007:ミツバチを保護する
真人は「懐かしい思い出話は後にして、先にミツバチを保護してしまいましょう」と言った後、未だにざわざわしているスタッフに「演説会は中止にするそうです」と伝えた。
東に向かって石が投げられたという“事件”と、ミツバチの保護作業という二つの理由があっては、そうするのが妥当な判断だろう。
聴衆の誘導するようにと、一部のスタッフを残して、招集がかかる。
すでに北上東は蜂球からもっとも離れた北側の出入り口に立ち、来てくれた一人一人に、お詫びの言葉と握手でもって対応しはじめていた。襲われたばかりだったので、関係者は気が気ではなかったが、東は警戒心を見せることなく、請われれば写真撮影にも応じたので、彼目当てで来た人は、十分満足出来たし、純然たる支持者にとっては、非常の事態として理解した。逆に彼に対し、謝罪する人々も多く出るほどだった。
報道関係もその様子を“美談”として仕上げようと取材しはじめた。
おかげで、要らぬ関心と喧騒から離れ、広瀬太郎は落ち着いて作業に取り掛かることができた。
白い防護服と網付の帽子をかぶった太郎は素手で、脅かさないように怖がらせないように、ゆっくりと丁寧にミツバチを袋に落とす。
「ひぃ!」
我妻町子が小さく悲鳴をあげた。
“白薔薇会”の会員なのに、東の握手会よりも、ミツバチの保護作業を見守る方を選んだようだ。
意外に思いながらも、先程のこともあって、野乃花は出来るだけ穏やかな言い回しを選ぶ。「心配はいりません。太郎はミツバチの扱いに慣れていますから」
気を付けなくても野乃花の言葉遣いは、元から丁寧なのだ。問題なのは、その口調だ。今回もどこか高慢な響きが拭えない。しかし、町子はミツバチの針にはまだ怯えを残しても、野乃花の棘は気にしなくなった。
「そうね。そうみたいね。
お友達が来てくれて、良かったわね」
そうだ、良かったのだ。これでミツバチも助かる。
野乃花は町子の言葉に微笑んだ。すると、町子がぎょっとしたように立ちすくんだので、また口角が下がる。
保護作業も佳境に入り、太郎は肝心の女王バチが袋にちゃんと入っているか、しっかりと確認した。女王バチがいなければ、群れを維持するのは難しくなる。逆に女王バチさえいれば、働きバチは自ら袋の中に入ってきてくれる。出来れば、新居を探しに行っているミツバチも一緒にするために、女王バチを入れた巣箱を元の場所近くに置いておき、夜になってから回収したいが、この状況下では、それは許されないようだ。よって、袋の口を縛って、ミツバチの保護作戦を手際良く完了させた。
ブンブンと唸る袋を持ち、脚立から降りた太郎の近くで、真人が深く息を吐いた。
「小野寺課長? 大丈夫ですか?」
心配した太郎が声を掛ける。
「はい。分蜂中のミツバチを保護するのははじめての経験でしたが、お役に立ちましたか?」
「大変、助かりました」
「それは良かった」
真人はミツバチの袋を受け取ると、急いでどこかに行ってしまった。
網付の帽子を取った太郎は、野乃花に向かって「もう大丈夫」という風に笑いかけようとしたが、突然、町子と同じように、ぎょっとしたように固まる。
「――?」
困惑した野乃花の顔を、太郎は脱いだばかりの網付の帽子を被せて隠した。