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016:琥珀色の小瓶

 琥珀はギリシア語でエーレクトロンといった。擦ると静電気を発する性質があり、そこから電気を意味する単語へと派生していった由来を持つ。

 野乃花も随分と静電気を起こしたのだろう。

 やはりここにはいられないと、銀と琥珀のブローチを元の位置に戻し、立ち上がろうとした。そこに大きな影が落ちる。

 小野寺真人のものだった。手にはなぜか、蜂蜜の入った小瓶を持っている。


「課長さん」


 美波に倣ってか、距離を置くためか、野乃花は真人を他人行儀に呼んだ。少しの間で、野乃花は真人との壁を高く、溝を深く作りなおしていた。

 真人は、野乃花の肩越しに山を見た。上空には細い三日月が残り、青葉茂る中に、石垣と藩祖公の騎馬像があるのが分かる。

 かつて難攻不落と謳われた美しくも堅固な城の跡だ。


「これからどうするつもり?」

「東京に帰って仕事を探します」


 すぐに答えが返ってきた。ずっと考えてきたことなのだろう。

 『中鉢』の家を出ることに、太郎も真人も異論はなかった。だが――「それは良い考えとは思えない」

 穏やかだがきっぱりとした真人の態度に、野乃花が口を噤む。真一文字に引き締められそれは、不満そうにも、泣くのを我慢しているようにも、どちらにもとれるものだったが、真人は迷わず後者を選んだ。


「……野乃花さん、ここは嫌いだった? 中鉢の家じゃなく、この土地のことだよ」

「え?」


 突然の質問に虚をつかれ、野乃花の形の良い薄紅色の唇が開き、小さな白い歯がのぞく。


「ここは嫌いだった?」

「……さぁ、よく分からないわ。

好きでも嫌いでもない」

「そう? 自分は好きだな」

「課長さん、ここに来てまだ二か月も経っていないのではなくて?」


 その質問こそ、真人は待っていた。


「そうだよ。でも気に入った。ここはいい場所だね。

都会なのに緑豊かで食べ物は美味しい、伝統的なものを残しながらも新しく、そして人々は強くて優しい」

「……そうなの。良かったわね」


 気の無い返事だ。


「これからもっと良い面を知って好きになれると思う。

野乃花さんはここに来て十五年にもなるのに、”分からない”のだね」

「いけない? それの何がいけないの? こんな所、別に来たくもなかったわ」


 人も刺すが、自らも無事ではいられないミツバチの針のような野乃花の言葉にも、真人は傷つかない。労わるように声を掛ける。


「違う。野乃花さんはただ、ここを知る機会がなかったんだ。

せっかくこんないい場所に来たのに、『中鉢』に閉じ込められて、閉じこもって、何も見ていない」

「そ……そんなこと、ないわ。

遠足や社会科見学でいろんな所に行ったし、食べ物ならば、それこそ、うちの店で旬に合わせて提供していたもの」

「でも見ていない。いいや、見ていても、触れて感じることを拒否していたんだね。

ここを好きになることが怖いの? 来たくなかった場所、歓迎されなかった場所を好きになるのが怖かった?

だけど十把一絡げで『大嫌い』だ、と言わないだけ、まだ見所があるね」


 野乃花の前で、真人は小瓶の蓋を開け、ティースプーンで蜂蜜を掬った。


「もったいないよ。折角だから、東京に帰る前に、ちゃんと味わってみない?」

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