020:黒と白
その事件が起きたのは、三ツ橋宗輔の初七日だった。
野乃花は喪服を着て、三ツ橋の家の庭に佇み、祖父が愛でたミツバチを眺めていた。
そこに北上東がやって来た。彼はその春、入学したての高校の白い詰襟の制服を着ていた。眩しいまでの白い制服は、野乃花の黒い喪服とは正反対だった。野乃花も同じ学園の小学校に通っていたので、同じく白い、女子のセーラー服を持っていた。制服は冠婚葬祭に着用できる正装だったが、政財界の子弟たちが多く通う名門の学園のそれを着た野乃花が、三ツ橋宗輔の一連の葬儀関係に出ることに周囲の人間は憚った。
野乃花は用意された黒い喪服を黙って着た。起きていることが信じられないし、信じたくなかった。彼女の周りはせわしなく動き、多くの人間は沈没する船から先を競って逃げていた。
そんな船に”北上”は敢えて乗り込んできた。
元々、北上は三ツ橋宗輔の妻の実家だ。宗輔の妻の弟、東の祖父が宗輔の後援会の会長となり、その息子、東の父親の北上大輔が事務所の経理を管理していた。野乃花は北上こそが、祖父を陥れた犯人だと疑っていた。しかし、その声は届かず、宗輔の妹の息子であり、養子となっていた野乃花の父・亮の方が勾留されることになったのだ。そうして、三ツ橋宗輔の弔い選挙に北上大輔が立候補することになる。なぜか北上大輔は三ツ橋"親子"の不正を暴いた側に立っていた。
政略結婚で、亮とはすでに冷めきっていた夫婦仲だった野乃花の産みの母親は、夫ばかりか娘まで捨てて実家に逃げ篭っていた。野乃花は一人ぼっちで北上が三ツ橋の家の財産や権利を貪り食べるのを、成す術なく見ることしか出来なかった。
まるでスズメバチに襲われたミツバチの巣のようだ。スズメバチに占拠された巣の中で、野乃花は座して死を待つしかないミツバチの幼虫のように無力だった。
そのスズメバチの息子が、彼女の前に歩いてきて、何か言った。おそらく「中に入ろう」とか、そんなことを言ったのかもしれない。野乃花は反応する気はなかった。東は困ったように彼女の前に立つ。それから――。
怒号が響き、大きな音がした。突如、一人の男を追って、数人の男がなだれ込んでくる。三ツ橋の屋敷に抗議の為に侵入した男と、警備の男たちであった。
暴漢は警備の人間と揉み合い、ミツバチの巣箱の周りを激しく動き回った。乱れあう足に、巣箱が蹴られる。
中のミツバチたちは何事かと警戒し始めた。
巣箱の上に“おもし”として乗せられていた石が、暴漢によって持ち上げられる。しかし、警備の人間はひるまず押さえに掛かったので、男はバランスを崩し巣箱の上に倒れ込んでしまった。
転がった巣箱の中から、怒ったミツバチが一斉に噴き出してくるのを野乃花は見た。それから石を持ったまま、こちらに向かってくる男――。
「危ない!」という声がして、野乃花は強引に引き寄せられた。
ガツン! と鈍い音がした。石が何か固いものに打ち付けられるような音が何度かして、野乃花の顔に生あたたく鉄の匂いがする液体が流れ落ち、東の体重がかかってきた。暗く、重く、息苦しかった。
ブンブンという羽音に、大人たちの大声と悲鳴が錯綜する。
どのくらいの時間がしたのか分からない。長いようで、短い時間だった。
ようやく明るくなった野乃花の目に入ったのは、顔の右側が血で真っ赤に染まり、全身をミツバチに刺された北上東だった。
運ばれていく東を追った野乃花に、彼は何か言った。その声が届く前に、左頬に激しい衝撃を受け、彼女は地面に打ち据えられた。




