042:二階『ビー・ガーデン』
中鉢野乃花は小さい頃から、傷ついた姿を人に見られるのが嫌いだった。
もう一つ、中鉢野乃花は責任感の強い人間だった。落ち込んでいるからといって、”仕事”をおろそかにして、部屋に閉じこもるような真似は出来ない。たとえそれが思い違いで、自己満足の余計な事であろうとも。
『ティースプーン』を出た野乃花は、二階の『ビー・ガーデン』を覗く。
ハーブとアロマのお店、と聞いていたが、そこはまるで昔の薬種問屋のようで、小さな引出がついた箪笥に、大きな真鍮の秤、梁からは乾燥した草花が垂れ下がっていた。
壁際の大きな作業台で黒い服を着た星陵子が”魔女らしく”、乳鉢で何かを細かくすりつぶしていた。
雰囲気的には、西洋風の森をイメージしながらも和装の『はちみつmoon』と、魔女めいた格好でありながら薬種問屋のような『ビー・ガーデン』は、内装か店員の恰好のどちらかを交換した方がしっくりする気がしないでもないが、店主の趣味に口を出すべきことではない。
野乃花が「何かお手伝いすること……ありますか?」と聞けば、「今の所ないわ」と返って来た。慣れた飲食業とは勝手が違う業種であること、『ティースプーン』での出来事もあって、それ以上、野乃花は立ち入れなかった。
断られたことに、安堵すらしていた。
朝は軽やかに下った階段も、今は登る一歩が重かった。俯くと、涙が出そうだ。
三階の蜂蜜の店『はちみつmoon』には、青葉理子ではなく、若い男が棚に並んだ瓶の埃を払っていた。彼が理子の弟の工だろう。ならば力仕事の手は足りている。
「おはようございます。申し訳ないのですが、まだ開店前なんです」と挨拶された野乃花は慌てて頭を下げると、その場を離れた。
四階の琥珀の店『琥珀海岸』に至っては、扉を開けることも叶わなかった。
五階の『おひるごはん』で野乃花はわずかに光明を見た。美波は野乃花を歓迎してくれたのだ。早速、仕事も与えてくれる。
「今日はロールキャベツにしようと思うの。それから人参サラダでしょう~。うんと細い千切りにして、蜂蜜を使ったドレッシングと合わせると、とっても美味しいのよ。
野乃花さん、千切り、上手だから」
待っていましたとばかりに人参を手渡された。自分を頼りにして、待っていてくれたのかと思うと嬉しい。嬉しいはずなのだが、心に引っかかった。
美波は野乃花が黙って人参を千切りし始めたのを見て、さらに言った。
「あと、ロールキャベツを巻くのも手伝ってね。
野乃花さんがいるから、ちょっと手がかかるものも作れるの。嬉しいわ」
『中鉢』の大女将にどれだけ嫌味を言われても手元が狂わない野乃花は、美波の言葉にも動じずに千切りを続けた。
「もし、私がこなかったらどうしたんですか?」
「え?」
「その時は……その時よ……」
ロールキャベツは巻かずに、重ね蒸しにしてから切り分けてもいい。人参は薄く表面が波型に切れるピーラーを使えば、千切りに代わってドレッシングによく絡むものが出来る。
思った通り、美波は野乃花の為に、わざと仕事を作ってくれたのだ。いつもは一人でこなせるようなメニューを考えて、一人で調理し、一人で配膳している。大変だろうが、それが美波の仕事だからだ。




