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003:三ツ橋の子

 野乃花は身に力を込め、一歩、踏み出した。


「私がミツバチを連れて帰ります」


 誰ともなく、「その格好で?」という声があがる。

 白いジャケットにひざ丈のワンピース。足元はストッキングにパンプスだ。

 とてもミツバチに対する装備ではない。


「平気です。優しく扱えば、刺されたりはしません」


 自分でも乱暴な話だとは分かっていた。

 手慣れた養蜂家と大人しいミツバチ群の組み合わせでさえ、刺される時は刺されるというのに。野乃花に知識はあっても、経験は皆無に等しかった。

 それでも野乃花はバッグから小さく畳んだエコバッグを取り出した。これにミツバチの大群を入れようと言うのだから、無謀だ。さらに野乃花が「選挙カーをこの木の下に停めて、上に登らせて下さい」と頼むにいたっては、失笑が漏れても仕方がない。


「あなた、ミツバチには詳しいようだけど、頼りになるお知り合いはいないの?」


 身体だけでなく、心まで固くした野乃花をほぐすように、エコバックを握りしめた手の上に、ふっくらとした温かい手が重ねられた。驚いたことに、野乃花に“刺された”我妻町子のものだった。


「そんな人……」


 「いないわ」という言葉を、野乃花は飲み込んだ。もしかしたらいるかもしれない。


「いるのね?」

「ええ……でも……」


 迷う野乃花に対し、運営スタッフの一人が、苛立ちと疑惑の目を向ける。


「そこの交番に通報しました。

口だけで何も出来ないも同然ならば、余計なことをせずに離れて下さい。三ツ橋のお嬢さんでも、刺されたら問題になるんですよ。

今日は東先生がいらっしゃる大事な日だというのに……それともそれが狙いですか?

まさかあなたがミツバチを呼んだ訳ではないでしょうね」


 すでに木の方向に人が来ないように、三角コーンとバーで規制線が作られていた。ご丁寧に三角コーンまでオレンジ色だった。

 その向こうで、集まった人々と報道陣が何事かと首を伸ばしている。

 膨れ上がった人の群れは、つついたら暴発しそうな危うさをはらみはじめた。


「どうしたんだろう?」「危険物とか!?」


 ざわめきが、突如、わっと沸くに至って、スタッフたちは、パニックが起きてしまったと青ざめた。だが、その興奮は、あの野乃花を足止めにした車から姿を現した男が起こしたものだった。

 「まぁ」と町子が声を上げて、両手を口元に持って行ったので、彼女はそれまで触れていた野乃花の身が、これまでになく強ばったのに気付かなかった。

 男は野乃花の姿を認め、笑ったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。

 表情の変化を周囲に認識させる間を与えず、彼は蜂球のある木の方に向き直った。


「何かあったのかと思ったら、ミツバチが分蜂しているのですね。

あれはニホンミツバチかな?」


 野乃花は久しぶりにその声を生で聞いた。

 『一声で百万票を集める』と皮肉混じりの賞賛を受ける声でもあった。

 いかにも誠実そうで、よく通る声の主の持ち主、北上きたかみあずまは、父親から地盤・鞄・看板を引き継いで二期目の若き二世議員として、大変な人気があり、選挙区問わず私設応援団体ファンクラブが結成されるほどだった。それが町子の言った”白薔薇会”であり、会員は白いバラの造花で身を飾るのである。

 その彼が、今日はこの地に応援演説に来ると言うので、選挙対策本部は盛んに宣伝し、人もいつも以上に集まっていたのだ。

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