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011:五階『おひるごはん』

 川内かわうち美波みなみは、開店前にやって来た野乃花達を明るく迎えた。


「まぁ、野乃花さん! お久しぶりです」 


 「知り合い?」と真人が聞くと、野乃花は頷いた。「昔、『中鉢』で働いていた人です」


 真人はそこで、例の名刺を出して美波に丁寧に挨拶した。それから勧められるまま、四人並んでカウンター席に座った。


「今日の日替り定食は、ギンザケの照焼き定食です。今が旬のギンザケを、蜂蜜入りのタレで照焼きにしました。

蜂蜜の種類はサケに合わせて“タイム”です」


 それぞれの前に、ギンザケの照焼きと大豆とひじきの五目煮、ワカメの茎とクラゲの和え物の小鉢、油揚げと豆腐の味噌汁にご飯が載ったお盆が提供される。

 耕之進は相好を崩しながら、注釈をつけた。


「蜂蜜はそれだけでも栄養素の高い食物だが、料理にも活用できる。甘いお菓子だけでなく、和食にも合うことを知ってもらい。

六十度以上の加熱で栄養素は失われていってしまうが、それでも、料理に照りを出したり、魚臭さを和らげたりする効果はある。

ギンザケの照焼きにはうってつけだ。

さすがは美波さん」

「ありがとうございます。

課長さん、いかがですか? お口に合いますか? このギンザケは、この県で養殖されたものなんですよ」


 四月に東京から来たばかりの県職員と名乗った真人に、美波は気さくに声を掛けた。


「とても美味しいです。

ちょうどこの間、養殖場の視察に行き、ここではギンザケの養殖が盛んで、国内生産量の九割を占めていると聞いてきたばかりです。

こちらには他にも、美味しいものがたくさんあるそうなので、今から楽しみにしています」

「そうですか! そうなんですよねぇ……」


 真人の言葉には心からの響きがあったのに、なぜか美波は眉を寄せた。


「うちの店、地元の食材と蜂蜜を合わせて作ったメニューが売りなんですけど、どの食材も新鮮で美味しいから、蜂蜜の効果が必要ないんじゃないかと思う時があるんです」


 いかにも深刻そうになされた告白の内容に、一瞬、『家庭料理の店・おひるごはん』の店内が静寂に襲われた後、笑い声が響く。


「確かに、このギンザケも餌や締め方を工夫してあって、生臭さが少ないのが特徴だと聞きました。生で食べることも、お勧めされました。ですが、いろいろな食べ方で楽しんではいけないという法はありません。

この照焼きでいえば、食材本来の味に、蜂蜜と醤油の風味が合わさって、また違った美味しさに出会えましたし、綺麗な照りが、ますます食欲を呼びます」


 美波の発言が冗談だと分かった真人だったが、真剣な口調で返した。


「良かった。それを聞いて安心しました」


 自分の起こした笑いと、真人の生真面目さに微笑んだ美波が、こっそり野乃花を見れば、残念ながら、彼女は笑いの輪に加わらず、黙々と定食を食べている。他の三人も同じように野乃花の様子を窺う。

 真人は努めて気にした素振りを見せずに、会話を続けた。「このお店では、料理には必ず蜂蜜を使うのですか?」

 その質問に、まず、太郎が答えた。


「このビルは祖父のミツバチ振興の拠点なんです。ミツバチや蜂蜜に関係する店であれば、格安の家賃で店舗を貸しています。

逆に言えば、それが絶対条件になるので、美波さんも大変です」


 祖父の我儘に付き合わせていることを詫びるように孫が言えば、店子はとんでもないとばかりに首を振る。

「いえいえ、広瀬様の陰謀の片棒を担ぐのは楽しいです」


 「陰謀!?」とお堅い県庁の課長さんが驚くのを見て、美波はまた、悪戯っぽく笑った。

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