006:県庁の課長さん
脚立を肩に掛けたまま、彼は少し照れくさそうな顔をして、野乃花の前に立った。
「こんにちは」
その声に野乃花は聞き覚えがなかった。だが、相手は彼女のことをよく知っているようだ。野乃花の身がまた強ばる。
「小野寺課長、すみませんが、早速、お手伝い願いますか?」
「分かりました」
急ぎ気味の太郎の要請に、彼は自分の役割を思い出す。
「……おのでら?」
規制線のすぐ側で、演台から降りた東が報道陣を相手に何か話をしている。
北上東と旧知の小野寺真人。それが彼の素性――。
「……あっ! 真人さん! 真人さんだわ!」
野乃花から、彼女らしくない、弾んだ声が上がったので、太郎は驚いて二人を交互に見た。
野乃花に認識された真人は、はっきりと嬉しそうになった。
「そうです。真人です。お久しぶりですね」
「……お久しぶりです。なぜここに? ご旅行ですか?」
「いいえ。四月からこちらに住んでいます。
県の環境観光課に勤務することになりまして」
真人が丁寧な物腰で渡した名刺には、県のマスコットキャラクター、いわゆるご当地キャラクターが印刷されていた。野乃花はそれに少し微笑み、それから驚いた声を上げる。
「県庁の課長さんになられたの?」
野乃花の声に、運営スタッフたちもざわつく。政令指定都市の県庁に勤める課長にしてはかなり若く見える。
「小野寺課長は今年度、総務省から新しく創設された県の環境観光課にやって来たんだよ。
野乃花の知り合いとは知らなかった」
太郎の説明を聞いた周囲が、さらにブンブンと音をたてはじめる。
どうやら小野寺真人は国家公務員のキャリア組らしい。若くして地方自治体に出向して二、三年ほど研鑽を積み、人脈を築いた後、本省に戻って順調に出世街道を進むのだろう。
噂と注目の的のキャリア官僚は、周囲を完全に無視して、野乃花に弁解をはじめた。
「野乃花さんに挨拶に行こうと思っていたんだけど……」
そこで一旦、真人は言葉を切った。
「……ちょっと忙しくて。申し訳ないことをしました」
赴任してすぐは仕事や環境に慣れるのに忙しいのは確かだろうが、それは本当の理由ではなかった。野乃花もそれは分かっていた。もし来られても、歓迎するのは難しかった。
それでも、こうして直に会ってしまえば、打ち解けてしまう雰囲気と過去が、真人には備わっていた。
「気にしないで下さい。
私こそ、すっかりご無沙汰していました。とてもお世話になったのに。
……小野寺の皆さまはご息災で?」
野乃花の刺々しい態度も和らぎをみせた。すると、自然と微笑みも浮かんでくる。
「はい。みんな元気でやっています。
野乃花さんはお元気でしたか?」
「え……ええ」
折角の野乃花の笑みが曇ったので、「これは何かあったな」と真人は心配になった。太郎も察した。
けれども、この好奇に満ちた視線のある場所が、その件を追及するのに相応しいとも、その時間があるとも思えなかった。
まずはミツバチを助けることが優先だ。