023:蜂蜜パントリー
パントリーと言っても、そこに置いてあるのは全て蜂蜜だ。耕之進が世界中から集めた蜂蜜コレクションがそこに納められているのだ。見ているだけで野乃花は気分が上がっていくのが分かった。
様々な形の容器に入れられた蜂蜜が眼前に広がっている。
シンプルなガラス瓶に。六角柱の形の瓶に。
あるものは上部にミツバチの巣のハニカム構造が施された瓶に。またあるものはクマの形の入れ物に。さらには陶器製のものも。
草花の蜜。木の花の蜜。甘露蜜。
単花に百花。
並んだ蜂蜜を目で追っていく。
ソバの黒色の蜜。コーヒーや栗、ゴマの濃い茶色の蜜。ラベンダー、ローズマリー、タイム、ゴムの木、ユーカリ、野バラ、かぼちゃ、マカダミア、ブルーベリー、ラズベリー、オレンジ、ライム、レモン、リンゴ、ライチ、みかん、ひまわり、さくらんぼ、山桜、藤、菩提樹、栃の木、菜の花、漆、ホップ、キハダ、アカシア、レンゲ……、合間に百花蜜が挟まり――「シャンパンハニーだわ!」
野乃花は一人、声を上げた。
それはほとんど透明と表現出来る色合いで、故にシャンパンに例えられる珍しい蜂蜜だった。採れる植物はヤナギラン。山火事が起きた後に真っ先に咲き誇る花であることからファイヤーウィードとも称される。山の植生が回復してくると、群生地も縮小されることから、採れる場所や時間が限られてくるものだ。
「初めて見た。どんな味なのかしら?」
耕之進は「ここにある蜂蜜は自由に使って構わない」と言ってくれたが、早々にシャンパンハニーに手を出すのには戸惑われる。
代わりに野乃花は昨日、小野寺真人に食べさせてもらった二×四ビルのニホンミツバチの蜂蜜の小瓶を選び取る。
キッチンに行き、清潔な木のスプーンで掬い、一口舐める。
独特の風味が、口の中を甘さで満たす。
「美味しい……」
思わず野乃花の頬も緩んだ。強い甘さを感じるが、いつまでも残ったりはせずに、口内はさっぱりとした。同時に、目が覚める思いがする。
スプーンを洗おうとして、昨晩、洗っておいた食器が置かれているのが目に入った。
美波が「引っ越したばかりで、料理するのも外に食べに行くのも億劫でしょう」と、家に帰った後、わざわざ夕食を持って戻ってきてくれたのだ。
『簡単なもので、申し訳ないですけど』
そう美波が評した野乃花の夕食は、"くずかけ"に古代米のおむすび、そして"しそ巻き"だった。
"くずかけ"は豆麩と呼ばれる丸くて小さな麩を筆頭に、里芋や筍、椎茸、つきこんにゃくなどの具材にとろみをつけた出汁の効いた醤油味の汁物で、上には三つ葉が散らされる、冠婚葬祭に供される郷土料理だ。春には白魚、秋には近くで採れる芹がたっぷり。県南の方では温麺が入るなど、季節や場所によって、多少のアレンジが加わる。
「娘の喜多が人参を花の形に抜いたものも入れましたよ。
野乃花さんの引っ越し祝いだからって」
野乃花には不思議だったが、今度の家出は皆に"お祝い"されているようだった。
赤い古代米も赤飯の源流と言われており、これまたお祝いを意識した食べ物だ。米・三合に大さじ一杯の赤米を加え、さらに蜂蜜大さじ一杯を入れて炊き上げたご飯で握ったおむすびは、蜂蜜の酵素のおかげで冷めてもふっくらとして美味しい。
その心尽くしの手料理を野乃花は一人で食べたのだった。
さて朝食はどうしようか。皿とスプーンを拭きながら考えているとチャイムが鳴った。




