004:彼の弱点
東の付き添いに任じられた若手地方議員が、自らの責務を果たそうと駆け寄った。
「ニホンミツバチがなんですって?」
「日本の在来種でセイヨウミツバチよりも体が小さく、色も黒っぽい個体です。他にもいろいろ違いがあって……」
「そうではなくって!
……危険ですから、今はここから離れましょう。東先生には、蜂毒アレルギーがあるとお聞きしていますが――!」
「ええ、三ツ橋の“祖父”が飼っていたミツバチの群に刺されたことがあるので」
その説明に、地方議員の方が焦る。
「そんな目に合ったのに、なぜ近付くのですか? 怖くはないのですか!?」
北上東はアナフィラキシーショックが起きた場合に備えて、”アドレナリン自己注射薬”を常に持ち歩いているのは有名な話だった。政治家はいろいろな場所に行くし、様々な人間に会う。命にかかわる弱点を知られていることは、彼の安全を脅かす。
おまけに彼が“ミツバチ”によって得た不利益は、それだけではなかった――にもかかわらず、東はミツバチを愛おしそうに見る。
「困ったことに、ミツバチは私にとって、大変、魅力的な存在なのです。
刺されるのは危険だと分かっているのに、どうしても惹きつけられてしまう」
――なぜでしょうね。
東は野乃花に背を見せていた。それなのに、野乃花は東が自分の方を向いている気がした。
木の上の蜂球の表面が、ぞわりと波立ち、野乃花の心も同調するようにざわめく。
しかし、東は「さて」と、呟くと、野乃花を一瞥することなく、人々の集まる広場に歩いて行き、困惑するスタッフや付き添いの若手地方議員を余所に選挙カーの上に登り、マイクはまだ準備されてなかったので、拡声器を手にした。
群衆は歓声を上げ、一斉にカメラやカメラ付通信端末を掲げたものの、その神妙な表情に、少しずつ鎮まっていく。
「本来ならば、私の出番はもう少し先だと言われていたのですが……どうしても話したいことがあって、我慢出来ずにフライングしてしまいました。あとで叱られるかも」
一転、彼は観衆に対しては軽妙な口調でありつつ、関係者たちに対しては非常に申し訳ないという気持ちが籠った会釈をした。東を応援に呼びたいという声は多かったが、いざ来るともなれば、肝心の立候補者や演説よりも注目を集めてしまうので、出番までは人目を避けた別の場所で待機しているのだ。
それを知っている観衆は笑い出し、立補者側は仕方が無いとばかりに苦笑した。
それで一気に、場がほぐれる。
「実は皆さまもお気づきのように、あちらで楽しいハプニングが起きまして――」
東は簡単にミツバチが分蜂していることを説明した。ミツバチの大群がいると聞いて動揺が走るが、それを抑えるべく、静かに、落ち着いた調子で語り続けた。
「私は皆さんにご理解して頂きたいのです。
ミツバチは針があるから、それで人を刺すからと、とかく恐れられていますが、全体的に見れば有益な昆虫なのです。
勿論、気を付けることは大事です。ですが、危険だからと言って、駆除すべきものと判断すべきものではありません。
ミツバチによって花々は受粉し、実を成すことが出来ます。これは植物だけでなく、それを利用する人間にも大事な働きでしょう?
また、”彼女たち”は農薬や環境にも敏感で、近年では大量死や失踪なども問題とされています。
あのような立派なミツバチの一群が生息し、共存している街は、素晴らしいと思います」
先ほどの野乃花と同じような台詞であったが、説得力と訴求力は段違いで、多くの人間を惹きつけた。