らしき事が書いてある。
視界の隅でパソコンの画面が切り替わったのが見えて、本を閉じた。
引用
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”呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。”
夏目漱石(2003/06)『吾輩は猫である』新潮文庫