034:恋と友情
あの由利が、慕っていた野乃花に向かって、そこまできつく物を言うものか。
美波は驚き訝しんだが、野乃花は自分の甘えを指摘されたことに衝撃を受けた。
確かに彼女は外の世界を恐れていた。『中鉢』という名の巣は、居心地は悪かったが、ある意味、彼女を守ってくれていた。
常連客達は彼女の素性や性格を飲みこんでくれていたのだ。対して新しい客はそうではなかった。また、由布子が由香子や由利の為に敢えて避けていた、中鉢家の事情を知る者達も入り込み、野乃花を侮辱するような振る舞いをしたり、値踏みするような視線を向けられるようになった。
どちらにしても、『中鉢』にはいられなくなったのだ。
「由利さんは『中鉢』の後継ぎとして、覚悟が出来たのですよ」
美波はそう慰めた。
「だからいつまでも野乃花さんを『中鉢』に引きとめたら悪いと思ったのでしょう。
誤解はいつか解けますよ。由利さんだって本気で言った訳じゃありません。落ち着けば、また仲の良い姉妹に戻れますよ」
大杉と言う恋人に感化されている節もある。恋は人を変えるものだ。
「野乃花さんは好きな人はいないの?」
唐突な質問に野乃花の体温が上がる。
生姜たっぷりの”ポークジンジャー定食”を食べているからだ。野乃花はそう思った。
生姜と玉ねぎの辛みに、リンゴと蜂蜜の甘味が絶妙だ。厚切りでありながら柔らかい豚肉にそのソースがよく合い、ご飯が進んだ。身体が熱を作る。
「……いないわ」
「そう? 太郎さんとか」
「太郎は由利が好きなの」
「あら……」
就職してから利用するようになった『中鉢』で由利に再会して以来、広瀬太郎はすっかり首ったけなのだ。
一方で、小学生の頃から、親切にしてきた野乃花とはその気配はなかった。二人とも、異性としては全く興味がないのだ。
だからこそ友情が続いてきたのだろうと、美波は納得する。
「じゃあ、あの県庁の課長さんは?」
「真人さん?」
太郎の時とは少し、反応が違った。
「そうそう。今日のお昼もここに見えたのよ。
とってもいい人だと思うわ。礼儀正しいし、『野乃花さんのことをよろしく』って――あ、お茶出しますね」
手応えはあったが、あまり押しすぎると引いてしまいそうだ。美波は途中で打ち切り、お茶を淹れながら話題を変える。
「午前中は何をしていたんですか?」という質問に、野乃花の顔が明るくなった。
イチゴの下拵えをしたこと。荷物を運んだこと。美波は娘の話を聞くような気持で耳を傾けた。
その片平喜多は学区を越え、国立大学の付属小学校に通っていた。学校は県庁に近い場所にあった為、放課後は母親が営む店『おひるごはん』に帰るのが日課であった。
一階の『ティースプーン』の光と名取に元気よく挨拶をすると階段を駆け上がった。ランドセルに付けた防犯ベルが左右に揺れる。
「ただいま~! あ、野乃花姉様! 遊びに来てくれたのね!」
野乃花が店内で掃除をしているのを見て、抱きつく。小学四年生の喜多は、野乃花が『中鉢』に来た頃の由利を思い起こさせた。
「おかえりなさい」
そうして、おやつを一緒に食べたり、宿題を手伝ったり、おしゃべりをしているうちに、夕方となった。
野乃花はまだ働き足りないと思ったが、美波は「今日はもう仕舞です。喜多の相手をして下さってありがとうございます。おかげで明日の準備がゆっくりと出来ました。私達も帰りますので……また明日」と説得した。




